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なんとなく、を感じる

「傾聴・心理臨床学アップデートとフォーカシング 感じる・話す・聴くの基本」を読んだ。

大学生の頃、受けていたカウンセリングのなかで、フォーカシングを体験した。先生は、わざわざフォーカシングの説明はしなかったけれど、からだに感じる感覚や違和感の声を聴くことを促し、導いてくれた。この時の経験から、私はからだの声を聴くコツを練習できた。

カウンセリング中、話している最中に、喉がグッと締まる。喉に力が入って話しにくいと言った私に、先生は次のように問う。

「喉は、なんて言ってそうですか?」

喉の感覚に集中する。

ふと、思い浮かぶ言葉。

その言葉を深めていく。

自分の中に隠れていた言葉。
自分の中に隠していた本音。

その本音を、先生に伝えようとするけれど、泣けて泣けて、しゃくりあげてしまい、しばらく話せなかった記憶がある。

自分のからだに収納されている本音。

自分で自分を欺いて、本音を見ないように、気づかないようにし続けると、心身に不調が起きる。

もちろん、自分の本音に気づかないように自分を欺くことだって、生き延びる為の知恵だ。

だけど、もう、辛いよ。

その辛い状態は、自分へのヒント。
もっと生きやすい自分に変わる為のヒント。

自分のからだで、なんとなく感じる痛みや不調に、意識を向けて、じっと観察する。ふと、思い浮かぶ言葉があれば、その言葉を受け取る。

その、"なんとなく"感じる感覚を、
フェルトセンスと言う。

なんとなく、には意味が含まれている。

なんとなく、と共にいる。
なんとなく、と共にある。

まだ言葉になっていない意味を、見ていく。
まだ言葉になっていない意味を、言葉にしていく。

ぼんやりとしていた感覚の輪郭が見えてきたら、さらに、よりふさわしい言葉を見つけていく。

「考える」と「感じる」は違う。

感じている感覚に、注目する。

心理療法では感情よりもフェルトセンスの方が重要なのである。フェルトセンスに含意される意味を明在的に言い表していくことによって変化が生じるからである。

本書より引用。

どの感情にも、その背景にはフェルトセンスがある。フェルトセンスの1つの特徴は〈からだ〉に感じられるというもの。

「感じる」という過程は、
〈からだ〉に感じられるもの。

感じている事に触れるには、
〈からだ〉に注意を向ける。

だから、フォーカシングでは、
〈からだ〉で感じられる事を大切にする。

〈感じる〉は、いつも未来を志向している。
例えば、空腹な「感じ」は、次にくるべき「食べる」という方向性を含んでいる。

この「感じるは未来志向」という文章を読んで、
なんとなく希望を感じる私には、どんな価値観があるのかな。

全ての人のからだは死に向かっているけれど、
その生命を維持する為に、自分を守る為に、
人のこころとからだは生きる事を選択している。

そんな気がして、嬉しいんだ。

人間性心理学は、必ずしも「社会適応」が治療のゴールだとは考えていない。

本書より引用。

社会適応は、治療のゴールではない。
不登校の子が学校に行くとか、
人付き合いが苦手な人が社交的になるとか、
そんなことがゴールではない。

その人にとって、良いことは何か。

本当に私らしい生き方とは何なのかという問い。
より良い自分の探究。

それが、目的だ。

心理療法では、関係のなかで変化が起きるとされている。その際に、必要な条件が3つある。

《 心理療法の「中核3条件」》
(1)誠実さ(自己一致)
(2)認める(無条件の肯定的眼差し)
(3)共感的理解

人格変化がみられる人間関係には、
これら3か条がみられる。

(1)自己一致、というか誠実さ。

・親や先生や心理療法家という役割以前に、
 1人の人間として対応する。
・自分が感じた事を誠実に受け取り、対応する。
 自分のフェルトセンスを使って関わる。

本書の中で紹介されていた事例がよかった。
傾聴ではなく、誠実な「雑談」と、一緒に過ごす2人の出会いが功を奏した事例が良かった。

(2)無条件の肯定的な眼差し、というか(一人の人間として)認めること。

・自分を変える事ができるのは、無条件にあたたかい眼差しをおくる他者の存在(友人、家族、心理療法家など)があるとき。

「あなたが明るい時も、暗い時も、どちらにも関心があるよ。」

無条件の肯定を得られると、暗い時があってもいいのだと気づく。その人らしさを認める事が重要。

(3)共感的理解

・自分とは違うかもしれないけれど、相手の感じている世界に理解を示すこと。

これら3条件を満たす人間関係は、
傾聴を使わず、雑談であっても、
治療的人格変化が生じる事がある。

誠実に関係する事が、大切。

誠実に関係する事とは、
必ずしも傾聴することだけではない。

セラピストが誠実であるということは、防衛的な仮面の後ろに隠れているのではなく、〈からだの感じとして〉(organismically)彼が体験している気持ちとともにクライエントに接することである。

本書より引用。

・相手に注意を向けると同時に、自分自身の〈感じ〉(フェルトセンス)も感じ続けること。
・素直に自分自身のフェルトセンスを感じ、場合によっては表現することができるからこそ、誠実にその場に居ることができる。
・フェルトセンスに注意を向け、そこに感じる事を言葉にしていく。
・ロジャーズが誠実さとして説明している事は、セラピストが持続的にフォーカシングをしながら相手に接する事。

共感的理解 - これが意味するところは、セラピストが正確にクライエントの体験している気持ちや個人的な意味合い(personal meaning)を感じ取り、その理解をクライエントに伝えることである。

理解してくれる人に傾聴してもらうと、人はより正確に自分自身に傾聴するようになるのである。彼ら自身のからだ(visceral)の体験過程、彼らが漠然と感じている意味(felt meaning)に対して、より大きな共感を向けるのである。

本書より引用。

ロジャーズの傾聴と、
ジェンドリンのフォーカシングは、
合体してひとつの流れとなっていった事を知る。

ちなみに、フォーカシングとは。

フォーカシングとは、まだ言葉にならないような、からだで感じられる微妙な感覚に注意を向け、そこから言葉を出していく作業です。

日本フォーカシング協会HPより引用。

フォーカシングや心理療法のプロセスの中で、何かがそこにあることは薄々感じられるけれど、まだ言葉になっていない感覚を探るのは、まだ答えの分からない「なぞなぞ」に似ている。

フォーカシングとなぞかけは、「腑に落ちる」感覚を伴った理解を促すという点で共通している。

〈分からないこと〉を楽しみながら探求する。

それが、おもしろいのかもしれない。

謎が解明され、腑に落ちる。

それが、人の話を聴くおもしろさなのかもしれない。そこに、私は魅力を感じているのかもしれない。

言葉を媒介とした心理療法。心理療法面接は、人がおかれている状況や人生を「振り返って観る」場である。それは、話をして、アドバイスをもらう場ではない。むしろ、話すことによって、ある状況や人生の一局面を省みるのである。

「役立つことを、言わなければならない」などと思う時は、目の前に一人の人間がいる、その人は状況や人生を一緒に振り返って観る事を望んでいるのだ、という事を思い出すと役に立つ。

本書より引用。

相手が相手自身に集中するのを、妨げない。

誰かの話を聴く時。
私は、私のフェルトセンスを活用する。

私のフェルトセンスにフォーカシングする事は、相手を理解する事であり、私自身を理解する事の助けとなる。

はっきりとは分からないけれど、
でも…なんだか気になる。

そんなフェルトセンスの声を聴こう。

からだで感じられている感じ(フェルトセンス)に注意を向け、静かに待つ。

どんな言葉が浮かぶだろうか。

からだに質問してもいい。

そのからだの感覚に、質問する。

「何を、教えてくれているの?」
「何か言いたいことは、ある?」

どんな言葉が浮かぶだろうか。

まずは、

なんとなくの感覚に気づこう。

「傾聴・心理臨床学アップデートとフォーカシング 感じる・話す・聴くの基本(池見陽:編著/ナカニシヤ出版/2016年)」

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