コザまちまーいと嘉手納基地
(1)コザまちまーい
コザの街を歩く。沖縄市観光物産振興協会が開催しているコザまちまーい(まち歩き)に参加した。
コザまちまーいの開催は、2名から。私ひとりでは、参加できない。一緒にまち歩きをしてくれる人を募集したら、3人の方が参加を希望してくれた。ありがとうございます!
今回参加したコザまちまーいは「まち歩きプログラム1 After1945~街は歴史博物館」。コースの内容は「沖縄市胡屋地区の商店街を歩きます。コザの街ならではのお店やエピソードを聞きながら、散策します。途中、気に入ったお店があればお買い物もお気軽に。まちを知ると、風景が違って見えますよ。」とのこと。
私が知りたいのは、コザの街の歴史だ。申し込みの時点で、修学旅行生が受けているような平和学習を希望した。
集合場所は、コザミュージックタウン音市場。参加してくれた3人(Nやん、Aみー、Hさん)が先に到着していた。
まち歩きガイドさんは、N村さん。ヒストリートの赤いジャンパーを着用。マイクを使用して説明してくれるので、野外でも説明を聞きやすい。よろしくお願いします!
①ゲート通り
まずは、コザミュージックタウン音市場にある理容店BARBER TOP。海兵隊の頭髪は規則で決められているそうで、定期的に整える必要がある。嘉手納基地内にある理容店だけでなく、こちらも利用するそう。
ゲート通りを、嘉手納空軍基地(第二ゲート)に向かって進む。
ちなみに嘉手納基地は空軍基地。
空軍にも、海兵隊がいるの?
なるほど。知らなかった。海兵隊だから、海軍というわけではないんだ。
ゲート通りは、異国情緒というか、コザらしいというか、この独特の雰囲気が素敵だ。夜になると、ネオンが光り、嘉手納基地から訪れる外国籍の人たちが通りに溢れて、さらに異国感が強まる。
沖縄に移住して、はじめてひとりでゲート通りを歩いた日は、昼間だったのに緊張したことを覚えている。
プリンスの看板で、立ち止まる。この縦型三角形の看板は、台風の風に耐えられるように、この形になっているそうだ。
写真を撮ったけれど、その三角形の看板の特徴を捉えられていなかった。まだまだ修行が足りない。
このプリンスの看板が、現在も使われている看板の中で、一番古い縦型三角形の看板だとN村さんが教えてくれたような気もするし、違ったかもしれない。最近、すぐに忘れてしまうなあ(初老はつらいよ)。
プリンスの看板がある場所から、後ろを振り返ると、そこにはSEIKOの看板が見えた。有名なあの看板だ。ここにあったのか!!
SEIKOの看板は、もう点灯はしないそうだけど、こうやって遺されている。こういうのが大好きだ。
TAX FREE UM•WACTCH STOREの看板には、いまは使われていないであろう「☎︎3-5869」の番号が残る。これまた味がある。
ゲート通りには両替センター(外貨両替所)がある。私は沖縄なら何処にでもあるのだと思っていたけれど、珍しいらしい。約58ヵ国の人達が住んでいる沖縄市ならではだ。
②嘉手納空軍基地(第二ゲート)
そのまま、嘉手納空軍基地の第二ゲート前へ向かう。いつもなら、直進せずに曲がる交差点を、真っ直ぐ進む。どきどき。
途中で、境界線が現れる。ここから先は嘉手納基地ですよというお知らせというか、警告だ。ここから先は、アメリカなのだ。
思わず写真を撮りたくなったけれど、N村さんに確認すると、写真を撮ってはいけないそうです。自粛しました。
③ヒストリート
沖縄市戦後文化資料展示館ヒストリートで、戦中戦後の資料を見ながら、説明を受ける。
ヒストリートを訪れるのは、4回目だ。訪れるたびに、いろいろな学びがある。今回は、Aサインバーの話を聴いて、切ない気持ちになった。
Aサインとは。
Aサインには、陸海空軍と海兵隊のマークが書かれている。N村さんに教えてもらって、はじめて知った。何度も見ているのに、気づかないものだ。教えてもらえるって、楽しい!
Aサインバーの話に戻ります。
ベトナム戦争へ向かうアメリカ軍の兵隊さん。ドル紙幣にメッセージを書いて、無事に生きて戻ったら、このお金でお酒を飲もうと、置いていく。
無事に戻ったら、そのドルは使われた。
こうやって、資料館にドル紙幣が残っているということは。その人は帰って来なかった、ということ。その事実に気づかされて、とても切なかった。
戦後、お子さんや家族が、父親のドル紙幣を受け取りに来ることもあったそう。ドル紙幣が形見になるなんて。
資料館に展示されているドル紙幣。それはただの展示物ではなく、誰かの生きた証なのだ。
もうひとつ。
アメリカ統治下の沖縄は、琉球政府と呼ばれて、日本に行く場合はパスポートが必要だった。そして、日本人ではなく、琉球人とされていたという話。日本人だけど、琉球人。
パスポートが必要だった事は知っていたけれど、それはアメリカ統治下の沖縄は、アメリカだから、日本人だけど、日本への入国にパスポートが必要だと思っていた。
でも、違った。
日本人ではないとされていたから、日本への入国にパスポートが必要だったんだ。よくよく考えれば気付けることに、気づけていなかった。私も無知という差別をしていたんだ。
もともとは琉球王国という独立国家だった沖縄。
1609年に、薩摩藩による琉球侵攻を受け、
1872年に、琉球藩が設置され、
1879年に、琉球処分によって沖縄県が設置された。
1945年に、沖縄戦の末、敗戦。
終戦後はアメリカ統治下に置かれ、
1952年に、琉球政府が設立された。
そして、1972年に沖縄返還を迎える。
その後も、沖縄への差別はあった。
私も、その差別をしていたひとりなんだ。
④保健所通りのイペー
ゲート通りから、パークアベニューへ続く保健所通りを歩く。そこには、だんだん開花を始めたイペーが咲いていた。プラジルの花、イペー。黄色い花、イペー。沖縄の春に咲く花。
沖縄ではイッペーとも呼ばれる。うちなーぐちの「たくさん」を意味する言葉と同じ音。N村さんが、そんな話をしてくれた。
余談だけど、茨城弁でも、たくさんのことを「いっぺー」って言うなあ。そういえば。
ゲート通りも、パークアベニューも、元白人街。パークアベニューの歴史も面白そうだけど、コザまちまーいは1時間コースの為、今回は割愛です。残念。
(2)コザ一番街
イペーの花を見た後は、コザ一番街へ。
実は、コザ一番街は、1975年に沖縄で初めてアーケード化した商店街で、那覇の国際通りのアーケード街よりも古いそうです。
ちなみに、コザ銀天街のアーケードは、1978年完成です。
コザ一番街を抜けて、出発地のコザミュージックタウン音市場へ戻ってくる。ちょうど1時間ぴったり!ガイドのN村さん、流石です。ありがとうございました!
コザまちまーい(まち歩き)を終えて、おひるごはんに行こうと思っていたら。
Nやん「このあと、時間ある?」
私「あるよー!ランチ行こー!」
Nやん「嘉手納基地、いく?」
行く行く!!
さっきのまち歩きでは、境界線までしか行けなかったのに!嘉手納基地内に、行けるなんて。
突然の展開に歓喜!
コザまちまーい第二部のはじまりです。
(3)嘉手納基地
① Visitor passの発行
嘉手納基地に入る資格があるスポンサーが同行していれば、入場手続きをして、入る事ができる。
第二ゲートに併設されている受付窓口(正式名称は忘れた)で、Visitor passを発行してもらう。
受付で、身分証明書(私は運転免許証を使用)を提出して、身長と体重を報告し、指紋を採取され、顔写真を撮る。ちなみに、身長は口頭で申告するのに、体重はキーボード入力でした。女性への配慮かな。
Visitor passの使用時間を伝える。使用後は受付窓口に置いてある返却箱へVisitor passを返す必要がある。ずっと使用できる訳ではないけれど、時間内であれば、何度でも基地に出入りできる。そして、一度登録すれば、次回以降は今回のような受付窓口での手続きも必要なくなるそう。
嘉手納基地の入場手続きは、こんな感じだったけれど、基地によって、手続き方法は異なるらしい。
白黒印刷で顔写真が印刷されたVisitor passに、私とスポンサーNやんのサインを済ませて、手続き完了。
それにしても、手続き中、何も悪いことをしていないのに、そわそわした笑
今回の受付窓口の方は、日本人だったので、日本語が通じてホッとした。
嘉手納基地への入場審査には、外国籍の方もいた。基地内の家族に会いに来る場合もあるから、日本人だけが入場審査を受けるわけではないそうです。
②基地の風景
Visitor passを入手し、いよいよ嘉手納基地へ入場!ゲート入口でVisitor passを手渡し、車中の同乗者を確認されて、無事入場。
嘉手納基地内はアメリカ。
基地内に進むと、すぐに沖縄の街並みは見えなくなり、基地の風景のみになる。車は日本と同じ左側通行。だけど、建物や道の広さから、さっきまで沖縄市にいたのに、急に異国に来たみたいだ。
階級によって、住む住宅や地区が異なることや、子どもたちの下校時刻には、車に徐行を促す標識と点滅するライトのこと、基地内にある施設(小中学校や高校、ジム、プール、ゴルフ場、消防署、弁護士事務所など)などについて、ドライブしながら、Nやんがガイドしてくれる。基地の中にも、暮らしがある。
嘉手納基地内の建物は、大まかにベージュで統一されていて、どの建物も刺激が少ない。商業施設も、他社と競う必要がないからか、店名を表示する看板はあるけど、派手な広告看板はない。
これが、基地というものか。
車を走らせていると、戦闘機が格納されている格納庫も見える。
道の駅かでなの展望台から見た事のある戦闘機格納庫。そして、並ぶ戦闘機。
ここから、飛び立つ戦闘機。
ベトナム戦争時、ここから沢山の戦闘機が出撃していった。いまも、日中(時には夜間も)に爆音をたてて飛行訓練をしている戦闘機が、沖縄市やうるま市や嘉手納町の空を飛ぶ。そして、必要があれば、ここから出撃していくんだ。
ここは、正真正銘の空軍基地なのだ。
観光気分と、複雑な気分が混じり合う。
③ EXCHANGE(エクスチェンジ)
嘉手納基地をぐるりとドライブしてから、商業施設EXCHANGEへ。駐車場で、階級が上の人専用の駐車スペースを教えてもらう。階級が上になればなるほど優遇されるのが軍隊というものらしい。
お店のなかは、外国の匂いがして、海外旅行に来た気分。エスカレーターや階段などの造りも、日本と違うように感じてしまう。雰囲気に呑まれていただけかもしれないけれど。
日用品や、衣料品に電化製品。大型の芝刈り機や、バーベキューコンロなど、いろんな商品が並び、コストコみたいだ。
キッチンペーパーやトイレットペーパーが高額で驚く。この値段では、気安く拭けないのではと思ったり。
円高の時は、基地内に買い物に来る日本人も多かったけれど、円安の現在は、沖縄市へ買い物へいく基地の人も多いらしい。
④ POPEYES(ポパイズ)
いろんな商品を見た後は、フードコートでおひるごはん。フードコートには、迷彩服を着た米兵さんもいれば、親子もいる。AみーもHさんも、ひとりでタコスやピザを注文しているのに、私は英語に怯えて、Nやんに注文をお願いする。
POPEYES(ポパイズ)のチキンを選択。
レジに行くと、レジの方は日本語で対応してくれた。日本人だった。もうひとりの店員さんは外国の方だったけれど、日本語ペラペラだった。
怯えていた自分が恥ずかしい…笑
そのままNやん頼みで、サイドメニューも注文してもらう。まじで頼もしかった!!
店員さんにオススメされたマッシュポテト(グレイビーソース別添え)を選択。親切な対応、ありがとうございました。
チキンもマッシュポテトも美味しかった!
ドリンクを注文すると、空のカップを提供される。ドリンクは飲み放題。フードコート内にあるドリンクバーで飲み物を入れるシステム。
ファミレスで見慣れたドリンクバーだけど、場所が変わると、飲み物のラインナップも異なるし、またしてもそわそわした笑
Nやんの嘉手納基地ツアーも、大満足でした!
(4)まとめ
見慣れたコザの街も、ツアーガイドさんと一緒に巡ることで、新たな魅力の発見や、学びがありました。とてもおもしろかった!
そして、嘉手納基地を案内してくれたNやんには大感謝です!貴重な体験をありがとう!!
コザまちまーいも、嘉手納基地見学も。
ひとりでは経験できなかったこと。
一緒に参加してくれたNやん、Aみー、Hさん。
本当にありがとうございました!!
おわり
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