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コザまちまーいと嘉手納基地

(1)コザまちまーい

コザの街を歩く。沖縄市観光物産振興協会が開催しているコザまちまーい(まち歩き)に参加した。

コザまちまーいの開催は、2名から。私ひとりでは、参加できない。一緒にまち歩きをしてくれる人を募集したら、3人の方が参加を希望してくれた。ありがとうございます!

今回参加したコザまちまーいは「まち歩きプログラム1 After1945~街は歴史博物館」。コースの内容は「沖縄市胡屋地区の商店街を歩きます。コザの街ならではのお店やエピソードを聞きながら、散策します。途中、気に入ったお店があればお買い物もお気軽に。まちを知ると、風景が違って見えますよ。」とのこと。

私が知りたいのは、コザの街の歴史だ。申し込みの時点で、修学旅行生が受けているような平和学習を希望した。

集合場所は、コザミュージックタウン音市場。参加してくれた3人(Nやん、Aみー、Hさん)が先に到着していた。

まち歩きガイドさんは、N村さん。ヒストリートの赤いジャンパーを着用。マイクを使用して説明してくれるので、野外でも説明を聞きやすい。よろしくお願いします!

①ゲート通り

まずは、コザミュージックタウン音市場にある理容店BARBER TOP。海兵隊の頭髪は規則で決められているそうで、定期的に整える必要がある。嘉手納基地内にある理容店だけでなく、こちらも利用するそう。

ゲート通りを、嘉手納空軍基地(第二ゲート)に向かって進む。

ちなみに嘉手納基地は空軍基地。
空軍にも、海兵隊がいるの?

アメリカ軍では、アメリカ陸軍、アメリカ海軍、アメリカ空軍の一般的な3軍種に加え、アメリカ海兵隊、アメリカ沿岸警備隊、アメリカ宇宙軍が加わる6軍種で構成されている。

Wikipedia「軍種」より引用。

アメリカ海兵隊は、アメリカ合衆国の法律に基づき、海外での武力行使を前提とし、アメリカ合衆国の国益を維持・確保するための緊急展開部隊として行動する。また、必要に応じ水陸両用作戦(上陸戦)を始めとする軍事作戦を遂行することも目的とする。本土の防衛が任務に含まれない外征専門部隊であることから海兵隊は「殴り込み部隊」とも渾名される。

Wikipedia「アメリカ海兵隊」より抜粋。

なるほど。知らなかった。海兵隊だから、海軍というわけではないんだ。

ゲート通りは、異国情緒というか、コザらしいというか、この独特の雰囲気が素敵だ。夜になると、ネオンが光り、嘉手納基地から訪れる外国籍の人たちが通りに溢れて、さらに異国感が強まる。

沖縄に移住して、はじめてひとりでゲート通りを歩いた日は、昼間だったのに緊張したことを覚えている。

プリンスの看板で、立ち止まる。この縦型三角形の看板は、台風の風に耐えられるように、この形になっているそうだ。

写真を撮ったけれど、その三角形の看板の特徴を捉えられていなかった。まだまだ修行が足りない。

このプリンスの看板が、現在も使われている看板の中で、一番古い縦型三角形の看板だとN村さんが教えてくれたような気もするし、違ったかもしれない。最近、すぐに忘れてしまうなあ(初老はつらいよ)。

プリンスの看板がある場所から、後ろを振り返ると、そこにはSEIKOの看板が見えた。有名なあの看板だ。ここにあったのか!!

SEIKOの看板は、もう点灯はしないそうだけど、こうやって遺されている。こういうのが大好きだ。

TAX FREE UM•WACTCH STOREの看板には、いまは使われていないであろう「☎︎3-5869」の番号が残る。これまた味がある。

ゲート通りには両替センター(外貨両替所)がある。私は沖縄なら何処にでもあるのだと思っていたけれど、珍しいらしい。約58ヵ国の人達が住んでいる沖縄市ならではだ。

LUCKY EXCHANGE CENTER

②嘉手納空軍基地(第二ゲート)

そのまま、嘉手納空軍基地の第二ゲート前へ向かう。いつもなら、直進せずに曲がる交差点を、真っ直ぐ進む。どきどき。

途中で、境界線が現れる。ここから先は嘉手納基地ですよというお知らせというか、警告だ。ここから先は、アメリカなのだ。

思わず写真を撮りたくなったけれど、N村さんに確認すると、写真を撮ってはいけないそうです。自粛しました。

③ヒストリート

沖縄市戦後文化資料展示館ヒストリートで、戦中戦後の資料を見ながら、説明を受ける。

ヒストリートを訪れるのは、4回目だ。訪れるたびに、いろいろな学びがある。今回は、Aサインバーの話を聴いて、切ない気持ちになった。

Aサインとは。

Aサイン(英語: A Sign)は、本土復帰前の沖縄において米軍公認の飲食店・風俗店に与えられた営業許可証。

Wikipedia「Aサイン」より引用。
Wikipedia「Aサイン」より転載。

Aサインには、陸海空軍と海兵隊のマークが書かれている。N村さんに教えてもらって、はじめて知った。何度も見ているのに、気づかないものだ。教えてもらえるって、楽しい!

Aサインバーの話に戻ります。

ベトナム戦争へ向かうアメリカ軍の兵隊さん。ドル紙幣にメッセージを書いて、無事に生きて戻ったら、このお金でお酒を飲もうと、置いていく。

無事に戻ったら、そのドルは使われた。

こうやって、資料館にドル紙幣が残っているということは。その人は帰って来なかった、ということ。その事実に気づかされて、とても切なかった。

戦後、お子さんや家族が、父親のドル紙幣を受け取りに来ることもあったそう。ドル紙幣が形見になるなんて。

資料館に展示されているドル紙幣。それはただの展示物ではなく、誰かの生きた証なのだ。

もうひとつ。

アメリカ統治下の沖縄は、琉球政府と呼ばれて、日本に行く場合はパスポートが必要だった。そして、日本人ではなく、琉球人とされていたという話。日本人だけど、琉球人。

パスポートが必要だった事は知っていたけれど、それはアメリカ統治下の沖縄は、アメリカだから、日本人だけど、日本への入国にパスポートが必要だと思っていた。

でも、違った。

日本人ではないとされていたから、日本への入国にパスポートが必要だったんだ。よくよく考えれば気付けることに、気づけていなかった。私も無知という差別をしていたんだ。

もともとは琉球王国という独立国家だった沖縄。

1609年に、薩摩藩による琉球侵攻を受け、
1872年に、琉球藩が設置され、
1879年に、琉球処分によって沖縄県が設置された。
1945年に、沖縄戦の末、敗戦。
      終戦後はアメリカ統治下に置かれ、
1952年に、琉球政府が設立された。
そして、1972年に沖縄返還を迎える。

その後も、沖縄への差別はあった。

私も、その差別をしていたひとりなんだ。

④保健所通りのイペー

ゲート通りから、パークアベニューへ続く保健所通りを歩く。そこには、だんだん開花を始めたイペーが咲いていた。プラジルの花、イペー。黄色い花、イペー。沖縄の春に咲く花。

沖縄ではイッペーとも呼ばれる。うちなーぐちの「たくさん」を意味する言葉と同じ音。N村さんが、そんな話をしてくれた。

余談だけど、茨城弁でも、たくさんのことを「いっぺー」って言うなあ。そういえば。

イペーの黄色い花。

ゲート通りも、パークアベニューも、元白人街。パークアベニューの歴史も面白そうだけど、コザまちまーいは1時間コースの為、今回は割愛です。残念。

(2)コザ一番街

イペーの花を見た後は、コザ一番街へ。

実は、コザ一番街は、1975年に沖縄で初めてアーケード化した商店街で、那覇の国際通りのアーケード街よりも古いそうです。

沖縄市は、広島カープのキャンプ地。

ちなみに、コザ銀天街のアーケードは、1978年完成です。

コザ一番街を抜けて、出発地のコザミュージックタウン音市場へ戻ってくる。ちょうど1時間ぴったり!ガイドのN村さん、流石です。ありがとうございました!

コザまちまーい(まち歩き)を終えて、おひるごはんに行こうと思っていたら。

Nやん「このあと、時間ある?」
私「あるよー!ランチ行こー!」

Nやん「嘉手納基地、いく?」


行く行く!!

さっきのまち歩きでは、境界線までしか行けなかったのに!嘉手納基地内に、行けるなんて。

突然の展開に歓喜!

コザまちまーい第二部のはじまりです。

(3)嘉手納基地

① Visitor passの発行

嘉手納基地に入る資格があるスポンサーが同行していれば、入場手続きをして、入る事ができる。

第二ゲートに併設されている受付窓口(正式名称は忘れた)で、Visitor passを発行してもらう。

受付で、身分証明書(私は運転免許証を使用)を提出して、身長と体重を報告し、指紋を採取され、顔写真を撮る。ちなみに、身長は口頭で申告するのに、体重はキーボード入力でした。女性への配慮かな。

Visitor passの使用時間を伝える。使用後は受付窓口に置いてある返却箱へVisitor passを返す必要がある。ずっと使用できる訳ではないけれど、時間内であれば、何度でも基地に出入りできる。そして、一度登録すれば、次回以降は今回のような受付窓口での手続きも必要なくなるそう。

嘉手納基地の入場手続きは、こんな感じだったけれど、基地によって、手続き方法は異なるらしい。

白黒印刷で顔写真が印刷されたVisitor passに、私とスポンサーNやんのサインを済ませて、手続き完了。

それにしても、手続き中、何も悪いことをしていないのに、そわそわした笑

今回の受付窓口の方は、日本人だったので、日本語が通じてホッとした。

嘉手納基地への入場審査には、外国籍の方もいた。基地内の家族に会いに来る場合もあるから、日本人だけが入場審査を受けるわけではないそうです。

②基地の風景

Visitor passを入手し、いよいよ嘉手納基地へ入場!ゲート入口でVisitor passを手渡し、車中の同乗者を確認されて、無事入場。

嘉手納基地内はアメリカ。

基地内に進むと、すぐに沖縄の街並みは見えなくなり、基地の風景のみになる。車は日本と同じ左側通行。だけど、建物や道の広さから、さっきまで沖縄市にいたのに、急に異国に来たみたいだ。

階級によって、住む住宅や地区が異なることや、子どもたちの下校時刻には、車に徐行を促す標識と点滅するライトのこと、基地内にある施設(小中学校や高校、ジム、プール、ゴルフ場、消防署、弁護士事務所など)などについて、ドライブしながら、Nやんがガイドしてくれる。基地の中にも、暮らしがある。

嘉手納基地内の建物は、大まかにベージュで統一されていて、どの建物も刺激が少ない。商業施設も、他社と競う必要がないからか、店名を表示する看板はあるけど、派手な広告看板はない。

これが、基地というものか。

車を走らせていると、戦闘機が格納されている格納庫も見える。

道の駅かでなの展望台から見た事のある戦闘機格納庫。そして、並ぶ戦闘機。

ここから、飛び立つ戦闘機。

ベトナム戦争時、ここから沢山の戦闘機が出撃していった。いまも、日中(時には夜間も)に爆音をたてて飛行訓練をしている戦闘機が、沖縄市やうるま市や嘉手納町の空を飛ぶ。そして、必要があれば、ここから出撃していくんだ。

ここは、正真正銘の空軍基地なのだ。

観光気分と、複雑な気分が混じり合う。

③ EXCHANGE(エクスチェンジ)

嘉手納基地をぐるりとドライブしてから、商業施設EXCHANGEへ。駐車場で、階級が上の人専用の駐車スペースを教えてもらう。階級が上になればなるほど優遇されるのが軍隊というものらしい。

お店のなかは、外国の匂いがして、海外旅行に来た気分。エスカレーターや階段などの造りも、日本と違うように感じてしまう。雰囲気に呑まれていただけかもしれないけれど。

日用品や、衣料品に電化製品。大型の芝刈り機や、バーベキューコンロなど、いろんな商品が並び、コストコみたいだ。

キッチンペーパーやトイレットペーパーが高額で驚く。この値段では、気安く拭けないのではと思ったり。

円高の時は、基地内に買い物に来る日本人も多かったけれど、円安の現在は、沖縄市へ買い物へいく基地の人も多いらしい。

④ POPEYES(ポパイズ)

いろんな商品を見た後は、フードコートでおひるごはん。フードコートには、迷彩服を着た米兵さんもいれば、親子もいる。AみーもHさんも、ひとりでタコスやピザを注文しているのに、私は英語に怯えて、Nやんに注文をお願いする。

POPEYES(ポパイズ)のチキンを選択。

レジに行くと、レジの方は日本語で対応してくれた。日本人だった。もうひとりの店員さんは外国の方だったけれど、日本語ペラペラだった。

怯えていた自分が恥ずかしい…笑

そのままNやん頼みで、サイドメニューも注文してもらう。まじで頼もしかった!!

店員さんにオススメされたマッシュポテト(グレイビーソース別添え)を選択。親切な対応、ありがとうございました。

POPEYES

チキンもマッシュポテトも美味しかった!

ドリンクを注文すると、空のカップを提供される。ドリンクは飲み放題。フードコート内にあるドリンクバーで飲み物を入れるシステム。

ファミレスで見慣れたドリンクバーだけど、場所が変わると、飲み物のラインナップも異なるし、またしてもそわそわした笑

Nやんの嘉手納基地ツアーも、大満足でした!

(4)まとめ

見慣れたコザの街も、ツアーガイドさんと一緒に巡ることで、新たな魅力の発見や、学びがありました。とてもおもしろかった!

そして、嘉手納基地を案内してくれたNやんには大感謝です!貴重な体験をありがとう!!

コザまちまーいも、嘉手納基地見学も。
ひとりでは経験できなかったこと。

一緒に参加してくれたNやん、Aみー、Hさん。
本当にありがとうございました!!

おわり

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