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対馬丸記念館

対馬丸のことを、知っていますか。

戦時中、沖縄県内の子どもたちをたくさん乗せた対馬丸は、米潜水艦の魚雷攻撃により、撃沈した。

大勢の子どもたちが、疎開先に着くことなく、海で命を落とした。

私は沖縄に移住してから、対馬丸の事件を知った。そして、カマドおばあの平和講座へ行った時に、沖縄市の戦没者のなかには、対馬丸の犠牲者が多いことを知った。私は不勉強から、那覇の子どもたちだけが犠牲になったと思い込んでいたけれど、沖縄市や具志川村(現うるま市)をはじめ、沖縄県内各地から、学童疎開の為に、対馬丸に乗った子どもたちがいたのだ。

対馬丸記念館に、行かなければ。そう思った。


(1)対馬丸事件について

昭和19年(1944年)8月22日夜10時過ぎ、米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃により、対馬丸は海に沈められた。乗船者1788名(船員・兵員含む)のうち約8割の人々が命を落としたとされている。ただ、正確な犠牲者数は「不明」であるとのこと。それは、被害実態調査がされず、対馬丸の事は「決して語ってはいけない」と厳重な箝口令(かんこうれい)が敷かれたからだ。対馬丸の被害者は、生き延びた後も、さらに苦しみを強いられることとなった。戦争は、敵国だけでなく、自分の国からも、被害を受ける事もあるということを忘れてはならない。

(2)貨物船「対馬丸」

学童集団疎開に向かう船は、貨物船3隻。
・対馬丸(つしままる)
・暁空丸(ぎょうくうまる)
・和浦丸(かずうらまる)

海は、すでに激しい戦場だった為、子どもたちを学童疎開させる親たちにすれば、疎開船は軍艦であることが絶対必要な条件だったけれど、那覇港に停泊していたのは貨物船3隻と2隻の護送船だった(ナモ103船団)。

米軍は日本の補給路を絶つ為に、軍民の区別なく日本の戦艦を攻撃してきた為、貨物船での移動は、とても危険な航海になることは確実だった。米潜水艦ボーフィン号は、対馬丸が那覇港にいる時から攻撃の対象ととらえて、追跡していた。航行速度の遅い対馬丸は、船団のスピードについていくのがやっとで、米潜水艦の格好の標的にされたのだ。

乗船者の多くは船倉に詰め込まれるように乗船しており、夜10時の攻撃時には、眠っていた人も多く、船倉に取り残された犠牲者も多かった。対馬丸は10分足らずで沈没し、脱出に成功した人も、接近中だった台風の影響で高波にのまれ、たくさんの犠牲者を出した。

米潜水艦ボーフィン号が記録した対馬丸撃沈の様子も展示されている。数分単位で報告される被害状況。アメリカからすれば、戦果状況。その中には「完全破壊」の文字。対馬丸だけでなく、護送船も撃沈したと書かれているけれど、実際に沈められたのは対馬丸だけで、他の船に被害はなかったそう。つまり、記録のなかで破壊されているのは、すべて対馬丸なのだ。

完全破壊。

子どもたちや、その他の大人たちが乗っている対馬丸。

完全破壊の言葉は、想像したくないくらい重い言葉だ。

対馬丸以外の船に乗っていた人達が助かっただけでも、救いだ。乗船した船によって、生死が分かれる。戦争の惨さを感じた。

(3)米潜水艦ボーフィン号

対馬丸を撃沈した米潜水艦ボーフィン号(BOWFIN)。全長約95m、最大で21本の魚雷を搭載できる潜水艦。南西太平洋を中心に、日本の艦船44隻を沈めたとされている。米潜水艦ボーフィン号のニックネームは「真珠湾の復讐者」。私たちは、真珠湾の犠牲者のことも、忘れてはならない。

(4)漂流

対馬丸から脱出し、海に漂流した被害者が救出されるまでの流れも展示されている。流された海流の違いによって、漂流時間と救出場所に差が出ている。長期間海上で漂流することで、日焼けによる火傷を負う人もいたし、島に辿り着いたとしても岩場を登る体力がなく、命を落とした方もいた。

台風が近づいていて、高波にのまれて命を落とした方もいたと記されていたけれど、天気は良かった模様。流された海流の違いが、波のうねりの違いなのか、それとも人それぞれの体感や記憶が異なるのか。蒸気船のポンポンという幻聴が聞こえたという記録もある。おそらく生命の危機を感じる体験をした事で、トラウマ反応が起きていたと思われる。生き延びるために、いかだに必死にしがみつき、寒さや暑さ、空腹や疲労、恐怖に耐え続けたこと。想像してみようとしても、辛すぎて考えられない。

(5)クーシュウケイホウノ歌

戦時中の教室を再現している展示を見る。黒板に書かれているのは、カマドおばあが歌っていた歌だと気づく。

映画「なまどぅさらばんじ。今が青春」の紹介動画で、「クーシュウケイホウノ歌(00:19~00:33)」が歌われている。

小学校は、昭和16年(1941年)に国民学校に変わり、明治当初から70年間使われてきた小学校という名前はなくなった。「国民学校」は、国家の後継者を育て、国民全体を錬成(心や技をきたえる)する教育の場という意味から名付けられ、主君や国家にたいし真心をつくして働き、善良な国民の心身を鍛えることを目的とした。

学校の名称が国民学校に変わると、子どもたちは「少国民(しょうこくみん)」と呼ばれた。戦争が始まると、直接戦闘には参加しなくても、戦場を後方から支援する戦士としての教育を受けた。教科書や漫画、ゲームにも戦争の影響が及んだ。「スパイに警戒せよ」なんて言葉、子どもたちの生活にはいらない。苦しいよ。

本当のことを知っても話してはいけません

(6)栄養失調

疎開児童の体重を毎月測定していたけれど、子どもたちの体重が減少しているのが怖くなり、測定をやめたとある。

展示されている国民学校の成績表を見る。成績表に記されていた身長体重をメモして、ローレル指数を計算してみる(※「ローレル指数」とは、肥満・やせを判断する指標で、学童期の児童に対して使われる)。

①国民学校初等科第4学年(男児)
・身長127.3cn
・体重26.6kg
・胸囲63cm
⇒ローレル指数128.94
 発育状態の判定(ふつう)

②国民学校初等科第5学年(男児)
・身長131cm
・體重28kg
・胸囲63cm
⇒ローレル指数124.55
 発育状態の判定(ふつう)

③現代の小学5年生(男児11歳)
・平均身長143.4㎝
・平均体重38.2㎏
⇒ローレル指数129.54
 発育状態の判定(ふつう)

むむ、発育は悪くない。てっきり疎開前から栄養失調だったのかと思っていたら、違った。疎開先での生活は、それだけ厳しいものだったのだろう。疎開体験者は、疎開生活を「ヤーサン、ヒーサン、シカラーサン」と語る。「ひもじくて、寒くて、さびしい」という意味だ。子どもたちの当時の心境が伝わってくる。

(7)十・十空襲と地上戦

対馬丸事件から、わずか49日目の昭和19年(1944年)10月10日に、南西諸島一帯は米機動部隊の無差別爆撃にさらされた。この十・十空襲はもちろん、沖縄では県民を巻き込んだ地上戦が行われ、沖縄に残された人たちは、想像を絶する戦争の被害を受けることになった。

(8)トラウマ反応

命の危機を感じる体験を経験すると、誰もが心に傷を負う。戦争、震災、事故、DV、虐待、いじめ、事件など。それらを経験したすべての人に、安心安全な環境と人間関係が必要だ。戦後の沖縄は、安心安全な環境だと言えただろうか。

悪夢や不眠、辛い記憶を生々しく思い出す、気分の落ち込みや死にたい気持ち、理由なく襲ってくる怒りや苛立ちなど、トラウマ症状だと知らずに、辛い症状に耐え続けてきた人がいるはずだ。誰にも話さずに、ひとりで辛い症状に耐え続けてきた人がいるはずだ。アルコールや薬物、ギャンブルに救いを求めた人もいるかもしれない。本人も、家族も、困った症状を、個人の問題だと思ってきたかもしれない。

でも、違うかもしれない。

それは、トラウマ反応かもしれない。

それだけ辛い体験をしたのだ。

戦争体験者や、その子どもたちが大人になり、それぞれが辛い思いをしているのなら。もっとみんなが救われてほしい。あなたの辛い症状は、あなたのせいじゃないかもしれない。現代まで続く、戦争の被害による影響かもしれない。

トラウマ反応は、世代間の連鎖を起こすともいわれている。大人たちが、心身の健康を取り戻すことができたら。それが、いまの子どもたちを守ることにつながる。

自分や家族を、もう責めないで。みんな戦争の被害者なのだ。自分を楽にすることをしよう。トラウマ反応を回復させるには、寝て、食べて、話す。トラウマの記憶を話さなくていい。なにげないおしゃべりでいい。もちろん、それだけでは楽になれないかもしれない。自分の心身の健康を回復させるために、できることを試していこう。自分の健康を取り戻すことが、みんなの為にもなる。次の世代を守り、ひとりひとりが本来の力を発揮できるように。

(9)私にできることはなんだ。

対馬丸は、悪石島沖合の海底に沈んでいる。
対馬丸記念館は、戦争の実態を伝えてくれている。

私たちは、対馬丸事件の教訓を、どう活かす。

世界では、今この瞬間も、戦争が続いている。
新たな戦争の被害者を生まない為に、できることは何だ。

トラウマをケアをするよりも、トラウマを生まないことの方が、良いに決まっている。みんなが、安心して、安全に、大切な人たちと、穏やかな日常を過ごす。そんな世界に、私は住みたい。

その為に、できることはなんなんだ!

歴史を学ぶこと。社会で起きていることを知ること。それでも、気づけない変化もある。せめて、気づいた時には意思表示をする。選挙にも行く。そして、目の前の人を大切にする。それを、続けます。

おわり

★カマドおばあの平和講座に参加した。

★カマドおばあの映画を見た。

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