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トトロのその後~となりの楠木先生~

★まったく違う物語ですが、その後のトトロという過去に書いたお話もあります。二作品合わせるとトトロは「楠木トオル」という名前になります。

ホーホーホホーホー ホホホホホホー ホホー ホホホホホホホー

寂しそうな三日月の夜、俺はクスノキの上でオカリナを吹いていた。

サツキちゃんはとっくに大人になってしまったし、メイちゃんとも二年前を最後に会えていないな…。また二人と会えたらいいのに…。
なんて傘を貸してくれたサツキちゃんとメイちゃんのことを思い浮かべていた。
「お月さま、どうかまたサツキちゃんとメイちゃんと会わせて下さい。あの時はありがとうってお礼が言いたいのです。」
こんなことをお願いしながら、暗闇の中、ぼんやり光る三日月に向かってオカリナを吹いているうちに、うとうと眠りについてしまった。

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 ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトン…。
何やら振動で目が覚めた。まるでネコバスの中にいる時みたいに揺れる。俺、ネコバスと何か約束したっけ?なんて寝ぼけまなこをこすっていると、
「楠木先生ですよね?同じ路線だったんですね。奇遇だな。草壁です。」
あれ、この人どこかで見たことがある気がする…。あーサツキちゃんと、メイちゃんのお父さんだ。でも楠木先生って誰のことだろう?
「ずっと助手を探していたんです。楠木先生に来てもらえることになって本当に良かった。ありがとうございます。」
ネコバスの中ではなく、人間たちが乗るバスの中だった。窓に映った自分の姿を見て、驚いた。俺は人間の姿に変わっていたから…。
「どうしたんですか?そんなに目を丸くして。私の顔に何かついてますか?」
「いえ、何でもありません。今日からよろしくお願いします。草壁先生。」
あれ?俺、普通に人間の言葉を話すこともできるのか。これならもしかしたらサツキちゃんやメイちゃんにお礼を言うこともできるかもしれない。きっとお月さまが願いを叶えてくれたんだ。うれしいな。こうなったら、人間の姿を楽しもう。

 「研究室まで案内しますね。」
バスが到着した先は、東京の大学だった。
「実はうちの娘もこの学校に通っているんですよ。専攻が違うから、私の講義に出ることはありませんが。それにこっちで一人暮らしを始めたものですから、なかなか会う機会もなくて、寂しいものです。」
「娘さん…ですか。」
きっとサツキちゃんのことに違いないと思った。もう大学生なのか、信じられないなと小学6年生だったサツキちゃんのことを懐かしんでいた。
「えぇ、大学生の長女はサツキと言います。次女は小学6年生で、メイって言う名前です。」
メイちゃん、俺が知ってるサツキちゃんと同じ歳になったのか。大きくなっただろうな。会いたいな。
「お二人ともさぞやかわいいでしょうね。」
「えぇ、長女は元々しっかり者で、手のかからない子なんですが、次女が少しわがままで甘えん坊な分、放っておけなくて、ついつい手を焼いてしまいますね。」
「いいなぁ、かわいらしいお子さんが二人もいらっしゃって。自分は独り身なので、子どもに憧れます。」
サツキちゃんとメイちゃんの話に花を咲かせていると、研究室に着いていた。
「楠木先生の部屋は私の研究室の隣ですので、何か分からないことがあれば、いつでも言ってくださいね。」
「ありがとうございます。」
「そうだ、楠木先生の歓迎会をしたいから、今夜うちに寄って行きませんか?長女はいませんが、妻と次女は居りますので紹介します。」
思いの外、早くメイちゃんと再会できることになり、俺は夜が待ちきれなかった。

 それにしても、ひとりになって、研究室のドアのガラス越しに改めて自分の姿を確認したら、なんだかおかしな姿だなと笑えた。身長は…元とそれほど変わらない。2メートルあるかないか。おなかが妙に出ていて、ズボンが窮屈に感じる。人間はいつも服を着ないといけないらしいから、面倒だなと思った。

 初日は講義に出ることもなく、草壁先生のアシスタントをして無事仕事を終えることができた。草壁先生は考古学の教授らしい。俺は年輪年代学が専門らしい。まぁ、木に関してなら、どうにかなるだろうと呑気に考えていた。

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 朝と同じく、草壁先生と一緒にバスに乗って、草壁先生の家に向かった。
「楠木先生、ここが我が家です。古いですが、私は気に入っているんです。子どもたちはお化けのまっくろくろすけを見たこともあるんですよ、ここで。」
まっくろくろすけ?きっとススワタリのことかな。草壁家にはまだススワタリが住みついているのか、きっと居心地が良い家なんだろうな…。
ふと庭に目を向けると、大きな木が何本も生えていた。
「あれは、昔、子どもたちがトトロからもらったとか言って、たくさんドングリを植えたら、あんなに立派に育ったんですよ。知ってますか?トトロ。私はあの森の主だと信じているんです。」
「俺もトトロなら信じてます。そっか、森の主ですか…なるほど。」
まさか自分がそのトトロだなんて言えるはずもなく、草壁さんの話に口を合わせた。
あの時、俺があげたドングリ、こんなに大きくなったのか…。うれしいな。サツキちゃんとメイちゃんが大切に育ててくれて。

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 「おかえりなさい、ようこそ、いらっしゃいませ。楠木先生。」
サツキちゃんとメイちゃんのお母さん、すっかり元気になったみたいで、良かった。あの時、メイちゃんが必死に届けたトウモコロシパワーのおかげかな。
「おじゃまします。草壁先生のお言葉に甘えて、うかがいました。」
「これから主人のこと、どうぞよろしくお願いします。少しおっちょこちょいな部分もあるので、楠木先生みたいな方に支えてもらえたら、安心です。聞いてますよ、年輪学の立派な研究をなさっているそうで。」
「ありがとうございます、草壁先生には敵いませんよ。これから、草壁先生にいろいろとご教示していただきます。未熟者ですが、よろしくお願いします。」

 「お父さん、おかえりなさい、今日の夕飯の支度はメイも手伝ったんだよ!」
エプロン姿のその女の子は二年前に会ったメイちゃんが成長した姿だった。メイちゃん、あの頃のサツキちゃんと同じく、小学6年生になって大きくなったなとしみじみ見とれていた。
「ただいま、メイ。まずはお客様にご挨拶しなさい。」
「えっと、楠木…先生?楠木先生、草壁メイです。父がお世話になっております。」
ペコリとメイちゃんが俺にお辞儀をしてくれた。
「こちらこそ、よろしくお願いします。楠木です。メイちゃん、大きくなったね。」
俺は思わず、初対面では言わない挨拶をしてしまった。
「私、どこかで楠木先生とお会いしたことありましたっけ?」
メイちゃんはきょとんとしていた。
「あっ、すみません。俺の勘違いで。よく似た子を見かけたことがあって。」
「メイは活発な子なので、あちこち飛び回っているので、どこかで見かけたことはあるかもしれませんね。」
メイちゃんのお母さんがそう言って微笑んだ。
「ところで楠木先生って何歳ですか?」
メイちゃんがそんな質問をしてきた。歳?俺の歳はたしか…。
「1310歳だよ。」
「1310歳?!」
メイちゃんはぱちりとまばたきして驚いていた。。
「あはははっ、楠木先生はおもしろい人だ。31歳って履歴書に書いてたじゃないですか。」
草壁先生にそう言われて、人間で言えば俺は31歳なのかと理解した。
「ほんと、楠木先生っておもしろい方ね。」
メイちゃんのお母さんもくすくす笑っていた。

 「今日の夕飯は、お母さんと一緒に天ぷらを作ったの。おばあちゃんの畑で採れたかぼちゃにじゃがいも、さつまいも、たまねぎ、にんじん、それからしいたけ。エビとイカはメイがそこの沢で釣ったんだよ。カンタくんと一緒に。」
「こら、メイ、エビやイカがそこの沢で釣れるわけないでしょ。カンタくんと一緒に釣ったのはザリガニでしょ?」
メイちゃんがえへへへっと笑った。
「すみません、次女はどうも長女と違って、少し子どもっぽさが抜けなくて…。」
「いえいえ、子どもらしくて、良いと思います。サツキちゃんがしっかりし過ぎていただけですよ。」
俺はまたまるで会ったことのあるように、サツキちゃんのことまで口走ってしまった。
「楠木先生ってお姉ちゃんのこと知ってるの?」
メイちゃんがまたきょとんとした。
「あっ、朝、草壁先生から聞いたんですよ。長女のサツキちゃんはしっかり者だって…。」
「お父さんったら、親馬鹿ね。初対面の楠木先生に娘の自慢話だなんて。」
メイちゃんのお母さんがそんなことを言いながら、ご飯とお味噌汁もよそってくれた。
「ありがとうございます。メイちゃんがあげてくれた天ぷらとてもおいしいよ。草壁先生はメイちゃんのこともかわいくて仕方ないって言ってたよ。」
「ほんと?お父さん、メイのことはいつも叱ってばかりなの。いっぱいあるから、おかわりしてね、楠木先生。」
メイちゃんも、お母さんもお父さんもとても温かくてやさしい人たちだった。ご飯もおいしいし、これからは木の実以外も食べてみようと思った。それからまたあの時メイちゃんからもらった甘くておいしい食べ物、チョコと飴を食べたいな…。ここにサツキちゃんもいてくれたら…なんて考えてしまった。

 「あーおなかいっぱい。たくさん食べたら、なんだか眠くなっちゃった。」
メイちゃんは急にゴロンと横になった。
「こら、メイ、お客様の前でお行儀が悪いでしょ。自分の部屋に戻って寝なさい。」
「でも、ついつい食べ過ぎて、動けないんだもん。」
「まったく、しょうがない子ね。」
「気にしないでいいですよ、俺もよく食べたらすぐに寝たくなります。」
メイちゃんがふと俺の膝元に近付いて来た。
「楠木先生って、ふかふかーなんか落ち着く…。」
俺の膝を枕に、うとうと眠り始めてしまった。
「こら、メイ、楠木先生を枕にするなんて、いい加減にしなさい。」
「いいんですよ、俺の膝で良ければ、どうぞ。」
こんなこと、出会ったばかりの頃もあったな…。メイちゃんが眠っていた俺のおなかの上に転がり落ちて来て、一緒に眠ったことがあったっけ…。懐かしいな。また一緒に眠れる日が来るなんてうれしいな…。
「楠木先生のおなか、やわらかくて気持ちいい…。この感触どこかで触ったことある気がする…。」
メイちゃんがぷにぷにっと俺のおなかを触った。
「メイちゃん、くすぐったいよ。」
メイちゃんはニヤっと笑うと、本当にすやすや眠り込んでしまった。
「すみません、楠木先生、メイったら、本当に寝てしまって。」
「大丈夫ですよ、布団まで運びましょうか。」
「ありがとうございます。お願いします。」
腕に抱えたメイちゃんは、4歳の頃と比べたら重くなっていて、成長を実感することができた。12歳になったメイちゃんと再会できる日が来るなんて思わなかった。今日はなんて素敵な1日なんだろう。
「ここにお願いします。」
メイちゃんのお母さんに言われて、布団に寝かせると、
「トトロ…」
なんてメイちゃんが寝言を言っていたから慌ててしまった。俺のこと、覚えてくれているのかな。夢の中に俺が登場しているなら、うれしいな。メイちゃんと再会できてうれしかったよ。幸せだよ。おやすみ、メイちゃん。

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 「楠木先生、最終バスの時間過ぎてしまいましたね。すみません、メイのことでご面倒をお掛けしてしまって。良かったら、今夜は客間に泊まって下さい。」
「そんなの、申し訳ないです。大丈夫です。俺、歩けますから。」
ネコバスでも呼べばいつでもすぐに帰れると思っていた。
「そんなわけにはいきません、天気も悪くなって来ましたし…。明日は雨の予報ですし、是非うちに泊まって行ってください。」
「それではお言葉に甘えて、よろしくお願いします。」
サツキちゃんとメイちゃんの家に泊まれることになった。そして明日は雨らしい。雨の日は楽しみだ。傘に落ちる、あの雨音のメロディーが聞こえるから。しまった、傘を忘れてきた。クスノキのねぐらに置いて来てしまった…。
「お風呂お先にどうぞ。」
あったかいお風呂にも入ることができた。人間って毎日こんな暮らしをしているのか。いいなぁ、ご飯はおいしいし、お風呂は気持ち良いし…。俺も森に帰ったら、お風呂を作ってみようかな。中トトロや小トトロもお風呂に入れてあげたい。

 ホーホーホホーホー ホホホホホホー ホホー ホホホホホホホー
お風呂から上がると、草壁先生がオカリナを吹いていた。その音色を聞いていたら、俺はなんだか森が恋しくなってしまった。
「上手ですね。」
「このオカリナ、少し前に、古物店で手に入れたんですよ。なんだか味のあるオカリナだなと思って、思わず買ってしまいました。」
「オカリナは良いですよね、俺も時々吹いてますよ。」
「そうなんですか、じゃあ、是非楠木先生のオカリナの音色も聞いてみたいです。良ければ吹いてもらえませんか?」
そう言って、草壁先生からオカリナを差し出されたものだから、吹かないわけにはいかない。
ホーホーホホーホー ホホホホホホー ホホー ホホホホホホホー
「すごい、お上手なんですね。感情がこもっているというか…。昔どこかで聞いたことがある気がします。その音色…。」
俺は思わずドキっとした。もしかしたら、草壁先生は俺が森で吹いているオカリナを聞いたことがあるのかもしれないと思って。
「本当に上手だなぁ、私も楠木先生みたいに吹けるようになれたらな。」
「草壁先生のオカリナも十分、お上手ですよ。」
縁側に座って、森を眺めながら、草壁先生と一緒にオカリナを吹いていたら、また森が恋しくなってしまった。今夜は曇り空だから、お月さまも見えない…。寂しいな。人間の暮らしは快適で温かいけど、やっぱり俺は森の方が好きだな。人間よりもトトロの姿の方が自分らしくて好きだなと気付くことができた。

 「やっぱり今日は予報通り雨かぁ。」
「いってきまーす!」
メイちゃんが風のように、玄関に立つ俺の横を駆け抜けた。
「メイ、傘忘れてるわよ、まったくお父さんに似ておっちょこちょいなんだから。」
「急いでたから、忘れちゃった。」
「楠木先生も忘れないように、メイが貸してあげるね。」
そう言って、メイちゃんがかわいらしい花柄模様の傘を差し出してくれた。
「メイ、楠木先生にはメイの傘じゃなくて、大人用の傘を貸すから。」
「その傘、すごいんだよ、願いが叶う傘だから、お気に入りなの。」
「願いが叶う傘?」
「うん、トトロに会いたいってその傘に願ったら、会えたの。二年前に。だから貸してあげる。」
「へぇーそうなんだ…。魔法の傘だ。」
「そう、魔法の傘!じゃあ行ってきます!遅刻しちゃう。」
「そうそう、楠木先生、これもあげる!」
長靴を履いて傘を差したメイちゃんはくるりと戻って来て、俺に何かを手渡してくれた。それはあの時メイちゃんがくれたチョコと飴だった。俺が食べたかったチョコと飴…。
「すみません、先生、そんな子ども染みた傘じゃなくて、どうぞこちらを使って下さい。」
「メイったら、いつもポケットにいっぱい何やら入れて歩いているんですよ。学校におかしなんて持って行っちゃダメって叱ってるのに、まったく…。」
メイちゃんのお母さんが大人用の傘を差し出してくれたけれど、俺はなんだか魔法の傘を使いたい気持ちになっていた。
「いいんです、これで。メイちゃんが貸してくれた魔法の傘を持って行きます。」
「楠木先生、身体大きいから、そんな小さな傘じゃ濡れてしまいますよ。」
「濡れるのは慣れてますから…。傘は音が聞ければいいんです。」
「音?」
「そう、雨の音です。雨音のメロディーです。」
「楠木先生は本当におもしろい人だな。じゃあいってきます。」
「いってらっしゃい。」
「お世話になりました。ご飯ご馳走様でした。おいしかったです。」
「またいつでもいらしてくださいね。」
メイちゃんのお母さんに挨拶すると、草壁家を後にした。

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 「雨音のメロディーってこれのことですか?」
草壁先生が傘に当たる雨の滴を指さして尋ねてきた。
「これも素敵な音ですが、もっとすごいオーケストラも聞けるんですよ。」
「雨のオーケストラですか?」
「バス停に着いたら教えます。」
魔法の傘に「サツキちゃんに会えますように…」とお祈りしながら、バス停へ急いだ。バス停の近くには木々が茂っていた。サツキちゃんと出会った時みたいに、木々を揺らして、草壁先生に雨音のオーケストラを聞かせてあげよう。
「ちょっと待っててくださいね。」
俺は思いきりジャンプして、地面に振動を呼び起こそうとした。
「あれ?」
人間の身体でジャンプしたところで、地面は微動だにしなかった。
「すみません、今日はうまくいかないな…ちょっとそのまま待っててください。」
俺は傘を畳んで、思い切り両手で近くの大木を揺らした。トトロの姿でジャンプした時ほどではないけれど、木々からたくさんの雨粒を落とすことができた。
ザーっと草壁先生の傘に雨粒が滴り落ちた。
「なるほど、こういうことですか。たしかにオーケストラだ。雨音のメロディーだ。教えてくれてありがとうございます。でも楠木先生、ずぶ濡れじゃないですか、大丈夫ですか?」
「濡れるのは慣れてるので、平気です。」
間もなくバスが来ると、バスの中で草壁先生はタオルを貸してくれた。
「いくら慣れていても、風邪引いてしまいますよ。」
「すみません、ありがとうございます。」
濡れた身体を拭いているうちに、ふとポケットに何かが入っていることに気がついた。
「ハンカチとヘアゴム…」
そうだ、これは二年前にメイちゃんが貸してくれたハンカチとヘアゴムだ。これをいつかメイちゃんに返さなきゃって思ってたんだ。渡しそびれてしまったな。

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 くしゅん、とくしゃみが出たら、大学に到着していた。
「やっぱり、風邪をひいてしまったんじゃないですか?大丈夫ですか?今日は無理しなくていいですからね。」
「すみません、大丈夫です。人間の身体って弱いんですね。」
草壁先生はきょとんとした顔をした。
「やっぱり楠木先生はおもしろい方だ。今日の午後の講義のお手伝いは治ったらで構いませんから。午前は安静に休んでくださいね。」
「ありがとうございます。」
人間の姿に慣れていないとは言え、草壁先生に甘えっぱなしではいけない。こんな時は、ドングリと薬草をすり潰したものを飲めば、すぐに良くなるのにな。ドングリと薬草、どこかに落ちてないかなぁ。大学の裏庭を探してみようかな…。
俺は微熱も出て少しほてる身体のまま、メイちゃんに貸してもらった傘を差して、それからメイちゃんからもらった飴を舐めて、広い裏庭に飛び出した。
「ひさしぶりの飴は甘くておいしいなぁ。あっ、クヌギの木…。」
あった、ドングリだ。なんだ、東京って街中にもドングリはあるじゃないか。雨に濡れたドングリを拾うと、次は薬草を探した。
「さすがに薬草はないか…。」
あれっ、なんだかフラフラする。目がぐるぐる回る。人間の身体ってほんとに弱いんだな…。どうしよう、草壁先生にまた迷惑をかけてしまう…。なんて考えていたら、
「大丈夫ですか?」
と誰かから声を掛けられた。
「もしかしたら…楠木先生?」
顔を上げると、そこにはメイちゃんのお母さんによく似た女の人が立っていた。もしかして…サツキちゃん?
「楠木先生ですよね、父がお世話になっています。」
やっぱりサツキちゃんだった。大きくなったというか、お母さんにそっくりだった。
「どうして俺のことを…。」
サツキちゃんは俺を起こしながら教えてくれた。
「ゆうべ遅くに、妹から電話がかかって来たんです。今日、お父さんの職場の人がうちに来たって。楠木先生って言って、大きな人でやさしくて、おなかが柔らかくて温かくて、深緑色の服を着ていて、それから…トトロみたいな人なんだよって。メイ…妹ったら、夜中なのにはしゃいで。」
「そうだったんだ、トトロみたいな人か…。」
メイちゃん、俺のこともしかしたら気付いてくれていたのかな。そうだとしたら、うれしいな。
「トトロなんて言っても、ご存じないですよね。」
「そんなことないよ、知ってるよ、トトロ。森の主なんだよね。」
「そうなんですか!うれしいです。さすが年輪年代学が専門なだけあって、森に詳しいんですね。父が少し前に教えてくれたんです。もうすぐ年輪学の先生がこの大学にやって来るから、こっそり講義に出てみたら良いよって。」
裏庭近くのカフェスペースのベンチに座らせて休ませてくれた。
「森のことなら、大抵知ってるよ。特にクスノキのことなら任せて。」
「そうなんですか、私は専攻が文学なんですが、話の中に出てくる神木について調べようとしていたので、心強いです。それにしても、その傘ってメイの傘ですよね?どうしたんですか、そんなに小さな傘。」
いつの間にか、サツキちゃんはあったかい紅茶を自販機で買ってくれて、飲ませてくれた。
「ありがとう、身体があったまったよ。そうなんだ、これは今朝メイちゃんが貸してくれたんだ。魔法の傘だよって。本当に願いが叶った。すごいね、この傘。」
「そう言えば、二年くらい前に、その傘にお願いしたらトトロに会えたとかって言ってメイ喜んでました。楠木先生は何、お願いしたんですか?」
俺はサツキちゃんからもらった紅茶をごくりと飲み干すと、サツキちゃんに向かって言った。
「サツキちゃんに会えますようにって。そしたら、ほんとに会えた…。」
「えっ?私に?」
「うん、会いたかったんだ、ずっと。」
「ずっと?」
サツキちゃんは不思議そうな顔をして、少しの沈黙の後、俺の顔をじっと見つめて、
「もしかして…トトロ?なんてまさかね。」
とおどけて微笑んだ。
「私も、お会いしてみたかったです、楠木先生。そうだ、出会えた記念に写真撮ってもいいですか?私、写真部に入っていて、カメラ持ち歩いているんです。」
サツキちゃんはカメラを準備すると、俺に向けて数回シャッターを切った。
「現像したら、楠木先生にお渡ししますね。ところで、体調大丈夫ですか?具合悪いのにすみません。私ったらついついはしゃいでしまって。」
「サツキちゃんに会えたら、すっかり元気になったよ。ありがとう、もう大丈夫だよ。」
ふとベンチから外を見ると、降り続いていた雨はすっかり止んでいた。
「雨止んで良かったですね。」
「うん、でも少しだけ寂しいな。雨音が聞こえなくなるから。」
「雨音?」
「そう、雨の日は傘を差すと雨音のメロディーが聞こえるでしょ?」
「言われてみれば…。楠木先生って雨音好きなんですね。まるでほんとにトトロみたい。」
サツキちゃんがくすっと笑った。
「雨の音は聞こえなくなったけど、でもほら今度は七色の虹が…。」
いつの間にか太陽が照り出して、空には大きな虹が架かっていた。
「ほんとだ、今度は虹の、なないろのメロディーが聞こえるね。」
「そうですね、虹のメロディー、なないろのメロディーが聞こえる…。」
虹を見上げるサツキちゃんの横顔が一瞬あの頃、子どもの頃のサツキちゃんに見えて、俺はドキっとしてしまった。
「サツキちゃん、この魔法の傘、メイちゃんに返してもらえるかな。それからこのハンカチとヘアゴムも。」
俺はポケットからハンカチとヘアゴムを取り出すと、サツキちゃんに託した。
「直接メイに返してあげてください。楠木先生にまた会えるの、楽しみにしているみたいなので。」
「でも、また返しそびれると悪いから、今度はサツキちゃんに頼むよ。」
「また?今度はって…?」
メイちゃんとサツキちゃんに会えた今、人間として残された自分の時間は長くない気がして、メイちゃんから借りたものはサツキちゃんにすべて渡した。
「サツキちゃん、会えてうれしかったよ。あの時は本当にありがとう。」
「あの時…って…」
「雨音のメロディーを教えてくれたのは、サツキちゃんだから。そして今日は虹のメロディー、なないろのメロディーも教えてくれた。」
「楠木先生…また会えますよね?講義楽しみにしてますから。」
「うん、きっと、またね。サツキちゃん。メイちゃんによろしく。」
幸せな気持ちで自分の研究室に戻ると、どうしようもなく眠たくなってしまって、うとうとしてしまった…。

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 目覚めると、クスノキのねぐらに戻っていた。人間の姿からいつものトトロの姿に戻っていた。夢だったのかな…。サツキちゃんとメイちゃんに会いたいってお月さまに祈ったことさえ、夢だった気もする…。

 少しだけ丸くなった三日月を見上げながら、オカリナを吹き始めた。

ホーホーホホーホー ホホホホホホー ホホー ホホホホホホホー

 トトロの側には一粒のチョコがドングリに混じってコロンと転がっていた。

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 写真を現像していたサツキは驚いた。昼間写したはずの楠木先生の姿はみじんもなく、トトロが写り込んでいたから。
「メイ!たいへん!私、トトロに会っちゃった!」
サツキは慌ててメイに電話をした。
「お姉ちゃん、トトロに会えたの?どこで?お姉ちゃんばっかりズルイ!」
「楠木先生がトトロだったの!大学でばったり会って、メイによろしくって。傘とハンカチとヘアゴム渡されたの。」
「傘とハンカチとヘアゴム…?」
「そう、傘とハンカチとヘアゴム!」
「今朝貸したのは傘だけだよ。ハンカチとヘアゴム…ハンカチを使ったてるてる坊主なら二年前にトトロに渡したことがある!」
「すごい!本物のトトロだ!ハンカチの中にドングリもあったよ。きっとメイへお礼じゃない?」
「楠木先生…じゃないや、トトロ、またうちに来てくれるかなぁ。トトロのおなかあったかくて、寝心地良いんだよ。」
「私、トトロの講義受ける予定だから、会えたらまた連絡するね!」
驚きと喜びと幸せな気持ちでいっぱいのサツキとメイはそれぞれの布団の中で、その晩、素敵な夢を見ていた。トトロと一緒にコマに乗って空を駆け巡って、月明りの下、一緒にオカリナを吹いて、それからクスノキのねぐらでトトロのおなかの上で一緒にまどろんで…。

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 目覚めると、サツキもメイもお父さんもお母さんも誰も楠木先生のことを覚えていなかった。サツキが撮ったはずの写真には何も写っていなかった。
 サツキの部屋にはなぜかメイの傘とヘアゴムと古ぼけたハンカチに包まれたドングリが残っていて、なぜメイのものが自分の部屋にあるのかどうしても思い出せなくて、それらを見たサツキはなぜか無駄に胸が騒いで、たまらなく感傷的な気持ちに襲われていた。

 今朝も昨日と同じく雨降り。しとしと雨。雨音のメロディー…。
サツキはメイの傘、魔法の傘を差して大学へ向かった。
「子どもの頃に出会ったトトロといつかまた会えますように…。」
そんなことを祈りながら、雨音のメロディーに耳を澄ませていた。

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メイとトトロの再会~子猫と飴のてるてる坊主~はこちら。

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