どうせやるなら気持ちよくやるべし - 父からの金言
前回投稿で少し父に触れた際、この金言が頭によぎった。
私が小学生だった時。
どこの家庭でもある様に、母からよく「ちょっと洗濯物畳んでおいて―」「食器下げるの手伝って―」というお呼びの声がかかる。
それに対して、一言目に必ず「えー」と言う自分がいた。
最後には絶対手伝うのに。
その会話を聞いていた父から言われたのがこの言葉だ。
「どうせやるなら最初から嫌な顔をせずに気持ちよくやったらどう?
なんかもったいなくない?」
この何気ない一言が強烈に印象に残っている。
小学生の心に文字通り突き刺さった。確かにそうだなと。
世の中には「やりたくないけど、時にやらなければならないこと」がある。
予定があるのに終業時間間際に振ってくる作業。
顧客からの理不尽な要求。
夕飯の準備中に無いことに気が付いた食材の買い出し等々。
挙げ始めればきりがない。
そんな時。
嫌だろうが何だろうが最終的にやるのであれば、グダグダ言わずに気持ちよく「やりますよ!」という。ただこれだけ。
そうすると何が起きるか?
普通の相手は「ありがとう!」とか、「いや、悪いね。今後借りは返すよ!」となる。
何となくこんな感じ。
その場全体がハッピーになり、それが連鎖し、周り回って何かしらの形で自分に返ってくる。
一方、何かを頼まれた際に「いやー」とか「でもー」とか言い出すと、
「あれっ、やりたくない?嫌ならいいけど?」
「いや、そういう訳じゃないんだけどさ。今これしてて。」
「(若干イラっとして)私だって今手が離せないんだけど。
けど、じゃいいよ。私が自分でやるから。」
「(こっちもイラっとして)いや、そこまでいうなら俺がやるよ」
ネガティブな雰囲気が流れ、全く同じことをやったとしても「もうあいつには頼まない」と感謝されないばかりか、評価がマイナスにすらなる。
何となくお互いこんな感じ。
たった一言。
何かを請け負う時の最初の一言の「気持ちよさ」を変えるだけで、全く同じことをしてもこれだけ評価が変わる。
もしこの金言を知らなかったら?
もしこれを知らずにその後の30年を過ごしてしまっていたら?
想像するだけでゾッとする。
追伸
何度か娘にも言ってみたが、まだ彼女には刺さっていないようだ。。。
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