リーダーとは選択の連続であり、永遠に終わらない旅路である
Do you love your wife?
愛はいつから愛に変わるのか?
私が大好きなリーダーシップに関する動画があります。
対談形式で進む動画で、
「Do you love your wife?」
という質問から始まります。
質問をされた男性の答えはもちろん「Yes」。
すると更なる質問が来ます。
「それが確信に変わったのはいつですか?」
という質問です。
動画では質問をされている方が既婚男性なので「Wife」となっていますが、
皆さんにとっては夫かもしれませんし、
ボーイ/ガールフレンドかもしれませんし、
はたまた両親かもしれません。
皆さんは、
「皆さんにとって今大切な人が、大切になった瞬間はいつですか?」
「『好き』が『愛してる』に変わった瞬間はいつですか?」
と聞かれたら、どう答えますか?
相手が恋愛対象の場合は、
初めて会った瞬間という答えもあるかもしれません。
しかしおそらく多くの人が、
答えに困るのではないでしょうか?
それはなぜかというと、一般的に、
愛や信頼といった目に見えない人と人との関係性は、
日々の連続した何気ない出来事の積み重ねを経て形成されるからです。
これが正しい場合、
「プレゼントをくれた」
「旅行に連れて行ってくれた」
というような断片的なイベントよりも、
「困った時にいつもそばにいてくれるから」
「自分の話よりもいつも私の話を聞いてくれるから」
「一緒に時間を共にしている中で自然と」という、
日常の関係性がより重要となります。
挫折するダイエット
もう一つ例を挙げましょう。
最近運動不足で体重が気になりだした皆さんは、ジムに通い始めました。
気合いを入れてアンダーアーマーやルルレモンでウエアを買い、
ジムで身体を動かします。
ひとしきり汗をかき、シャワーを浴び、そして鏡に映る自分を見ます。
そこで質問です。
「ジムに行く前と後で、目に見える変化はありますか?」
例えお風呂上がりで多少肌ツヤが良くなる事があっても、
通常ジムに一度行ったくらいで目に見える効果は得られません。
その後1週間、1ヶ月、3ヶ月と続けて初めて、
ある日突然友達から、
「あれ、痩せた?」
と言われるものです。
その日を待てないと、残念ながらダイエットは失敗します。
積み木というよりドミノ
リーダーは一日にしてならず
リーダーシップにも同じことが当てはまります。
つまり、リーダーシップは日々の積み重ねだと言うのです。
皆さん、リーダーシップ研修で無人島に行き、
そこで色々なワークショップを通じて
リーダーシップとは何かを学び、経験したとします。
その翌朝目を覚まして鏡を見ると、
偉大なリーダーになっていると思いますか?
残念ながら、答えはノーです。
研修ではリーダーに求められる思考、行動、マインド、
そして具体的なツールやテクニックを学ぶ事が出来ますし、
それ自体は間違いなく欠かせないステップです
(事実私もそれを一つの生業にしています)。
しかし、それはゴールではなく長い旅路のスタートに過ぎません。
失うのは一瞬
しかもそのリーダーシップの旅は、積み木よりもドミノに近い。
積み木は1番上のブロックを積み損ねても、
そのブロックが落ちて終わりです。
しかしドミノは、一つ一つを本当に丁寧に慎重に置かないと
一つのミスが今まで並べたドミノまで倒していきます。
「信用・信頼は積み上げるのには時間がかかるが失うのは一瞬」とは
正にこのことです。
もちろん毎日毎日ドミノを並べていると、
集中力を欠く時もあれば、
疲れてイライラする事もあります。
しかしドミノはそんなことを気にしません。
皆さんの疲労度に関わらず、
雑にドミノを置けば倒れますし、
そのドミノはその何倍ものドミノをなぎ倒していきます。
リーダーシップも一緒です。
上がり続ける目標
思い通りに動かない部下
頼りにならない上司
要求が細かいクライアント
等々
リーダーは常にストレスに晒されています。
そんな中でも、リーダーの言動は常に周囲に見られています。
毎朝職場に来た時の表情や挨拶の声のトーン、
SlackやTeamsなどのチャットで送る一つ一つのメッセージ、
打ち合わせや1on1での発言。
全てが注目され、記憶され、時には記録され、周囲に影響を与え続けます。
残念ながら、疲れていた、忙しかったという言い訳も通用しません。
選択の日々
本音を伝えるのは正しいのか?
私は昔から比較的考えてから話すタイプでした。
それを見抜いた上司から、
「お前は何を考えているかわからない」と言われた事もあります。
それから10年以上経った今でも、
私は一つ一つの言動を慎重に選択している自覚があります。
「このメッセージを送る事で、本当に組織のあるべき姿に近づくのか?」
「フィードバックと言いながら、単にイライラをぶつけていないか?」
「ここで口を出す事で、成長の機会を奪ってしまわないか?」
「逆に無駄に優しく過ぎてしていないか?」
「どんなメッセージをどんなストーリーで伝えるのが1番効果的か?」
「一晩寝て明日冷静にこの文章を見ても、ベストと言えるか?」
ほぼすべての言動に対して、事前にこういった自問自答をします。
しかもこれは仕事に留まらず、プライベートでも続きます。
一つ一つの言動に対して、
「親世代の価値観を子供に押し付ける事にならないか?」
「本当に自分の考えが正しいのか?」
「自分は悪いと思わないけど、まずは謝る方がいいか?」
「ここはしっかり自分の考えを伝えておいた方がいいか?」
「そもそもどちらが正しいという議論は本質的に必要なものなのか?」
等々。
こんな事をプライベートでも考えていると、
「疲れそう。。。」
「さすがにやりすぎでしょ」
「本音がわからないから嫌だ」
というような声も聞こえてきそうですねw
実際私自身、人としてどうなんだろうと思ったことも何度もありますし、
自分自身もこれが本当にいい事なのかはまだわかっていません。
但し、「本音というのはあくまで他の何かを達成するための手段であり、目的にはならない」というのが持論で、比較的それはしっくりきています。
実際、
「言いたいことがあるなら言ってよ」という定番の問いに対し、
何も考えずにそのまま答えて、物ごとが上手く進んだ例を私はあまり知りません。
私自身一度そう言われた経験があり、
思っていることをそのまま包み隠さず伝えたら、
もはや修復不可能になってしまった苦い経験があります。
本音を建前に置き換える必要はありませんが、
今発信しようとしている言葉を一度自分の中で反芻し、
その言葉が引き起こすだろう影響を想像し、
それが本当に双方が望む結果なのかを確認し、
仮にそこにギャップがある場合は、少なくとも伝え方を工夫する。
個人的にはこの程度の配慮はプライベートでも必要だと思っていますし、
例えプライベートでは任意でも、
組織の進むべき方向に率いていくリーダーとしては間違いなく必須だと思っています。
リーダーは孤独である
繰り返しになりますが、リーダーは文字通り一挙手一投足の全てを意図的に選択します。
それを一瞬ですることもありますし、1日かけることもあります。
正直しんどいですよね。
但し、リーダーとは「役割」であり「機能」であるので、
この考え方に個人的に賛成だろうが反対だろうが、
こういった選択がリーダーとして必要と思うのであれば、
これをリーダーの責務として、やり続ける覚悟が必要です。
そういった意味で「リーダーは孤独である」というのは本質をついているのかもしれません。