小説『時をかける彼女』④

第4話「ということは、ノストラダムスの大予言、外れてるじゃん」

7月頭の期末テストが終わった翌々日は久しぶりの火縄銃の練習日だった。 
期末テストが終わると夏休みまではクラブ週間だ。朝、出欠をとってホームルームをやると、あとはクラブ活動をやるだけとなる。 
3年生はクラブ活動から実質的に引退しているので、ホームルームを終えるとすぐに帰宅するか図書館に行く生徒が多い。 
その日、ケンジは一度家に帰ってからギターを担いでスタジオに向かった。8月末に開催されるEAST WESTまであと1か月余り、メンバーはみな気合いが入っている。
EAST WESTでの演奏は十分以内だったら何曲演奏しても構わないというルールだ。ケンジたちは散々悩んだ結果、セックス・ピストルズのベーシストだったシド・ヴィシャスの「MY WAY」とオリジナル曲の2曲で勝負することにした。
「MY WAY」はフランク・シナトラの往年のヒット曲をパンク風にアレンジしたもので、これがすごくカッコいい。オリジナルはケンジが曲を作り、メロディに合わせて葉月が後から歌詞を書いた。 
葉月によるとラブソングということだけど、歌詞はSNSとかフェイスブック(顔の本ってなんだ?)とか意味不明な言葉のオンパレードで、その意味不明なところがパンクだということでみんな気に入っている。タイトルは「インスタLOVE」。 


この日は「MY WAY」と「インスタLOVE」を集中的に練習した。 
葉月が火縄銃の練習に参加するのはこれで5回目だ。いまではすっかりみんなに溶け込んでいる。 
それにしても、出会ってから2か月もたっていないのに葉月は驚くほど大人っぽくなった。男子校にいるからよく分からないけど、この年代の女の子はみんなこんなに早く成長するものなのだろうか。
胸もひと回り大きくなり、国井はもちろん、ケンジも清水も葉月と話すときに目のやり場に困るようになった。前に清水が言ってたように、スージー・クワトロみたいに革ジャンを着て前のファスナーを下げたら、しっかり胸の谷間が見えるだろう。賭けてもいい。その姿を想像したことがあるのはケンジだけではないはずだ。
「もう優勝間違いないな」
清水は練習後、喫茶店でタバコを吸いながら宣言するように言い、みんな大いに盛り上がった。
葉月がメンバーに加わる前にも国井が同じことを言っていた。ここに岩澤がいないのが残念だが、どうしようもない。
「なあ、これから俺んちで『ぎんざNOW!』を観ないか?」 
喫茶店を出て、飯能まで帰る国井を見送った後、自転車にまたがったケンジに清水が声をかけて来た。大学受験を控えた高校3年ではあるけれど、もうすぐ夏休みだということで開放的な気分だった。
「いいけど、葉月はどうする?」
荷台に座った葉月に聞く。
「なんだよ、そのギンザナウって?」
「えー、ハーちゃん『ぎんざNOW!』も知らないの? 驚いた。ハーちゃんってナウじゃないねえ」
「テレビ番組だよ。バンドとか出てくるんだ」
ケンジが説明した。
「へ~え。みんなで集まってテレビ観るなんて面白いことすんだね」
「で、行くの? 行かないの? もう始まっちゃってるから急がないと」
「なんだか面白そうだから行く」 
清水の家は表通りに面した建物が歯科医院になっていて、裏が自宅になっている。
大きな窓から歯科医院の待合室が見えた。待っている人がたくさんいる。イスが空いてなくて立っている人もいた。相変わらず繁盛しているようだった。
ケンジは患者用の自転車置き場に自転車を停めて、葉月とともに裏に回った。自宅の脇には患者の目を避けるように高価そうな外車が停めてあった。 
清水の部屋にはテレビがあった。これなら家族とチャンネル争いをすることなく、好きなテレビ番組が見られる。いやらしい深夜番組も好きなだけ観ているらしい。
深夜番組なんて、ケンジは誰もいないタイミングを見計らって、居間でたまに観るくらいだ。それだって音量を最小限に絞って、家族が来たらすぐに消せるようにテレビの近くで中腰の姿勢で観ている。
もっとカネが欲しいと思う。
ケンジと清水はビールを飲んだ。葉月には麦茶が出てきたが、一口飲んで「なんで麦茶が甘いんだよ!」と大声で文句を言い、それ以上口をつけなかった。
『ぎんざNOW!』を観ながら清水はいつになくはしゃいでいた。『ぎんざNOW!』が終わった後もレコードを聴いたりして盛り上がった。
葉月は驚いたことにステレオを見るのが初めてらしく、ターンテーブルで回るLPに顔を近づけて不思議そうに見ている。 
清水の部屋にあるステレオは結構いい音がしてうらやましい。そして、清水のステレオのさらに上を行くのが小林の部屋にあるどデカい4チャンネルステレオだ。初めて聴いたときは、大げさではなくコンサートホールにいるような錯覚を覚えたほどだ。 
それにひきかえ、ケンジの家にあるステレオはオモチャに毛が生えたような代物だ。しかも、妹も聴くからと、ケンジの部屋ではなく応接間に置いてある。
もっともっとカネが欲しいと痛切に思う。しかし、月五千円ぽっちの小遣いでは、スタジオ代とギターの弦やピックの費用、タバコ代でほとんどなくなってしまう。
一時は長期の休みのときだけじゃなく、普段もバイトをやろうかとも思ったが、バイトをしたら父親から留学費用の借金返済を求められることが目に見えているのであきらめた。
「ホント、ハーちゃんって面白いよな。どんな暮らしをしてるんだよ」
ビールで顔を赤くした清水が軽口を叩く。
「ねえ、誰にも言わないからさ、本当はどこに住んでるの?」
「どこだっていいじゃん」
葉月はターンテーブルに目を落としたまま面倒くさそうに応える。
「頼むから教えてくれよ」
酔っ払った清水はしつこい。
「やだ」
「ねえねえ」
「しつけーんだよっ」
葉月が突然大声を出した。
「あ、ごめん」
清水はいきなりションボリした。 
それにしても葉月はなぜこうまで頑なに自分の住まいを教えたがらないのか。自分の住まいだけじゃない。いまは学校を休んで川越の親戚の家にいるという話だけど、その親戚の家の場所すら教えようとしない。ケンジが自転車で送っていっても、裏山がある川越公園の入り口で「ここでいい」と言い、いつもそこで別れていた。
「もう7時かあ」
清水はバツの悪さをごまかすように壁にかかった時計を見てつぶやく。
「えっ、もうそんな時間?」
葉月はあわてて立ち上がった。
「どうした? 門限か?」 
葉月はケンジの質問には応えず「帰るよ!」とケンジを急かした。 


挨拶もそこそこに葉月に追い立てられるように清水の家を出た。背後から「急げ」と急かされながら自転車を飛ばす。
「お前の親戚の家、そんなに門限うるさいのかよ。なら家の前まで送るわ」
「いつものところでいい」 
葉月はどうしても住んでいる所を知られたくないらしい。 
川越公園の入り口に着くと、葉月は「ありがと」と言って公園のなかに駆け込んで行った。いつもならここでUターンして帰るところだ。しかし、ビールで酔っ払って大胆になったケンジは、自転車を漕いで葉月の後を追った。 
きっと川越公園を抜けた先に葉月の親戚の家があるのだろう。今日こそは突き止めてやる。ケンジは刑事ドラマに出てくるカッコいい俳優になった気分でペダルを漕いだ。 
ポツリポツリと街灯が立つ薄暗い公園を走る葉月の背中を少し距離をあけて追いかける。葉月が走る先に神社があり、その参道の先に公園の出入り口があるので、やはりそこから公園を抜けるつもりだろう。 
しかし葉月は鳥居を潜って出入り口に向かって参道を走ったかと思うと、急に立ち止まった。ケンジはあわててブレーキを踏み、滑り台の陰に身を潜めた。 
そっとのぞいてみると、葉月は鳥居のほうに向き直り、なにをしているのかしばらくうつむいていたが、突然鳥居に向かって走り出した。
「えっ?」 
ケンジは思わず目をこすった。鳥居を走り抜けた瞬間、突然鳥居の近くに生えていた木の枝が大きくしなった。鳥居から離れたところに生えている木は静かなままだ。要するに、鳥居のあたりだけ強風が吹いたのだ。そして、鳥居を走り抜けたはずの葉月の姿が消えていた。 
滑り台から鳥居までは20メートルもない。薄暗いとはいえ、あたりにさえぎるものはなく、彼女の姿を見失うはずはない。
「幽霊じゃん・・・・」 
初雁高校で噂される少女の幽霊のことが頭をよぎった。状況的には葉月は噂の幽霊そのまんまだ。しかし葉月は幽霊ではない。多分。 
ケンジは自転車を停めて、恐る恐る鳥居のところに歩いて行った。鳥居の下であたりを見回す。やはりどこにも葉月の姿はない。隠れるところもなかった。 
狐につままれたような気分だった。さっき、葉月がうつむいてたたずんでいたあたりまで行き、同じようにたたずんでみた。そして鳥居に向かって走った。
鳥居を潜るときに心臓がドキドキしたが、なにも起きず、そのまま賽銭箱の前にたどり着いただけだった。 
立ち止まって鳥居のほうを振り返った。薄暗い参道に真っ赤な鳥居が何事もなかったようにたたずんでいる。
ケンジはなにがなんだかわからなかった。
 
翌日、ホームルームが終わるとケンジは裏山に直行した。葉月は毎日のように裏山に登っているので、行けば会えるはずだ。葉月に会って昨日のことを問い詰めなければならない。 
まだ早いからか、葉月の姿はなかった。ベンチに座ってセブンスターに火をつける。アブラゼミの鳴き声が降るように聞こえた。ケンジは汗を拭いた。 
一時間ほどして葉月が登ってきた。珍しく制服を着ている。でも、最初に会ったときに着ていた制服とは違う。最初に会ったときはセーラー服だったが、いまはブレザーの制服だ。
「転校したのか?」
「まあね」 
言いたくなさそうな顔をしているのでそれ以上は聞かないことにした。登校拒否の末に転校とは、葉月もいろいろあるのだろう。
そもそも聞きたいのはそんなことじゃない。
「なあ、焼きそばでも食いに行かないか」
今日5本目のセブンスターを吸ってから葉月を昼飯に誘った。 
公園内にある駄菓子屋兼焼きそば屋に向かった。トタン屋根の、見るからにみすぼらしい造りの店だが、太麺の焼きそばは、ケンジの小学校以来のお気に入りだ。値段が安いのも万年金欠病のケンジにはありがたかった。
開けっ放しになっている引き戸から薄暗い店内に入った。細長い紙をヒラヒラさせて扇風機が首を振っている。 
テーブルに向き合って丸イスに座り、出てきたじいさんに大盛りと普通盛りを注文する。
焼きそばが来るまでは火縄銃についての他愛もない話をした。問い詰めるのは焼きそばが到着してからだ。葉月が焼きそばに気を取られているうちに真実を聞き出すのだ。
焼きそばが到着し、葉月は「美味しそう」と歓声をあげた。
「なあ、葉月ってさ、どこに住んでるの?」
ケンジは下を向いて焼きそばを箸ですくいながら、さりげなく尋ねた。
「しつけーな。だからこの近所だって」
葉月はうつむいたまま面倒くさそうに応える。想定内のリアクションだった。ケンジは事前に決めていた通りに話を進める。
「そこの神社って、幽霊が出るって学校で噂になってんだよな。女の子がいたと思ったら突然消えたり、逆に突然現れたり・・・・」 
葉月はチラッとケンジのほうに目を向け、すぐにまた焼きそばに目を落とした。
「昨日、見ちゃったんだわ。葉月が鳥居の所で消えるの」
ケンジはそこまで言うと黙って焼きそばを食べることに意識を集中した。あとは食べ終わってからだ。 
葉月も黙って食べ続けた。最後に皿に残った焼きそば数本を箸でかき集めて口のなかに放り込んで咀嚼しながら「チョーめんどくさい」と言い、それまでひとくちも飲まなかったグラスの水を飲み干して大きな音を立ててテーブルに戻した。
「もういいよ、本当のこと言うし。その代わり、ケンジ、信じられないなんて言ったら許さねえから」 
ケンジもつられてコップの水を飲み干してうなずいた。
「あたしが住んでるのは本当にこの近所だよ。でも時代が違う。あたしが住んでるのはいまから三十七年後の川越なんだ」
「なんだそりゃ? ふざけんなよ」
「ふざけてねえよ。じゃあ、鳥居のところで消えてあたしがどこに行ったと思ってんだよ」
「それが分かんないから聞いてんだよ」
「だ・か・ら!」
葉月が声を上げた。
「三十七年後の川越に帰ったんだって」
「・・・・」
ケンジは「ふざけんな」以外の言葉が思いつかずに黙り込む。
「だいたいさ・・・・」 
葉月は脇に置いたバッグを膝に乗せてファスナーを開け、機械を取り出した。練習風景を撮影したり、ピストルズの映像を流したりしたすごい機械だ。
「これ、スマホっていうんだけどさ、こんな機械、見たことも聞いたこともないってみんな言ってたよな。こんなの、この時代にあるわけないじゃん。これがなによりの証拠だろ?」
「いや、この機械は確かにすごいよ。それは俺だって認めるわ」 
最近、音楽好きの間では、寄ると触るとこの7月にソニーから出たウォークマンの話題で持ちきりだ。しかし、葉月のスマホとか言う機械よりはるかに大きいそれは、音楽の再生ができるだけで撮影はおろか録音もできない。
「でも、だからって葉月が未来なら来たなんて、話が飛躍しすぎだわ」
「結局信じないじゃんかよ」
葉月はほおづえをついてケンジから目をそらした。口を尖らせ、腹が立つほど憎たらしい顔をしているが、生意気な表情が可愛らしくもあった。そして、切れ長の大きな目がやはり恵に似ていた。
「葉月って目がデカイよな」
思わず話の流れとはまったく関係ない言葉が口をついた。
「関係ないじゃん」 
葉月はため息をつくと素早い指さばきでスマホとか言う機械を操作した。セックス・ピストルズの「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」が始まった。
「ピストルズが観られるのはもうわかったって。うるさいってじいさんに怒られるから止めろよ」
 ケンジがうんざりした顔をすると、葉月は黙ってスマホの画面をケンジのほうに突き出した。 
小さい画面のなかでジョニー・ロットンが歌っている。いや、違う。よく見ると本人じゃない。声も顔もジョニー・ロットンに似てはいるけど、歌っているのは太ったオッサンだ。
「2007年の映像だよ。この前見つけてダウンロードしておいたんだ。いまから二十八年後だな。ジョニー・ロットン、五十一歳のとき」
「なんだよそれ? ピストルズは去年解散してるって」
「調べてみたけど、オヤジになってから4回も再結成してるよ。『金儲けのため』だってさ」
「なんだよそれ? そんな話、信じられるかよ」 
頭が混乱してきた。だいたいオッサンのセックス・ピストルズなんてあり得ない。パンクじゃないにもほどがある。信じられない。信じたくない。
「現実を見なさい!」
葉月はテーブルを平手でバンと叩いた。
「ジョニー・ロットンだっていつまでもパンクな若者じゃないんだ。未来は確実にあるんだよ!」
「いや、そりゃあ、まあ未来はあるだろうけどさ」
葉月の迫力に押されて、しどろもどろになって来た。 
葉月は再びほおづえをついてそっぽを向いている。
「その未来からやって来たなんて、誰だって信じられないよ」
「あーあ、そろそろ未来に帰ろっかな。バック・トゥ・ザ・フューチャー、なんてね。あ、まだこの時代には出来てないか」 
葉月は訳のわからないことを言い、両手を高くあげて伸びをした。どうやらケンジを無視することに決めたようだ。 
葉月がテーブルに置いたスマホという機械からはジョニー・ロットンに似たオヤジが「ノー・フューチャー・フォー・ユー」の歌詞を繰り返し歌っている。

お前の未来なんかない
お前の未来なんかない 

この特徴のある歌声はなかなか他人に真似できるものではない。ケンジはスマホを手にして画面に目を落とした。 
見れば見るほどジョニー・ロットンにそっくりだった。年を取っているという以外は。
ほかのメンバーが映し出された。ギタリストはかなりのデブオヤジだが、デブながらも明らかにスティーブ・ジョーンズの面影があった。ドラムもやはり太ったオヤジだ。でも、顔がポール・クックにそっくりだ。
唯一、ベースだけは記憶にないルックスだ。そりゃそうだ。シド・ヴィシャスは今年の2月に薬物の過剰摂取で死んでしまったのだから。 
太ったオッサンのセックス・ピストルズ・・・・。葉月の言うとおり、これが本当の未来なのかもしれない。しかし、そうだとしたら未来は間違いなく輝かしくない。ノー・フューチャー・フォー・ユーだ。
「ごめん、俺が悪かった。こいつらは間違いなく未来のピストルズだよ。話を続けてくれないか?」
ケンジはそっぽを向いている葉月に頭を下げた。
「ねえ、ファンタってなに?」
葉月は壁に貼られた短冊を眺めている。
「あ? ファンタ? 炭酸のジュースじゃん」 
葉月の無知には何度もあぜんとさせられてきたけど、それもまた未来から来た証拠だというのか。
「じゃあファンタグレープ飲む」 
ケンジは店のじいさんにコーラとファンタを注文してから葉月の話に黙って耳を傾けた。 


葉月の説明は行ったり来たりしてムダが多く、分かりづらいので出来るだけ簡潔にまとめてみる。 
葉月は二十一世紀の未来から来た。葉月の家系は代々この公園内にある神社の神主をしている。そう、葉月が鳥居のところで消えた神社だ。神主を務めるのは女と決まっていて、いまは(いまと言っても三十七年後の話だけど)葉月の祖母が務めている。 
葉月の家系の長女は何百年も前からある特殊な能力を持っている。それは時間を自由に行き来することが出来る能力だ。 
昔はこのあたりは神隠しが頻繁にあった。子どもが突然いなくなって困り果てた親はここの神社に駆け込んだ。女神主は親に細かく事情を聞き、時間を超えて子どもを連れ戻した。また、農民のためにその年の天候を調べに未来に行き、育てる農作物を決めるなんてこともしていたらしい。
「うちのそんな能力が評判になって、遠くから神隠しに遭った子どもの居場所を教えてほしいと訪ねてくる人もいたそうだけど、残念ながら時間の移動はできても空間の移動は出来ないんだって」
「タイムワープは可能、テレポーテーションは不可能ってわけか」 
特殊な能力は十五歳になったら発揮できると言う。葉月は十五歳になった日に、神主をしている祖母に自分に備わっている特殊な能力のことを聞かされた。
「神隠しもなくなったし、このあたりに農家がなくなったいまとなっては、この能力が世の役に立つ機会はあまりない。あなたの母親はもうそんな能力は必要ないし、それどころか不幸を招くだけだから葉月に特殊能力のことを言う必要はないと言うんだけど、この能力は否が応でも私たちで引き継いでいかなくちゃならないんだ」 
時間を超える旅をするにはどうすればいいか。聞くと拍子抜けするほど簡単で、行きたい年月日を3回唱えて神社の鳥居を走り抜けるだけだと言う。
走り抜けた瞬間、そこは違う時間になっている。ただし、行きたい年月日に正確に行くのはある程度の経験が必要らしく、2〜3か月ずれてしまうこともあるらしい。
「あたしもこの時代に最初に来たときは3か月ずれてたしね」
「最初に来たのはいつだよ?」
「ケンジに会う3週間くらい前だよ」 
5月の初め頃だ。旭高校で幽霊の噂話が流れ始めた時期と一致する。やはり幽霊少女は葉月だったのだ。 
一度来た日には2度と来ることは出来ないが、その翌日に来ることは簡単で、日にちがずれることなく正確に来ることが出来る。だから葉月は毎日この時代に来ているわけだが、タイムワープするにはものすごくエネルギーが必要で、一回タイムワープするだけでかなり体力を消耗するという。そのため、葉月は十日に一度くらいのペースでしかこちらの時代に来られないと言う。
「十日に一度って、毎日来てるじゃん」
「こっちの時代には毎日来てるけど、あたしは十日に一度しかタイムワープしてないんだよ」
「どういうこと?」
頭がこんがらがって来た。
「だ・か・ら!」
葉月はケンジの理解力のなさに呆れた顔をした。
「昨日この時代に来たあたしはホントは十日前のあたし。今日未来に帰ったら十日後にまたこの時代の明日に来るから、明日ケンジが会うあたしは今日から十日後のあたしだってこと」
「・・・・」
「まあいいや、どうでも」
葉月はケンジに理解させることをあきらめたようだった。
「少なくともこれだけは覚えておいて。あたしはそんな事情で、ケンジより十倍速いスピードで成長してるんだ」 
そう言われて、ケンジもようやく理解した。道理で葉月がどんどん大人びてきているわけだ。ケンジが葉月に会ったのは一か月半ほど前だが、その間に葉月の時間は一年以上たっていたらしい。
「ということは葉月の時代はいまは何年で葉月はいま何歳だ?」
「2016年だよ。あたしは十六歳。高2だよ」
「高2? 本当かよ?」
会ったときは中3だったのに。
「来月にはあたしは3年になっているから同級生だ」
「頭がこんがらがって来た・・・・」
「とっくにこんがらがってんだろ?」
言われてみればその通りだ。
「もう一つだけ言うと、移動先の時代には8時間以上いられないの。それ以上いたら元の時代に戻れなくなっちゃうんだ」 
昨日あわてて帰ったのも、それが理由だと言う。ケンジは口をつけていなかったコーラを飲んだ。まだまだ聞きたいことがあるはずだが、なにを聞いたらいいのかわからない。
「なあ、来たかった日から3か月ずれちゃったって言ったよな? 本当は2月に来たかったのか? それとも来月の8月か?」
「ん? 8月だよ」
「8月になにかあるのか?」
「まあね。でも内緒。そのうち教えるよ」
「なんだよ、いまさら隠してもしょうがないだろ?」
「いや、それだけは言えないんだ」
「いいだろ?」
「しつけーな。無理なものは無理なんだよ!」
葉月はほおづえをついてそっぽを向く。
「わかったよ。で、8月のその日になるまで毎日この時代に顔を出してるわけか?」
「そうだよ。毎日来てれば、確実にその日にも来られるからね」葉月はそう言うと、コップに三分の一ほど残ったファンタグレープを飲み干した。「で、ケンジ、あたしの話、信じたんだよな?」
「う~ん、信じる信じない以前に訳わかんないわ」
「まあ、徐々に理解すればいいよ。それとさ・・・・」
「なんだ、まだあるのか? 今日はもう脳みそがいっぱいいっぱいだわ」
「ファンタオレンジも頼んでいいかな?」
「なんだ。そんなことかよ。葉月の時代にはファンタねえのかよ?」
「わかんない。こっちと違っていろんな種類のジュースがあるし」
ケンジは焼きそばとファンタの代金を頭のなかで計算した。財布の中にはそれ以上のお金が入っているはずだ。 
葉月は出されたファンタオレンジを一気に飲んだ。
「あー、タバコが吸いたくなってきた。そろそろ出ようぜ」
前にこの店でタバコを吸ったら、店のじいさんに「ここは不良の溜まり場じゃない!」と激怒されたので、ここで吸うわけにはいかない。
「650円」
立ち上がったケンジに、厨房から出て来たじいさんが無愛想に言う。
ポケットから財布を出してファスナーを開けた。小さく折りたたんだ五百円札が一枚、あと百円玉が一個と十円玉が二個。血の気が引いた。620円しか入ってない。
そうだった。昨日ギターの弦を買ったのを忘れていた。やはり、最後のファンタオレンジは余計だった。
650円と聞いて「安っ!」と歓声をあげていた葉月は、ケンジが財布を開けたまま固まっているのを見て事情を察したらしく、「あたしも少しは出すよ」と財布を取り出した。真っ赤な女の子らしい財布だ。
「500円あれば大丈夫だよね?」
「全然足りるよ」
お金がなくて女の子に払ってもらうなんて恥ずかしいにもほどがある。
「じゃあまず500円ね」
葉月は手を出しているじいさんにお金を渡した。
ケンジは財布を逆さにして手のひらに全財産を出した。
「なんだこりゃ!」
怒気を含んだじいさんの大声がした。
びっくりして顔を上げると、じいさんが顔を真っ赤にしている。短く刈られた髪が真っ白なので、顔の赤さがより際立っていた。前にタバコを吸って怒られたときより、怒りのレベルが三段階くらい高い。
「警察に突き出してやろうか、お前ら」
そう言うとじいさんは右手を突き出した。
右手のひらには葉月が渡した硬貨が載っている。百円玉かと思ったが、百円玉にしてはデカい。ケンジは東京オリンピックの記念硬貨の千円銀貨をばあちゃんからもらって大切に持っているが、それよりは全然小さい。
「なにこれ?」
ケンジはじいさんの手から硬貨を取った。「500」という数字が刻まれている。
「なにこれって、単なる五百円玉じゃん」
じいさんの剣幕におびえながら葉月が小声で言った。
「なにが五百円玉だ。俺は女だからってようしゃしないからな」
葉月の言葉を聞きつけたじいさんの口の端から白い唾が飛んだ。
「すみません。三十円足らないんですけど、今日中に持って来ますから」
ケンジは頭を下げると左手で握りしめていたお金をテーブルの上に置き、小さくたたんでいた五百円札を丁寧に開いた。
「なにこれ?」
葉月は五百円札に顔を近づけた。
「貧乏なのか金持ちなのか知らないけどさ。お嬢さん、五百円札も知らないわけ?」
じいさんは腕を組んで不愉快そうな顔をした。
「じゃあ、後で三十円持って来ますんで」
ケンジはそれだけ言うと、葉月の腕を引っ張って店を出た。
「もしかして、この時代に五百円玉ってないの?」
葉月は上目遣いでケンジを見た。
「ないよ、そんなもん。びっくりしたわ、マジで」
ケンジはタバコに火をつけた。足は自然と裏山に向かった。
「これからはこの時代でお金を使わないことだな」
「ごめんなさい」
葉月は珍しくシュンとしている。じいさんの剣幕にびっくりしたのだろう。
無理やりバンドに引き込んだという後ろめたさもあり、いままではスタジオ代も喫茶店代も、いつも男たちが割り勘で払い、葉月には払わせなかった。だから、葉月がこの時代に通用するお金を持ってないということにケンジも気がつかなかった。
葉月は本当に未来から来たのだろう。落ち込んでいる葉月の横顔を見て、ケンジはようやくその事実を100パーセント受け入れた。
「お金ないならタバコなんて止めればいいのに」
裏山のベンチに座って新しいタバコに火をつけると、少し離れたところに座った葉月が静かに言った。
「こればっかりはやめられんわ」
「いくらするの? タバコ」
「一箱150円」
「そんなに安いんだ」
葉月は大げさに驚く。
「安かねーよ。一週間に二箱吸ったら1か月千円以上かかるからな。痛いよ」
「あたしの時代は確か一箱500円くらいするよ」
「本当かよ? それじゃあ高校生が吸うのも大変だ」
「心配しなくても誰も吸ってないよ。だいたい高校生なんてタバコ買いたくても買えないようになってるから」
「自動販売機で買えばわからないだろ?」
「自動販売機だって、身分証明書みたいなカードがなきゃ買えないんだよ」
「なんだか恐ろしいことになってんだな。イヤだイヤだ」
ケンジは国語の教師がこの前授業で言っていた、イギリスの作家、ジョージ・オーウェルの『1984』のことを思い出した。1948年に執筆された近未来小説で、高度に管理された世の中を描いた話らしく、興味を持ったケンジは、今度図書館で借りてみようと思っていた。
もしかしたら二十一世紀は、タバコも自由に吸えない暗黒時代なのかもしれない。
「タバコなんて身体に悪いからやめたほうがいいって」
「母親みたいなことを言うなよ」
そう言いながらもケンジは、自分の身体を気遣ってくれる葉月の言葉にいたく感動した。そして同時に、感動している自分に困惑した。
「でもさ、五百円玉はなくても千円札とか百円玉くらいあるよな?」
葉月はケンジの心の動きなど知る由もなく、突然話題を変えた。
「当たり前だろ? この時代をなんだと思ってんだよ」
「一銭とかそういう単位かと思ったよ。あービビった」
「なんだそりゃ。江戸時代じゃあるまいし」
「だったら五百円玉以外のお金を使えばいいんだよな。あたし、今日はお金あるから喫茶店おごってやるよ。いつもいつも払ってもらってるからさ」
「いいよ、別に」
「そうだ、その前にさっきの店、千円札で足りない分を払えばいいじゃん。あたし持ってるから払ってくるわ」
「ちょっと待った」
立ち上がっていまにも駆け出そうとする葉月を呼び止めた。
「千円札、見せてみろよ」
「ああ、いいよ」
葉月は財布からお札を取り出してケンジに渡した。
見たこともない青い色をしたお札だった。
「誰だこれ?」
ひげを生やしたおやじは伊藤博文ではない。どこかで見た顔だと思ったら、小さい字で野口英世と書いてある。
「だめだ、こりゃ。いまの千円札と全然違うわ」
「まじかよ?」
「こんなの出したら今度こそじいさんにぶん殴られるわ」
「だったら百円玉は? 百円玉や十円玉ならいいよね」
「いや、無理だよ」
ケンジはたたずんでいる葉月を見上げた。
「硬貨は製造年度が刻まれてるだろ? いまの時代より先の製造年度が刻まれていたら一発でアウトだよ」
「そうか・・・・」
葉月はようやくあきらめてベンチに座り込んだ。
「そういや、さっきの五百円玉に刻んであった年、なんだっけ? 平成とかなんとか」
「ああ平成だよ」
葉月はそれがどうしたという顔をしている。
「平成ってなんだよ。昭和の次の年号か?」
「そう」
「で、昭和は何年で終わるんだ?」
「知らない。あたし歴史得意じゃないんだ。平安時代がいつだとか昭和時代がどうだとかって聞かれてもよくわかんないし」
「平安時代と一緒にしてんじゃねえよ。葉月も平成生まれなのか?」
「そう。平成十一年」
「それ、西暦にすると何年だ?」
「1999年」
「ウソ!」
ビックリして思わず立ち上がった。
「ウソついてどうすんだって」
「8月1日生まれだって言ってたよな?」
「うん」
「信じられん」
「なんでよ? 生まれたのが未来だから?」
「まあ、それもあるけど・・・・1999年8月1日生まれなんてな。なあ、念のために聞くけど、葉月が生まれた前の月の7月に人類は滅亡してないんだよな」
「当たり前だろ? 滅亡してたらあたし生まれてないし」
「ということは、ノストラダムスの大予言、外れてるじゃん」
「なんだよそれ? また歴史の話か?」  
『ノストラダムスの大予言』は「1999年7の月に人類は滅亡する」と予言した大昔のフランスの占星術師を紹介した本だ。その本はミリオンセラーになり映画にもなった。 
日本中で大ブームになったのである。その本のことを知らないなんて、さすが1999年に生まれたヤツは違う。
「清水のヤツ、どうせ三十代までしか生きられないから好き勝手生きるって言ってたけど、どうすんだろ?」
「話が見えないんだよ!」
葉月が大声をあげた。どうやらじいさんにつけられた心の傷は早くも癒えたらしい。
その声で我に返った。清水のことを心配している場合じゃない。1999年といったら三十八歳だ。葉月が生まれたとき、どこでなにをしているのだろう。
親父と同様、銀行員になった自分が文句をつけている客にペコペコ頭を下げている映像が浮かび、瞬時にそれを払いのけた。
「1999年の7月に全員死ぬっていうのも悪くなかったんだけどな・・・・」
「もういいって!」
じいさんに返す三十円を家に取りに行かなければならないので、未来に帰ると言う葉月と一緒に早々に山を降りた。アブラゼミの声が降るように聞こえる。
高校3年にもなって三十円ごときであたふたしている自分が情けなくてしょうがなかった。家に帰ったらばあちゃんに多めにお金を借りようと思う。今日みたいなみじめな思いは二度としたくない。
「ああそうだ。父親を探してるって言ってたよな、前に」
別れ際に突然思い出した。
「うん」
「それは本当なのか?」
「本当だよ」
「その父親ってさ、いま何歳なんだよ?」
「ここの時代の年齢?」
「ああ」
「多分ケンジと同じ。旭高校の3年生のはずだけど」 
ケンジは頭が痛くなってきた。
 
翌日、ホームルームが終わるとケンジは学校の図書館に向かった。旭高校の図書館に入るのは、入学してから初めてだ。 
図書館は天井が高いせいか教室よりも涼しかった。その涼しさを求めてか、勉強しているヤツがたくさんいる。 
ケンジは葉月が暮らしているという2016年がどういう時代なのか調べたかったけれど、どのジャンルの棚にもそんな本はなかった。 
あきらめて今度は市立図書館に行った。こちらはまだ時間が早いせいかガラガラだった。あちこち探し回り、ようやく目当ての棚にたどり着いた。「二十一世紀ぼくらの生活」といった、児童向けの未来予測本が並んでいる棚だ。とても高校生が読むレベルの本ではないが、ほかにないのだから仕方がない。 
数冊手に取って席に着く。本のなかで二十一世紀の人々は、空飛ぶクルマに乗ったり、海底や火星で暮らしたりしていた。気温が一年中一定に保たれた部屋のなかには、壁掛けテレビや掃除や料理をすべてやってくれるロボット、テレビ電話などがあった。 
ケンジは空飛ぶクルマに乗っている太ったオヤジのジョニー・ロットンを想像してみた。
そんな世界で葉月が暮らしているなんて、一ミリも信じられなかった。

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