小説『時をかける彼女』⑨

第9話「二十世紀が居心地いいのは、自分はみんなとは違うんだとあたしがきちんと意識してるからなんだよね」 

薄暗い道を自転車の二人乗りで、葉月を川越公園まで送って行った。 
ケンジの頭のなかは大混乱に陥っていた。煙のように消えてしまった恵が、はるか彼方の二十一世紀にいるというのだ。混乱しないほうがおかしい。
「恵はどうやって暮らしてるんだ?」
「ピアノ教室やってるよ、栗原楽器で」 
驚いた。火縄銃が練習で使っているスタジオだ。
「お母さん、結局昔の彼氏のケンジを助けに行ったというだけで、あたしのお父さんを助けに行った訳じゃなかったのかな」 
自転車の後ろで葉月がつぶやく。ケンジは応えようがなった。
「いまから二十年後に2人が再会してあたしが産まれるとか」
「その可能性はないってさっき説明したろ?」
「じゃあケンジはあたしのお父さんじゃないってことで、いいんだよね?」
「当たり前だよ。間違いないわ」 
葉月はケンジの腰に回した腕を強く締めて「良かった」とため息をついた。
自転車の前輪に付いた発電機のスイッチを足で押す。途端にペダルが重くなり、アスファルトをライトが照らした。ケンジはペダルを強く漕いだ。道沿いに建つ長屋の軒先をコウモリがかすめ飛んで行く。 


川越公園の広場では盆踊りをやっていた。櫓の上では半裸になった若者が太鼓を打ち鳴らし、ぼんやり灯った提灯の下では流れる曲に合わせて沢山の人たちが身体を動かしている。
「なにこれ・・・・」
葉月は自転車の後ろで驚いた声を出す。
「盆踊りだよ。お盆の時期に死者を供養するためにみんなで踊るんだ。葉月の時代にはないのか?」
「見たことない」 
自転車を降りてしばらく眺めた。 
櫓を中心にして内側の輪はそろいの浴衣を着たおばさんたちが踊っている。みんな上手い。きちんと練習しているのだろう。対して外側の輪はそれこそ老若男女が入り乱れて踊っている。上手い人もいれば、まるでトンチンカンな動きをしているオッサンもいる。みんな笑顔だ。
「なんだか楽しそう」 
ケンジは提灯の明かりに照らされた葉月の顔を盗み見た。すごく綺麗だった。 
そして・・・・やはり恵に似ていた。 
曲が変わった。「二十一世紀音頭」だ。この曲なら幼い頃よく踊った。多分いまでも身体が覚えているだろう。輝かしい二十一世紀を待ち望む、二十世紀のカップルの歌だ。
「踊るか?」
「うん」 
葉月の手を引いて輪のなかに入り、手足を動かす。
「こりゃあ、パンクじゃないにもほどがあるな」
ケンジは身体を動かしながら大声で葉月に言う。
「でも楽しい」
葉月はケンジの隣で無邪気に笑いながら見よう見まねで手を突き出したりしている。

〈二十一世紀の夜明けは近い♪〉

サビの部分でクルッと回って手拍子を打った。 
二十一世紀で恵は幸せに暮らしているのだろうか。たまにはケンジのことを思い出すことがあるのだろうか。
「葉月って二十一世紀でなにやってんだよ?」
隣で踊る葉月に、流れる音楽に負けないよう大声で話しかけた。
「なにって、女子高生してるけど」
葉月も大声で応える。
「そうじゃなくてさ。俺たちみたいにバンドやってるとかスポーツしてるとかさ」 
ケンジが聞くと葉月は顔を曇らせて「なんもしてない」と言った。 
浴衣を着た小学3年生くらいの女の子がふたり、笑い合いながらケンジの前で輪に加わった。
「あたしさ、学校で仲がいい友だちがいなくてさ。ほら、お父さんいないし、ちょっと変わってるっていうんで、クラスで浮いてるんだよ。だから、なんとかみんなに合わせようとして頑張ってたんだ。ライン来たら即レスするし、カラオケ誘われたらそんな気分じゃなくても絶対断らなかったし」 
内側の輪で踊っているおばさんが、大声を出して踊っている葉月を不思議そうな顔をして見た。
ケンジは「ライン」とか「即レス」とか、わからない言葉がたくさんあったが、黙って葉月の言うことを聞いていた。
「毎日、超つらくてさ。でも、二十世紀に来たら居心地いいんだよね。すっごく不便で、すっごく面倒くさい時代なのに、みんなとバンドやってたら楽しくて楽しくて」 
ケンジは葉月に笑顔を向けた。
「あ、ケンジ、二十一世紀より二十世紀のほうか素晴らしいって、あたしが思っていると勘違いしてんだろ? 全然違うし」
葉月はケンジをバカにするように舌をちょろっと出した。
「二十世紀が居心地いいのは、自分はみんなとは違うんだとあたしがきちんと意識してるからなんだよね。二十一世紀のあたしは二十世紀のみんなに無理に合わせることはないって。だから逆に共通点が見つかって仲良くなれたんだ」
「なんとなく、わかる気がするわ」
「だろ?」
「でも、みんなに合わせようとする葉月っていうのを見てみたいもんだ。想像できん」
ケンジが茶々を入れる。
「やーだーよ」
メロディをつけたような言い方をして葉月が笑う。
「でも、二十一世紀の人間と二十世紀の人間が違うのは当然だけど、二十一世紀の人間同士だって二十世紀の人間同士だって違うんだよね。それを意識しながら付き合っていけばいいんだって気がついたら、すげー楽になったよ」 
そう言うと、葉月は右手を夜空に向かって高く突き上げた。

「とりあえずは1週間後のEAST WESTだよ、ケンジ。すべてはその後考えよ。あたし、もっと練習しとくからね」
葉月は自分に言い聞かせるように言うと鳥居に向かって走り出した。 
葉月はケンジの子どもじゃない。でも・・・・。ケンジはそのことを否定しきれない、もうひとつの可能性に踊りながら思い至ってしまっていた。
「葉月! ちょっと待てよ。葉月ったら!」
ケンジは葉月を追いかけた。 
葉月は走りながらケンジのほうを振り向いてあわてて立ち止まった。鳥居の一歩手前だ。
「こんなときに話しかけんなよ! 変な時代に行っちゃったらどうすんだよ!」 
ケンジは葉月に走り寄った。
「葉月さ、恵はいま五十五歳だって言ってたよな。あれ、本当に本当なのか?」
「本当だって。あたし、お母さんの住民票見たことあるもん」
「そうじゃなくてさ。生年月日は間違いなくても生きてきた年月の長さが違うという可能性だってあるだろう?」
「うーん」
葉月はしばらく考え込んでいたが、「もう今日は疲れたよ。明日にしない?」と言った。
「ああ。そうだな」
実際ケンジも疲れていた。
鳥居の横に立ち、ワープする葉月を見送った。


ひとりになったケンジは目の前にある神社を見上げた。盆踊りも終わり、周囲からは虫の声が聞こえてくるばかりだ。夜空には天の川が広がっていた。 
恵の自宅はここから本川越駅の方向に歩いて5分くらいのところにある。 
ケンジは恵の口からこの神社のことを一度も聞いたことはなかった。しかし、葉月の母親が恵なら、恵もこの神社の神主の一族で、一人っ子だった彼女にも当然タイムワープの能力が備わっていたはずだ。 
オーストラリアから帰国したら煙のようにいなくなっていた恵。その行き先がようやく見えてきた気がした。


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