小説『時をかける彼女』⑪

第11話「お母さんが死んじゃったんだよ!」 

恵がケンジとの間にできた子どもの葉月と二十一世紀に生きていると言われても、二十世紀に生きているケンジはどうしたらいいのかさっぱりわからなかった。EAST WESTはもうすぐだというのに、ギターを弾いていても集中できずにミストーンを出してしまう。
翌日の午後、ケンジはギターの練習をするのをあきらめてインベーダーハウスに向かった。インベーダーばかり置いてあるゲーセンだ。混んでいて待たされる可能性があるが、しけた雰囲気の喫茶店、モカに行ったらさらに落ち込んでしまいそうな気がして行きたくなかった。 
ドアを開けてなかに入った途端、インベーダーの電子音とタバコの煙に全身を包まれた。同時にいままでイライラしていた気持ちがスッと落ち着いて来るから不思議だ。 
薄暗い店内にはインベーダーゲーム機が十台以上並んでいるが、残念ながらすべて埋まっている。舌打ちして入り口に立っていると、インベーダーに撃破されて頭を抱えて顔を上げた男と目が合った。清水だった。 
ケンジと清水は目で合図しただけですぐに向き合ってゲームを始めた。最初は清水の攻撃だ。
「まずいことになっちゃってさあ」
清水がうつむいたままぼそっと言う。
「どうした?」
「ギター、親父に取り上げられちゃったんだよ」
「なんでだよ」
EAST WEST直前に聞き捨てならない話だ。
「歯科大に行く行かないって話になってさ。『絶対歯医者なんかならない』って宣言したら、親父、怒っちゃってさ」 
清水が親の後をついで歯医者になるのを嫌がっているのはなんとなくわかっていた。本人はそうとは言わなかったが、これまでも進路のことになると必ず口が重くなった。
「親父、知り合いにギターを預けちゃったらしいんだわ。ちょっと今回ばかりは当分許してくれないかもな」
「遠山から借りられないのかよ」
遠山は清水がレッド・ツェッペリンのコピーバンドをやっていたときにギターを弾いていたヤツだ。
「あいつ、この前質屋に売っちゃったってよ。受験でもう弾かないからって」 
清水は調子が悪いらしく一面をクリアできずにインベーダーに撃破され、ケンジの番になる。
「俺もあのエクスプローラー買うのに全財産つぎ込んじゃったから、もうギターを買う金なんかこれっぽっちも残ってねえし」
「軽音楽部で誰か貸してくれるヤツを探そうぜ」
ケンジは画面を見つめながら言う。そう言いながらも、いま在籍している下級生に借りるのは気が進まない。
「EAST WESTだけどさ、悪いんだけど俺抜きで出てくれないかな。俺、サイドギターだからいなくても問題ないだろ? どっちかと言うと、サイドギターなんかいないほうがピストルズと同じ編成になってカッコいいと思うし・・・・」
「冗談言うなよ」
ケンジは顔を上げて清水をにらんだ。 
清水は目をそらしてタバコの煙を吐いた。 
実際問題として、サイドギターがいなくても演奏のクオリティはほとんど落ちない。ケンジはそのことをわかっていたし、清水もわかっていたのだろう。 
サイドギターになった清水は、やはり火縄銃で居心地が悪かったのかもしれない。 
それから二人で黙ってインベーダーをやり続けた。ケンジはなにも考えないようにしてゲームに集中した。
「あちゃーっ」
清水がミサイルに当たって悲鳴を上げた。
次はケンジの番だ。
「おしっ」
気合いを入れてレバーをつかむ。 
ゲーム機の上に積み上げていた2000円分の百円玉はもう数枚しか残っていない。 
現れたインベーダーは二十体ほど。画面の中ほどまで降りてきていてスピードを上げつつあった。勝負はここからだ。
七体倒したところでまた一段下がってくる。インベーダーたちのスピードが上がる。電子音を発してUFOが現れる。すぐに撃ち落とすかどうか一瞬ちゅうちょしたが、よし、と決意して2発ミサイルを空撃ちしてから叩きこむ。
狙い通り300点が出た。
「おっしゃーっ」 
あとは残りのインベーダーを全滅させるのみだ。この面をクリアすれば、自分の人生もうまく行くという暗示をかけながら戦闘に挑む。 
ケンジが前のめりになってテーブルの画面に顔を近づけたそのとき、「ケンジ! ようやく見つけた!」と、思いきり後ろから抱きつかれておでこを画面にぶつけた。
その一瞬のすきでインベーダーが発射したミサイルから逃げ遅れた。 
ケンジは後ろを振り向いた。葉月が背中にしがみついている。
「なにしてんだよ。邪魔だっつーの」
「ハーちゃんたら、インベーダーの一味かよ」
清水がタバコにむせながら爆笑する。
「それにしてもハーちゃん、ずいぶん大人びたよな。本当に中学生かよ」 
清水は葉月がまだ中3だと思い込んでいるのだ。
「お母さんが死んじゃったんだよ!」
葉月は大声で泣き始めた。
ゲームに夢中になっていた客がいっせいに顔を上げてケンジたちのほうを見た。でも、彼らがこっちを見たのは一瞬で、次の瞬間には自分たちの戦闘に戻って行った。
「嘘だろ?」
ケンジは立ち上がって葉月と向き合った。
「こんなこと嘘ついてどうすんだよ」
顔が涙でぐちゃぐちゃになっている。
「なにがあったんだよ」
「事故だよ、事故。交通事故。スキーバスに乗っていて、群馬でバスが崖から転落しちゃったんだよ」
「スキーバスだって?」
ゲームを止めて葉月のことを心配そうに見ていた清水が声を上げた。
「ハーちゃん、いま何月だと思ってんだよ。8月だよ8月。この真夏に群馬でスキーができるわけないじゃん」
「だったらバスに乗る前の時間に行って助けるしかないよな」
ケンジは清水を無視して続けた。
「お願い」
「おいおい、なに言ってんだよ、お前ら」
「あ、その百円玉、清水にやるわ」
ゲーム機の上に置いてある百円玉を指差しながら出口に向かった。 
店の前に停めた自転車に二人乗りして神社に急いだ。
「葉月の時代はいま、何年の何月なんだよ?」
前を向いたまま葉月に話しかける。
「2017年の12月だよ」
「バスはなんで崖から転落したんだ?」
「運転手が運転中に心臓発作を起こしたらしいんだ」
「恵は誰とスキーに行ったんだ?」
「小林だよ」
「なんだよ、結局付き合ってんじゃねえかよ」
「つき合ってないよ。小林と二人きりじゃなくて小林の知り合いがたくさん来て、女の人もいるからってしつこく誘われてさ。あいつ、川越の市会議員だから顔が広いらしくて」
「市会議員なんかやってんのか? 小林が市会議員やるようじゃ川越もおしまいだな」
「お母さん、おじいちゃんとおばあちゃんが立て続けに死んじゃって、心細くなってんだよ。小林にいろいろ相談していたみたいだし」
「イヤな流れだな」
「あいつと付き合ってもいいことないってお母さんに言ってたのに」
「恵が死んだのは間違いないのかよ」
「間違いないよ。遺体の確認に来てくれって群馬の警察から電話があったし」
葉月は再び泣き出した。
「行ったのか?」
「行くわけないじゃん。お母さんの遺体なんか見たくないって。電話を切ってすぐにケンジのところに飛んで来たんだよ」
「そういうことか」
「なんでもいいから急いで!」
「ちょっと待った」 
ブレーキをかけて自転車を止めた。蔵造りの街並みを過ぎて時の鐘が見えてきたところだ。後ろに乗っていた葉月の頭が背中にぶつかる。
「なんだよ、急に止まるなよ」
「考えてみたら別に急ぐ必要ないじゃないか。どうせワープするんだからさ」
ケンジは振り返って泣き顔の葉月に言う。
「そりゃそうだけど、お母さん死んじゃったんだよ。あせるじゃんか」
葉月は子どもみたいに頭をケンジの背中にこすりつけるようにした。
「それより冬山に行かなければならないかもしれないんだ。こんな格好のままじゃ凍死しちゃうわ」 
葉月はなにも羽織らないであわてて出て来たのだろう、デニム地のミニに長袖の白いシャツというスタイルだ。一方、真夏の季節にいるケンジに至っては半袖のTシャツにGパンという軽装だ。 
ケンジは葉月を後ろに乗せて家に帰り、押入れの奥からダウンジャケットを引っ張り出した。葉月の分はワープしてから家に取りに行ってもらえばいい。 
いったん自室を出たが、思い返してもう一度戻って引き出しからサングラスを取り出す。ダウンジャケットはかさばるので暑いのを我慢して着込み、再び自転車で急いだ。
「スキーに行く前の日とかに行ければベストだよな。それで説得してスキーツアーに参加させないようにすればいいんだからさ」
「事故で二十人も死んじゃったんだよ。お母さんだけじゃなくて、みんな助けないとかわいそうだよ」
葉月はそう言うとケンジの腰に回した腕に力を入れる。
「そりゃあちょっとハードルが高いな。恵以外は運命だと思ってあきらめてもらうしかないよ。小林も」
「お母さんだって火事でケンジだけじゃなくて全員助けたじゃん」
「・・・・」
恵ひとりならともかく、二十人全員を助ける方法なんてあるのだろうか。出発前に「このバスは今日崖から転落するので乗るのはやめましょう」とツアー客全員に教えても、誰ひとり信じないだろう。 
葉月はスキーツアーの出発日の3日前を目指すと言う。絶対避けなければならないのは、当日の出発後の時間帯に着いてしまうことだ。そうなると再びその日に行くことが出来なくなるので、事故そのものを防ぐことは限りなく難しくなる。
「何日か前に着いて、それから当日まで通うしかないよ」と葉月は言う。 
それはそうかもしれないが、問題は当日どうやって全員を助けるかだ。それについては葉月もアイデアはないらしい。
こうなったら、行き当たりばったりで対処するしかない。ケンジは覚悟を決めた。 
手をつないで走る。鳥居をくぐったところで周りがブラックアウトして火花が散る。強風にあおられて身体が吹き飛ばされそうになるのを耐え、葉月の手を強く握る。はっきり言って何度やっても生きた心地がしない。
つぶっていた目を開けると周囲は真っ白だった。無数の細かい泡のようなものが、ものすごい勢いで前から後ろへ流れて行く。それはまるで、流れの速い川を上流に向かって突き進んで行っているような感覚だった。
前に葉月が、過去にさかのぼるタイムワープと未来に行くタイムワープは感覚が全然違うと言っていたが、確かにその通りだ。ケンジはこれまでに二回、過去にさかのぼるタイムワープを経験しているが、どちらも雨雲のなかを突き進むような感覚だった。
恵が死んだという緊急事態のためにあまり意識しないままタイムワープしたが、いま自分は二十世紀の人間なら誰しもあこがれている二十一世紀に向かっているのだ。ケンジはドキドキしてきた。


急激に気温が下がったのが分かった。
「さむ!」
葉月が悲鳴を上げた。
「とりあえずこれ着ろよ」
ケンジはダウンジャケットを脱いで葉月の肩にかけた。半袖のTシャツ1枚になったケンジは思わず身震いした。 
あたりを見回す。夜だった。
「なあ、いま何年だっけ?」
「2017年だよ」 
三十八年後だ。しかし、はるか未来の二十一世紀に来ている割には、周りの風景はケンジの時代と代わり映えがしない。神社の建物も公園の遊具もケンジの時代と同じくらい古びている。一度新しくしたのだろうが、再び同じくらい年月がたって古びたといったところだろうか。 
市立図書館の児童書に載っていた、夢のような未来世界を想像していたケンジは思い切り拍子抜けした。
「で、今日は何月何日だ?」
「二十世紀に行っちゃうと日にちを確認するのが大変だけど、この時代は簡単なんだよね」
そう言うと斜めかけバッグからスマホを取り出した。
「前の日だ。緊張したせいでずれちゃったよ。ヤバかった」
「出発の前日か?」
「そう、12月21日」
「まあ、結果オーライだな。何時だ?」
「夜の9時」
「恵はどこにいる?」
「家で晩ご飯食べてるよ。すき焼きだ」
「肉は牛肉か?」
「当たり前じゃん。すき焼きなんだから」
「恵は明日、何時に出かけたんだ?」
「あたしは寝てたからわからないけど、5時に出かけたはずだよ。そう言ってたから」
「8時間後か」
「だから明日の朝まで付き合ってよ」
「なんでそうなるんだよ。いったん帰ればいいじゃないか」
「明日、ちゃんとスキーツアーの出発時間前にタイムワープできるかどうか自信がないんだよ」 
確かに出発時間を過ぎてしまったら致命的だ。葉月の心配もわかる。
「でも8時間までしかいられないんだろ?」
「1人だとね」
「どういうことだよ?」
「2人だと倍の16時間いられるってこと」
「なんだよ、そのかけ算は」
「よくわからないけど、2人だと元の時代に戻ろうとする力が倍働くから、それだけ長い時間いられるんじゃないかな」
「じゃあ俺は明日の朝まで適当に時間を潰しているから、葉月は家に帰れよ」
「家に帰ったらあたしとお母さんがすき焼きを突っついているんだっつーの」 
そうだった。この時代にはすでに葉月が存在しているのだ。ホント、タイムワープはややこしい。
「じゃあ、せっかくだから二十一世紀の素晴らしい世界を案内してくれよ。いまから心配しててもしょうがない。明日のことはなんとかするから」
 
歩き始めてすぐに周りの景色が明らかに二十世紀のものではなくなった。東京にしかないような高いビルがあちこちに建っている。おしゃれなレストランも異様に多い。まるで原宿みたいだ。
「本当にここが川越かよ」 
あの埃っぽくて地味な地方都市がここまで変貌するとは、さすがに二十一世紀だけのことはある。
「川越は人気の観光地だから、飲食店がめちゃくちゃ多いんだ」
「川越が観光地だと? 信じられんな」 
葉月はケンジを一軒の洋服屋に連れて行った。
「せっかくだからプレゼントしてあげるよ。ひと足早いクリスマスプレゼント」葉月はそう言うと暖かそうなジャンパーを選んでくれた。
着てみると信じられないくらい軽いのに、信じられないくらい暖かい。しかもデザインもオシャレだ。
「いいじゃん。似合ってるよ」
隣に立った葉月の笑顔が鏡に映る。
「いいんだけどさ、高くないか?」
「大丈夫」
葉月はタグをつかんで見る。
「2000円だ」
「2000円だと?」
ケンジは思わず大声を上げた。
「俺の時代だったら間違いなく5000円はするぞ。いや、もっとするかもしれん。物価、上がるどころか下がってるじゃん。ありえねえよ」
「シッ!」
葉月が嫌な顔をして人差し指を口に当てた。
「大声出すなよ、田舎モンみたいに。ファストファッションのセールなんだから普通だって」
「なあ葉月、今度またここに連れて来てくれないかな。こづかいたくさん持って来るからさ」
「時代を超えて爆買いかよ」
葉月は呆れた顔をした。
「いいけどさ」 
葉月が次にケンジを連れて行ったのは、まさに二十一世紀の世界と呼ぶに相応しい場所だった。道路が複雑に立体交差している。空に浮かぶ道路はそのまま高いビルと繋がっている。その道路をクルマが行き交っていた。
「空飛ぶクルマはどこだ? 超高速モノレールは?」
ケンジは興奮して空を見上げた。
「はあ?」
葉月は心からバカにしたような顔をした。
「そんなもん、あるわけないだろ?」
「なんでだよ?」
「なんでだよと言われても、ないものはないんだよ」
「俺たち二十世紀の人間の未来の夢を壊さないでくれよな」
「未来の夢? そんなのがあるんだ?」
葉月は不思議そうな顔をしてケンジを見た。
「葉月の時代にだってあるだろう? 何年か後にはこんな夢みたいな生活が待ってますよっていう」
「そんなもんないわ。何年かしたら人口がこれだけ減るとか、空き家だらけになるなんて話はあるけど」
「夢のない時代だな」
散々ケンジの時代をバカにした葉月に一矢報いた気分だ。 
目の前の建物はなんと川越駅だと言う。これに比べたらこれまで立派な建物だと思っていたケンジの時代の川越駅など掘立小屋以下だ。興奮する一方で、だんだん悲しくなって来た。やっぱり二十一世紀にはかなわない。 
せっかくだからひと駅だけ電車に乗ってみようと葉月から切符を手渡された。ペナペナな薄い切符だ。切符だけはケンジの時代のほうが立派だと思う。 
葉月の後について改札に向かう。葉月が以前ケンジの時代の改札に人がいることに驚いていたが、確かに目の前の改札には人はいない。二十一世紀の改札は性善説を取って切符をチェックしないということだろうか。 
先を歩く葉月は財布を機械に当てて通り抜けて行く。ケンジも見よう見まねで葉月が財布を当てた部分に切符を当てて通り過ぎる。これでケンジも二十一世紀の人間に見えるはずだ。 
途端に目の前の通路がふさがれて派手にチャイムが鳴った。やり方を間違えたのかもしれない。足がすくんだ。心臓が早鐘を打ち、嫌な脂汗が流れ出た。 
すぐにロボットの警察が出て来るかもしれない。恐ろしすぎる。やはり改札には人間がいるべきだ。二十世紀のほうが正しい。
「葉月、どうなってんだよ、これ」
前を歩いている葉月に声をかけた。われながら情けない声だ。 
葉月は振り返り、ニヤニヤしながら近づいて来た。
「ケンジって電車がない江戸時代とかから来たんだっけ?」 
その夜はカラオケボックスという窓ひとつない、恐ろしく狭い部屋でひと晩過ごすことになった。葉月がカラオケに行くと言うので、最初はなんでカラオケスナックなんかに行くのかと意味がわからなかったけれど、カラオケボックスというのはカラオケスナックとは似て非なるものだった。 
ケンジは初めのうちは葉月が歌う聴いたことがない歌をポテトフライを食べながら黙って聴いていたが、曲のリストにセックス・ピストルズやディープ・パープルがあることに気がついてからは、次から次へと歌いまくった。
「二十一世紀サイコ〜!」
ケンジは歌いながら絶叫した。 


目を開けたとき、しばらくどこにいるのかわからなかった。ケンジはソファで横になっていた。隣では葉月がテーブルに突っ伏している。 
テーブルに置かれたマイクでカラオケボックスというところにいることを思い出した。マイクの隣にあった葉月のスマホを手に取る。画面を見ると6時だ。あわてて葉月の身体を揺する。
「やばい! 急ぐぞ」葉月は飛び起きた。 
会計を済ませて店の外に飛び出す。まだ日の出から間もない。晴れてはいるが、12月の朝の空気は刺すように冷たい。
「どこに行くんだよ?」
走る葉月の後を追う。
「川越発のスキーバスが出る場所って決まってるんだ。そこに行くんだよ」 
白い息を吐きながらまだ閑散としている通りを十分ほど走った。 
たどり着いた場所には確かに大型バスがいた。窓がやたらと大きい、見たこともない形をしたバスだ。
窓にはスキーウェアを着込んだケンジと同年代くらいの女の子の姿が見える。出発直前なのか、すでにみんな乗り込んでいるらしい。
「すみません、2名いまから申し込みたいんですけど」
葉月はバスの乗車口に立っていたっ男性の係員に声をかけた。
「いまからですか?」
係員はぎょっとした顔をして葉月を見、そして隣に立っているケンジを見た。
「お金はいま払いますからなんとかお願いします」
「ちょっとちょっと」
ケンジは葉月の背中を突く。
「俺、そんなに金持ってないけど」
「あたしが持ってるから大丈夫だよ・・・・いいですよね?」
「はあ・・・・じゃあこの書類にすぐに記入してください」 
葉月の勢いに押された係員は、肩にかけたバッグから申込書を取り出した。葉月は申込書に「杉沢葉月 二十二歳、ケンジ 二十歳 姉弟」と記入している。年齢をごまかしているのはわかるが、なんでケンジが兄じゃなくて弟なのか。しかし、係員がそばに立っているので口に出すわけにはいかない。 
実際、葉月のほうが半年近く年上になったいまとなっては、文句を言う筋合いもなかった。
「ケンジ、先乗ってよ。あたし、お母さんにばれたらヤバイし」
「わかった」 
ケンジはジャンパーのポケットに入れていたサングラスをかけて乗車口のステップを上がって行った。ケンジだって恵には面が割れていると言えば言えるので気をつけなければならない。葉月は隠れるようにしてついてくる。 
大型バスは7割くらいの席が埋まっていた。いちばん前の席が空いていたのですぐにそこに座った。先ほどの係員が乗り込んできてツアーの概要を説明する。目的地は万座らしい。1泊2日のツアーだ。 
係員が降りてバスが出発した。 


いよいよだ。ケンジは緊張してきた。

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