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感情の居場所のことをらんまん観ながら考えた




今の朝ドラ「らんまん」で
植物学の研究をしている主人公の万太郎は、
日本中の草花の名前を明らかにするいう。
「名前のない雑草はなくて、
みんながその名前を知らないだけだ」と言っていた。

ドラマの話だけど、その話を聞きながら、
わたしたちの感情も同じかもしれへんなぁと思った。

本を読んだり、誰かと話しをしているときに、
同じようなことを考えたり、
悩みを持っているがいるんやということを知ったり、
わぁっと心に響いたり、
「こう捉えてみたらどうかな?」
「こういうこと試してみたらどうかな?」
というTIPSを教えてくれて
自分の感情と同じ、似ている草花を見つけたような気持ちになる。

ちゃんとした人に怒られそうだけど、
わたしは、昔からの経典と言われる本も
昔の人がうんうんと悩み、考えたこと、
こうしたらどうやろう?ということを書き残してくれているようにおもっていて、
「わたしもあるわ~」と親しみを持っている。
だからいろいろな本を読むのが好きだ。

わたしたちの感情は、
喜怒哀楽、ざっくり4つに分けられるものではなくて、
うれしい、楽しいはよい感情で、
怒り、かなしいはよろしくない感情ということでもない。
どの感情もグラデーションのように混ざり合っているように思う。

もはやわたしの伝統芸にもなっている
「世界中の人から嫌われているに違いない」
「いやそんなに人はわたしに興味ない。自意識過剰やん」
「山に籠りたい」
って思ったりするんですよねって話したときに、
「わたしもあります~」とうんうんと同意してくれた人もいて、
「あるよね~」って笑いあうことで、
そんな気持ちがちょっと癒されることもあったりした。

逆に「へぇーーー!そんな風に思うんや」と
笑いながら驚きあったりすることも、
新種発見みたいでおもしろい。

自分だけがこんなこと考えてるんだろうなと思っていても、
全く同じではないにしても似たようなことを思っている人もいるんだなとわかると、
なんだか人間らしい感情なんだなと
ちょっとほっとする。

そして、
どの本で読んだか引用元を忘れてしまったし、
正確に再現できないんだけど
「感情に置き場をつくってあげる」
という言葉を読んだことがあって、
「感情の置き場」というについて思いを巡らすようになった。

自分が今感じていること、
思っていることを、
なかったものにして弾き飛ばしたり、
悪いものだと批判したりする代わりに、
まるっと手で包んで、そっとふかふかの座布団に座らせてあげて、
お茶とおやつをすっと差し出してみるイメージが浮かんできた。

どんな感情にも居場所があって、
癒されてよいのだ。
もしかしたらそれは私の中から
いなくなることはないかもしれないけど、
そしたらその分癒し続けていけばいいのだ。

らんまん観ながら考えてたことを思いつくまま、まとまりないまま書いてみた。

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