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ぼくものがたり(戦後80年にむけて)⑥増えてきた空襲・近くで落ちた爆弾

《 増えてきた空襲 》

 その遠足以降、空襲警報が増えた。毎日「ウーーーー」と言うサイレンが鳴り響くようになり、その度に防空壕に避難しなくちゃいけなかった。
 戦争が始まる前から親父は、杉並区のとなり、練馬区の関町と言うところに広い畑を借りて大根やニンジン、サツマイモやジャガイモなど色々と作物を作っていていた。阿佐ヶ谷からリヤカーを引いて毎日通ってて、僕もよく親父と一緒に畑に行っていた。行きはリヤカーに乗せてもらい、帰りはリヤカーに収穫した野菜をいっぱい載せて、僕はそれを押しながら帰ってきた。
 だけど、毎日毎日、出かけようとすると空襲警報が鳴り、「これじゃ畑もみらんねー」と、出かけらない日が続いた。だけど、いつも数機のB29が姿は現すのに、上空を飛んで行くだけで、爆弾を落としてゆくことはなかった。
  1944年(昭和19年)11月24日の朝も、空襲警報が鳴り響いていた。親父は、
「これ以上見ないと、作物がダメになってしまう。爆弾も落としていかないし」って、リヤカーを用意して畑へと出かけようと門のところまで行った。するとお袋が、
「こんなにサイレンが鳴っているから出かけないで! とにかく今日は出かけないで!」と、リヤカーに必死にしがみついて、親父が出かけるのを止めたんだ。僕はめずらしく親父がお袋の言う事をきいたな。と思った。
 
 そうしたらその日に、親父が耕してる畑に爆弾が落ちた。
 阿佐ヶ谷から関町の畑の途中には、中島飛行機製作所という、飛行機を作ってる工場があったんだ。戦争中は戦闘機や爆撃機のエンジンなどを組み立てていた。そこが狙われて、その流れ弾が落ちた。中島飛行機はアメリカからの主要攻撃目標となっていて、今までの空襲警報での飛行は、攻撃のための下見の飛行だったんだ。
 中島飛行機が狙われているのは日本軍もわかっていたけれど、飛行機の製造を止めるのは戦力のダウンになると、ずっと稼働させていたそうで、そこで働いていた中学生もふくめ、たくさんの人たちが死んだ。
 
 そのずっと後、戦争が終わって「もう安心だ」って親父と畑を見に行ったら、すっげー穴。ものすごく大きな穴があいていて、たった一個の爆弾で土がほんと下の方からずーっと周りに全部吹っ飛んじゃって、作物がすぐには作れない状態になってた。「爆弾ってのはすげーなー」とびっくりした。まだ落ちた場所が畑だからよかった。民家だったら大惨事になっていたと思う。

 この日から東京への本格的な空襲が始まった。


《 近くで落ちた爆弾 》

 それまでは軍需工場とか、軍需に必要な施設を狙って爆弾を落としてきたけれど、だんだんと一般市民を狙っても攻撃してきた。
 12月3日、空襲警報で防空壕に避難していたらドカン!と言う音が聞こえた。お袋は「どこか近くに落ちたね」って呟いた。
 そのあと出かけていた親父が一度帰ってきて、「天沼陸橋に爆弾が落ちたから行ってくる」と出かけた。そこは青梅街道の阿佐ヶ谷と荻窪との間にある陸橋で、西への主要道路に架かる橋。
 親父は戦争に行くには年を取っていたので、警防団に入って活動していた。警防団とは町に残った民間人でつくった防空組織で、おもに町の警備や防火、救援などをしていた。
 翌日になっても帰ってこないので心配していたら、昼過ぎあたりにヘトヘトニなって帰ってきて「天沼陸橋と荻窪の線路が爆弾で壊された。中島飛行機もまたやられた」と話していた。また沢山の人が死んだ。親父は被害に遭った線路の修復作業を一晩中していたそうだ。
僕も後になって天沼陸橋を見に行った。すごく大きな穴が開いていた。当時の爆弾は大きなやつで、一発落ちただけで相当な被害があった。
 アメリカは線路を狙って爆弾を落とした。交通機関をストップさせるため。なのでその流れ弾で線路際の家の多くが焼けた。
 阿佐ヶ谷も線路沿いは死んだ人がいっぱいいた。防空壕に隠れていたら、そこに焼夷弾が落ちて焼け死ぬ人も多かった。都心に近い方のとなり駅の高円寺は、もっと被害は大きかった。
 それからすぐに杉七の校舎に日本軍部が駐屯することになった。
 
 この辺りの被害としては、となりのイケガミさんの家に焼夷弾が一発落ちた。爆弾は屋根から縁の下まで抜けて、縁の下でパチパチ燃えていた。焼夷弾は油の爆弾なので水をかけてはいけないとみんなに知らされていた。だから近所の人たちが集まって砂をかけて消火したんだ。
 日ごろから隣組で練習していたバケツリレーの成果が発揮されて、どんどん砂をかけたんでなんとか燃え広がらずに火を消すことが出来た。

                              つづく
 
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