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ぼくものがたり(戦後80年にむけて)㉕空き地のアキラさん・大人たちの内緒話

《 空き地のアキラさん 》

 僕が友達と遊んでいる空き地に、足が悪くて歩けないアキラさんって25、6歳くらいのお兄さん一人で遊びに来ていた。足が悪いから地べたに座って子供たちが来るのを待っていた。子供たちとベーゴマやメンコ遊びを一緒にやろうと待っているのだけれど、地べたを這うように近づく姿が怖かったのと、子供たちに手加減しないかったから一緒に遊ぶのを嫌がる子もいた。
 僕はなぜか嫌いではなかったから一緒に遊んでいた。アキラさんは人気のあった野球選手のメンコをいっぱい持っていたのでそれをよく見せてもらった。
 僕たちが缶蹴りをしている時は端っこで本を読んでいた。服が汚れないように下にゴザを敷いて。僕たちが缶蹴りを終えるとまた「ひと勝負するか?」って聞いてきた。僕らが「嫌だ」っていうとまた本を読み始め、「うん」って言うと楽しそうに勝負した。
 アキラさんはしばらくしたら来なくなった。僕たちは足が悪い人用の施設に行ったんじゃないかと話していた。

 戦後は手や足のどちらかが無い人とかいっぱいいたんだ。両手や両足が無い人も。戦争でひどい怪我をしちゃって何とか生き残って帰ってきた兵隊さん。そういう人が働けなくて汚れてボロボロの軍服のまま道に座って、前に空き缶とか箱を置いて、お金とか食べ物を入れてくれるように物乞いをしていた。「私は日本のために戦った負傷兵です」って頭から看板を下げている人もいた。僕はそれを見て少し怖かったけれど、お袋は「かわいそうにねぇ。かわいそうにねぇ」と何度も言っていた。小銭をあげると「ありがとうございます」と深く頭を下げた。黙って頭を下げて泣いている人もいた。
 日本のためにって戦ってくれて怪我をしたのに、戦争に負けて補償とかまったくなかったんだ。戦争ってのは本当にひどい。
 そう言う物乞いは戦後の食糧難でそのまま飢え死にしてしまう人もたくさんいた。戦後30年たってもそう言う人はいた。
 アキラさんはあの後どんなふうに生きたんだろうなぁ。

《 大人たちの内緒話 》

戦後、荻窪の駅の周りにいくつかの闇市が出来た。そこには何でもあった。お米からお菓子、服も靴も、アメリカ製の缶詰なんかも。どれも値段をふっかけられて高い値段で売っていた。
 人が集まるから近くには食堂もあって親父と一緒に時々行っていた。
 そこで大人たちは内緒話をしていた。どこそこの誰かが疎開先で死んだとか、子供に聞かせられない話。戦場に行った兵隊さんが、日本兵がやったひどい話、度胸試しに罪もない中国人や朝鮮人を殺したってそんな話もしていた。
 僕みたいな子供がいるのに気づくと「しー」っと話すのをやめた。
 そう言う大人がお酒を飲むところの話は本当にひどかった。日本兵も本当に悪いことをしたんだ。戦争は人を鬼にする。

 親父は戦争の際に見たことや経験したことの話はほとんどしなかった。東京大空襲に警防団の仕事から帰ってきた時は、川からいっぱい死体を引き上げたと言ってはいたけど、詳細を話すことはなかった。
 僕の周りの大人たちは、お酒を飲むと賑やかにしていたけれど、あえて戦争の話をする人はいなかった。
                            つづく

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