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人の死を前にしたら、ひとりで生きていくことが怖くなった。

その訃報は突然だった、あまりにも。

2020年1月に夜回りを行っている最中、仕事用の携帯が震えた。

「○○さんが路上で亡くなっていた。」
大都会の真ん中で、わたしは言葉を失った。聞き慣れたスタッフの声がどこか遠のくのを感じた。

これまでも関わってきた人が亡くなったという報告を受けることはあった。家や病院でというケースばかりだった。路上で亡くなったそうだと後日人から報告を受けることもしばしばあったけれど、わたしたちの活動中に亡き骸を見つけたことは今回が初めてだった。

いつかはその言葉を聞く日が来るかもしれないと、覚悟はしていた。そして、その日はついにやってきてしまった。唇を噛み、目を閉じる。わたしは電話しながらなんとか意識を保った。

子どもみたいなわがままを言っては、豪快に笑う人だった。
夜回りを始めた6年前から毎度のように会っていた。
会うたびに、「お〜、まっちゃん。元気か〜!」と声をかけてくれた。

いつのまにか事務所にも、よく遊びに来てくれるようになっていた。
冗談めかして、家を借りたいと話す日もあった。
その希望が叶わないまま、その人は逝ってしまった。

どんな最期を迎えたかったのだろう。
本当は畳の上がよかったのかな。
暮らし慣れた路上で安らかになりたかったのかな。

今となっては何もわからない。


人生のエンディングをどう迎えたいのか、
その人に聞いておかなかったことをとても後悔している。

訃報を聞いて、残っていた夜回りのコースをメンバーに託し、急いで事務所に戻った。わたしの瞳に飛び込んでくる信号やネオンが徐々に歪んでいく。

わたしはそのとき、はじめて人の死をかなしいと思っている自分に気づいた。

親族が亡くなったときも、知り合いが亡くなったときも、不思議とかなしいとは思わなかった。それは最期をどうしたいか希望を聞いてくれる人がいて、穏やかにそのときが来るのを待ち、命の灯火が消えた後に花を手向けてくれる人がいたからだと気づいた。

その人は、路上で誰にも気づかれないままひっそり息を引き取っていた。数日に渡り、誰にも気づかれないままだったそうだ。

マザーテレサの言葉が、なんども頭の中で思い出される。

たとえ、人生の99%が不幸であったとしても、最後の1%が幸せならば、その人の人生は幸せなものに変わる

しあわせはいつだってその人の心が決めることだ。だから、「しあわせな最期を過ごせたな」と本人が思っていてくれればと願わずにはいられない。

***

泣きながら帰路に着いた。ぼろぼろと雫が瞳から落下していく理由が自分でもよく分からなくなってしまっていた。

道中、家に帰ることがとてつもなく嫌になった。正確に言うと誰もいない家で、この現実と一人で向き合うことが怖かったのだと思う。

こんなにも心細いと思った夜は無かった。安心できる人に抱きしめてもらいたいと、これほどまでに願った夜も無かった。しばらく震えが止まらなくて、自分でも驚いた。

年齢の割には、いろんなかなしみを経験してきたと思う。けど、この夜のそれはどれとも違っていた。

正直、今までひとりでも生きていけるって思っていた。パートナー/家族(特定の深い関わりを持つ人という意味)がいなくても、寂しい時があってもかなしくはない気がしていた。自分の食い扶持は己でなんとかできるし、やりがいの持てる仕事ができる環境もあるし、ひとりで出かけるのも気楽で大好きだと思える性分で。(もちろん心身の健康があるから、全てかなっていることが大前提にあっての話)

ありがたいことに、友だちはそれなりにいると思う。ぶっとんだわたしの特性を理解してくれる心根のやさしい人たちばかりだ。そんなみんなとたまに近況を報告して。何不自由なくしあわせを感じられる毎日を送っている。それで十分、いや十二分だと思っていた。

でも。

このやりきれないかなしみを前にしたとき、ひとりでは太刀打ちできないと思った。ひとりで生き抜けるほど、わたしは逞しくなかったらしい。自分という人間の脆さを突きつけられた気がした。

それと同時に、人間がパートナーを見つけ、人生の伴侶となり家庭を築いていくことの根底的な部分がほんの少しわかったような感覚があった。

わたしはアセクシュアル(無性愛)でもポリアモリー(複数愛)でもない。たったひとりだけのパートナーは、その時々でいたりいなかったりする。好きだなって思った人と付き合って、一緒にいることはわたしにとってごく自然なことだ。それ自体に違和感を覚えたことはない。

そんなわたしでも「どうしてみんな妙齢になったら結婚・出産していくんだろう?」とずっと不思議だった。パートナーシップとはなんなのか、それについての疑問は常にあったと言っても嘘ではないくらいだ。(だから自己矛盾によく陥ってしまう。)

時計の短針が「4」を指す夜明け前、ふと思った。「つがい」なんて言葉を聞くこともあるけれど、人間は「対」になることでようやく一人前になれるのかもしれない、と。かなしみを悲観してしまうときも、「対となる相手」がいるから立ち上がれるのかもしれない、と。

人の死を前にしたら、ひとりで生きていくことが怖くなった。

そのおかげで、わたしは大事なことに気づけたような気がする。かなしみの深淵に限りなく近い夜をひとりで過ごしたことは、その人からの最後のギフトだったのかもしれない。

***

その人への一番の弔いは、「あなたの命を無駄にしないこと」だと思いました。こうしてわたしらしく、かなしみを昇華できる形にすることこそ最大の弔辞なのかなって。

言葉が湯水のごとくあふれ出てくるのだけれど、際限がないのでここで筆を置きたいと思います。

路上で誰にも気づかれず亡くなったその人の魂が、どうか安らかでいられますように。そう願ってやみません。

***

2月20日。
ようやく花を手向け、手を合わせに行くことができて、気持ちの整理ができました。

泣きながら勢いで書き連ねた言葉を公開してもいいものかと悩みましたが、「まっちゃん、何しとるんや!はよ公開せんかいな〜」と言ってくれているような気がしたので、勇気を出してこの言葉たちを世の中に送り出すことにします。


普段の自分ならしないことに、サポートの費用は使いたいと思います。新しい選択肢があると、人生に大きな余白が生まれる気がします。