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40歳にして思うこと

厄年

今年2月にこんなことをTweetしていた。

「思うところの変遷と、年齢の相関はあるよね。」

要するに、身体の変化と心の変化ってリンクしてるよね、ということだと思う。たぶん。てか今考えると、すなわち心と身体ってつながっているよねって事じゃないかよ。ずいぶんと回りくどい言い方をしたもんだ。

厄年っていうのが何故あるかっていうと、やっぱりここらへんの年齢になるとまずは身体にガタが来始めるんでしょうね。で、そのことに気づこうぜ!ってのが厄年なんだと勝手に思っている。心が若いままでいると、身体についていけなくなっていろんなトラブルが起きるんでしょうな。

前厄⇒「覚悟しとけよ」
本厄⇒「ほらきた」
後厄⇒「気を抜くなよ」

これはすなわち生活を見直そうじゃないか、という示唆だと思っている。
生きる活動を見直すということ。現代にはそぐわない表現かもしれないけど、人生の折り返し地点に来たということ。
今まではバラバラに考えていた「心と身体」を一つにして、もう一度人生を考えてみようじゃないかと思い始めている。

利他

直近のブログにこんなことを書いていた。おそらく酔っ払っていたんだろうけど。

「幸せってのは、いかに小さな感動を拾えるかってことなんじゃないかな。そう努力すると、嫌なことが起こったときの反動もすごいんだけど、それは生きている証拠。『そんなもんだ』でいいんだ。

夢は、自分が幸せになるための目標
仕事は、他人を幸せにするための手段

他人貢献が人間が感じる幸せの最終フェーズだと思ってる。しばらくはこのまま突き進んでいこう。」

利他こそが幸せであると言える人間に近づこうと思い始めている。これも心身の変化ゆえの考えなのかも。生き様から死に様への思考の変化なんだろうな。

信念

noteを始めようと思ったのは、これからの想い、そして今までの経験をまとめようと思ったから。いい意味でも悪い意味でも、自分の信念が固まってきたんだろうと思う。このnoteがただの備忘録になる時もあれば、自省するネタになったり、あるいは誰かの気付きのきっかけになることもあるかもしれない。おこがましいけど。

たぶんTwitterで書ききれない想いを酔った勢いで書く、そんなnoteになりそうな予感しかないけど。


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