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文学の森殺人事件 第十話

「あなたは少し声が高いようですね」
「ええ。生まれつき声が高いのです。それが何か?」
「いえ、気になったものですから」
「あなたの周りで彼女に恨みを持つ人間はいますか?」
「私が思うに、二階堂ゆみに対して恨みを持つというよりか、彼女の周りにいる人間そのものが一癖も二癖もあります。三木剛さんをご存じでしょうか?」
「先ほど話しましたよ。ですが、彼にはアリバイがありました」
「彼は担当編集者として全ての権限を握っていました」
「なぜそのことを?」
「彼が私に代筆を頼むように仕向けたからです」
「三木さんはあなたが怪しいとも言っていました」
「三木さんは自分さえ良ければ他人のことなんてどうでもいいと思う人間ですから」
「そのことを言って大丈夫なんですか?」

「三木さんの悪口はみんな言っていますよ」
「みんな?」
「彼には腐るほどお金があります。お金さえあれば人だって殺しかねない人物です。それにこれ以上二階堂ゆみに依存していたら、全ての事実がバレて魔女狩りに遭うのは目に見えていますからね」恩田は言った。「つまり――ここで二階堂ゆみに見切りをつけなければ失脚する可能性が有り得るのです」
「ベストセラー作家で誰からも尊敬されている大作家がなぜここまで追い詰められないといけないのでしょうかね」
「彼女に敵意を持つ人間は多かれ少なかれ誰かになすりつけます」恩田は言った。「問題は彼女自体にあるのかもしれません」

 恩田は笑った。しかし、何がおかしいのか分からない。思い出し笑いにも捉えられるが、奇妙な高い声だった。それは恩田のつかみ所のない性格を物語っているのかもしれない。「誰かを犯人に仕立て上げなければいけない人間がどこかでほくそ笑んでいると思うと可笑しくて仕方がない。長年ゴーストライターをしていると作家の光と闇も自然と見えてくるのでね」
「光と闇?」
「私たちゴーストライターには決まりがあります。決まりとは代筆した作家の正体を漏らしてはいけないと言うものです。しかし、隠しても仕方がないレベルまで彼女は恨みを持たれているのも事実でしょう」
「なるほど」
「あるいは尋問を受けたら漏らさなければならないことかもしれません」
「分かりました」西園寺は肯いた。「ところでそのマスクは顔に大火傷を負ったにして誰かの面影があるような気がしますがね」
「きっと気のせいでしょう。私は過去に声優の仕事をしていましたから誰かの声と似ているのかもしれません」
「声優をされていたのですか?」
「ええ。男性と女性の両方の声を担当していました」
「貴重なお話ありがとうございました」
 それから、恩田は雲に隠れるかの如くどこかに消えた。まるで何かを隠しているように。

 二

 夕方の六時十五分『文学の森』一Fフロアのレストランで、コーヒーを飲んでいた二人の女性から話を聞くことに成功した。ひとりは文学少女と言った風貌の立壁由紀だった。年齢は二十代前半ぐらい。黒い眼鏡を掛けていて、髪の毛はぼさぼさでお世辞にも容姿に恵まれていない。白のショールを肩に掛けていて、赤のスカートを穿いていた。彼女は二階堂ゆみの本をバッグに仕舞い込んで、まるで性格を見透かされないように口を真一文字に結んで、どこか放心状態だった。
 もうひとりは名和田茜と言う女性だ。耳にイヤリングをつけて、黒いワンピースを着ていた。年齢は立壁由紀と同じぐらいだろう。モデル並みの整った顔立ちをしている。彼女の鋭い眼光は見ている人に強烈なインパクトを残して、その眼光の先には立壁由紀の姿だけを射すくめていた。

「少し宜しいでしょうか?」
「はい」
「私は西園寺一という探偵です」
「探偵さん?」
「ええ」
「由紀は今人と話せる状態じゃないの」
「私は証言を聞かなければいけません。それが私の仕事なのでね」
「あなたたち警察が二階堂先生を守らなければならなかったのではないのですか?」
「どうしてそう思うのですか?」
「だって二階堂先生を救えなかったのは警備の一人もつかせないで、見殺しにしたあなたたち警察のせいじゃない!」
「確かに警察にも非があると言わざるを得ないでしょうね」
「認めたわね」名和田茜は得意げになった。「実際のところ殺してもいないのに容疑者としてここに幽閉されている私たちの身にもなってほしいわ。あの憎たらしい長田がやったんじゃない?」

「茜、そんな言い方止めてちょうだい!」立壁由紀は言った。
「おや? 長田さんについて知っているのですか?」
「長田はたちの悪い作家志望として有名よ! あいつに関わると嫌なことばっか起こる」
「具体的に話してください」
「由紀、話していい?」
「うん」
「長田は由紀と関係を持っていたの。由紀は初めてできた彼氏に熱を上げていたわ。でもだんだん長田の本性が露わになって、人格を攻撃して、悪い噂を流すようになったの。私はあいつだけは絶対に許せない!」
「立壁由紀さんですね。心苦しいとは思いますが、長田春彦という人物について詳しく教えてください」

「春彦とはもう何の関係もない。彼の文章を批評した私にも非があるから」
「つまり長田さんの小説を否定したのですか?」
「ええ」立壁由紀は言った。「彼と私は五年前に付き合い始めて、三軒茶屋のアパートで暮らしていました。お互いに文学について熱い思いを持っていることで、意気投合したんです。彼は私の小説を認めてくれたけど、私は正直に言って彼の書く小説が分からなかった。ジョゼ・サラマーゴもガブリエル・ガルシア・マルケスも名前だけしか知らなかったけど、海外文学を手本にするなら地頭が良くなければ、自爆するだけだって知ってほしかっただけなんです」
「ほう」西園寺は肯いた。
「私は春彦に『小説家の夢は無理でも、貴方なら他の分野で成功できると信じている』と言ってしまったんです。でも、彼はそのことが許せなかったみたい。彼は他にもアップダイクやトマス・ピンチョンも好きだったわ。けど彼は激情型というか自分の小説に対して絶対的な自信を持っていたから」

「立壁さんは海外の文学は好きではない?」
「私は日本の作品『天使の卵』や『ノルウェイの森』が好きです。特に二階堂ゆみさんの小説は全て読破しています」
「ふむ」西園寺は肯いた。
「思い出したくない昔の話よ」立壁由紀は言った。「私はロマンス小説が好きなんです」
「うむ」西園寺一は相槌を打った。
「だから長田に言ってちょうだい! 東京からとっとと消えて田舎で生活するのがお似合いだって!」名和田茜は叫んだ。
「事件発生時――つまり二階堂ゆみさんが亡くなる前に、あなたたちはどこで何をしていましたか?」

「私は女子力アップのために近くのヨガ教室に行ったわ。確か朝の九時から十二時までだったと思う。それから三軒茶屋の由紀の家で合流して『文学の森』に来たの。今は小説は書かないけれども、由紀のためならと思って来てみたら、長田もいて、不愉快だったけどね」
「立壁さんは?」
「確か十二時半には『文学の森』にいて、春彦とも会ったわね。とても気まずかったけど、倉田さんもいて安心した」立壁由紀は言った。
「それはなぜです?」
「倉田さんはとても気持ちのいい人です」
「気持ちのいい人?」
「ええ。あの方ほど気持ちのいい笑顔を見せる人はいませんもの」
「なるほど」
「実は私、小説家を目指すのを諦めるためにここに来たんです」

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