「何を根拠に書いているんだろう?」と思われる文章は信頼できない
毎日、オンラインサロンや講座の受講生さんたちの文章をひたすら添削しています。
人の書いた文章を読んでいると、気づくことがたくさんあります。あ、これ、ちょっと書き方を変えたらグッと印象変わるのに。もったいない。と思うことの一つが、
「何を根拠に書いているのか、わからない」文章です。
たとえば、
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あなたが見ている現実は、あなたの意識が作っているんですよ。
口では「こんな人生望んでいない」と言っていても、全てが自分の思った通りになっているんです。
望まない現実を引き寄せているのは、あなたの意識なんです。
だから、意識の使い方を変えるだけで、行動できる自分になれるんです!!
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こういう文章はよく見かけます。
読んでいると「何を根拠に?」「誰がそう決めたの?」「何で私のことを知らないのに勝手に決めるの?」という印象を受けます。
自分の意見なのか、一般論なのか、どこかの引用なのかわからない
日本語は主語がなくても伝わる文章だから、主語はいらない。
自分が書いている文章なんだから、全て自分の意見に決まっているだろ。
そう言われることが多いのですが、上記の例文のような文章は、「自分の意見」なのか、「一般論」なのか、「どこかで学んだことの引用」なのかがわからないから、読んでいてモヤモヤします。
有名な学者さんとか、本一冊書いている著書の中の一部であれば、「このひとがこういう根拠で導き出した論なんだ」とわかりますが、
ブログ等のメディアでいきなり書かれたら、
あなたはそう思うかもしれないけど、それ本当なの? 何を根拠に?
という気がします。それでは読者に信頼されない。
自分の意見は、自分の意見として書く。(相手がどう受け取ろうと自由)
一般論であれば、「一般的にこう考えられています」「こういうことをよく言われます」と書けば、ああ一般論なんだな〜と受け取れます。
どこかで学んだことや誰かの意見の引用であれば、「〇〇ではこう学びました」とか「〇〇の考えではこうなります」みたいに言ってくれればスッキリします。ああそうなんだ、そういう考え方もあるのね、と受け取れます。
自分の考え、自分が導き出した論である場合は、自分の意見だとわかるように書きます。
私はこう考えます。
私の意見では、
私はこう信じています。
これはあくまでも私の考えですが。
自分の意見は自分の意見。「自分が思っていることに過ぎない」というスタンスで書けば、読者は、
この人はそう思うんだ、私は違うなあ。
この人の考え方、なんか自分に似ているなぁ。
この人の考え方、すごく共感する。
と、自分に当てはめて読んでくれます。
「自分で考える余白」が生まれるのです。決めつけ感がない。だから受け取りやすい。
(もちろん、一文一文全てのに「私の考えでは」とか「私は」「私は」と書くとウザいです。主語をはっきりさせて、自分の意見だと伝わればOK)
読者が受け取りやすく、信頼される文章の書き方は、この本に詳しく書いています。
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