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新米の季節🌾お米の尊さ🍚 | 今井正『米』(1957)を観て


今年も新米の季節がやってきた。
炊き立ての新米はより一層キラキラして見える。 

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「日本=お米の国」

という意識は、おそらくほとんどの日本人がもっているものではないだろうか。


近年では米離れが進み、
米の食料自給率も低下している。

それでも、

「米は必ず守ってみせる!米は日本人の誇りだ!」

と言わんばかりの精神が日本にはあるように感じる。


(わたしもお米は大好きだし、米粉パンは日本人好みのもちもち食感🍞🍩)


しかしそもそも、戦後(1950年代頃)まで、米は貴重なものだった。

百姓は年貢として米を納め、自分たちは粟やきびを食べていたし、
戦中戦後は、米の配給が遅れることもあり、
米の消費を抑えるためにお粥や芋で飢えを凌いでいた。


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そんな日本で、白米を食べることのありがたさを感じられる作品。
それが、今井正の『米』(1957)である。

(笑えるほどのド直球タイトル)


あらすじを端的に説明すれば、

「若い男・田村次男が、対岸で貧しい暮らしをする娘・千代と出会い、恋をする」

という話である。

(この先ネタバレ注意!)

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数々のサイトやレビューをみると

「田植えを祝う祭りや、手作業で田植えや稲刈りをする農民たち」



「当時の農村生活をリアルに描いている」

などの説明がされている。


しかし、私としては、それだけで『米』というタイトルがつけられたわけではないと感じる。


なぜなら、


千代が亡くなった母親よねの野辺送りで、
箸を刺した茶碗山盛りの白米(枕飯)を笑顔で持っているラストシーンを見たからである。

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千代の家の食卓はかなり質素。

小さいちゃぶ台に、お粥と汁物。

農作業ができるほどの体力がない父親の代わりに、よねと千代は朝早くから魚を釣りに行く。

帰ってきたら、千代は朝ご飯の支度。

よねは片付けをしながら、
「朝飯食ったら・・・に行くぞ」
(←肝心なところが何度聞いても聞き取れなかった)
と言って、なかなか食にありつけない。

そんな生活の中、一本釣りだけで生きていけなくなったよねは、
禁止されていた"さし網漁"をするが、監視船に見つかってしまう。
警察に出向くが罪の恐ろしさから、遂には、薄暮の湖畔で自殺する。

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食卓に映された、お粥と汁物だけの困窮した生活。
よねは白米を食べることも、ゆっくりと食事することもできなかっただろう。
しかし、野辺送りで千代が持っていた山盛りの白いご飯。
それは、よねにとって今までで1番豪華なご飯だったはずである。

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このシーンをみた瞬間、私はよねに対して
「よかったね。やっと白いご飯が食べられるね。」と語りかけた。

また、枕飯で箸を立てる理由について
「箸があの世とこの世の架け橋であるから」
とか
「行儀が悪く、日常ではしないことだから」
などと教えられたが、
それだけではなく、
昔の人にとって「白いご飯」がいかに尊かったのか、ということをより実感した。


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長くなってしまったけれど、わたしはこのシーンがあってこその『米』というタイトルだと考えている。


ということで、今日もお米に感謝し、いただきます🌾🍚





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