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フェミニストの涙は歴史を洗う

女性が自分らしく生きていくには「強さ」と「愛」が必要だ。これらは相反する言葉のように思えるが、陰と陽は常に同時発生するのと同じように「強さ」と「愛」は同時発生するものだと考えている。

Femtech(フェムテック)が社会的に注目をあびているなか、改めてフェミニズムを語られているのを目にするが攻撃的な内容も多々ある。
確かにフェミニストは過激派の女性たちの歴史がある。その歴史は今の時代からすれば本当に驚きの連続なのだが、日本にも穏健派フェミニストの市川房江らが活動していた歴史がある。

イギリス、アメリカ、日本とフェミニスト達の歴史を振り返り、今のフェミニズムやフェムテックへの繋がりを考えてみたい。

まず前提として、世界中で起こった女性運動は女性が参政権を獲得するために行われた運動だ。過激派フェミニストたちは「ミリタンシー」と呼ばれ、窓ガラスを割ったり郵便ポストを爆発させたり戦闘的な行為を繰り返した。よくこの戦闘的な行為が取り上げられているが、実はこれはほんの一部の人が行った行為だ。

イギリスのフェミニズム

イギリスの女性参政権運動は19世紀後半から始まった。イギリスでは2つの組織があった。
1つ目はミリセント・ガレット・フォーセットが会長の穏健派で女性参政権協会全国 同盟(以下:NUWSS)
2つ目がエメリン・パンクハースト夫人が代表の女性社会政治同盟(以下:WSPU)、のちにサフラジェットとも呼ばれた過激派組織だ。

歴史的インパクトが大きいことからWSPU(サフラジェット)の方が有名だがこの組織は5,000名程度の規模だったのに対し、NUWSSはロビー活動や更新など過激派活動はせずに運動を行い、5万人規模の組織だった。

19世紀の女性参政権運動は、第一次世界大戦を一区切りとし、女性が戦争に協力したからそのご褒美で参政権を得たと思われてきました。(研究者の間ではさまざまな意見があるようです)

最初から穏健派と過激派が分かれていたわけではなく、少しづつエスカレートしていった。最初は政治集会でしつこく質問して引きずり出されるを繰り返していたが、刑務所に入れば注目されると思いつき、わざと保釈金を支払わずに監獄に入ることで注目を集めたのがきっかけだ。
そこから徐々に過激な行動に移り、一斉に窓ガラスを割ったり、刑務所でハンストをしたり、郵便ポストを爆破して、ビジネスマン達に仕事の書類が届かないようにした。
もっと有名なのは、競馬場で国王が所有する馬の前に飛び出し、馬とぶつかり亡くなってしまうという事件を起こした。
(サフラジェットは『未来を花束にして』という映画になっている)

1900年初頭には、大規模な「行進」も頻繁に行われていた。この時代の行進は、抗議の意味だけでなくお祭り騒ぎの意味も大きかった。
精神を高揚させて一体感を得る、プロパカンダ的な意味もあった。

組織によって、表現の仕方は大きく変わっていたのだ。

アメリカのフェミニスト

アメリカフェミニスト活動は人種差別問題と深く関わっている。
まずアメリカの女性参政権運動の始まりは1848年のニューヨーク、5名の代表女性が集まり、アメリカ独立宣言を模し冒頭の「人間」を「男女」に置き換えるよう訴えた。
その少し前の1830年頃、奴隷制廃止運動において女性の男性と同等な権利を求めた。
その後女性参政権運動が本格的にスタートするが、背後には人種問題が色濃く絡んでおり、優れた中産階級白人女性が学のない男性より劣っていることへの反発が大きかった
フェミニスト組織は女性だけの団体もあれば、男性も参加している団体もありさまざまだった。

1910年代になると運動はさらに活性になり、イギリスから帰国したハリオット・スタントン・ブラッ チが率いる女性政治同盟が初の参政権パレードを行い、大きな影響を与えた。
その後、過激派の派閥ができ、ホワイトハウス 前での示威行動などミリタンシーを掲げ、逮捕されるとハンガーストライキを行うなど抵抗が行われた。

日本のフェミニスト

日本は穏健派フェミニストが主流で、サフラジェットのような過激派の記録はほとんどないらしい。
日本の女性参政権運動といえば市川房枝が有名だ。アメリカに留学していて参政権運動を学び日本でも活動を繰り広げたが、欧米のような活動ではなく政治教育を日本全国に広めた、とも言われている。

市川房江は、婦選獲得同盟の支部を全国に作った。規模や活動内容は支部によってだいぶ異なったようだ。
本部は東京で、『婦選』という機関紙を発行して海外の政治運動の情報も発信していた。
市川房江は参政権獲得後のこともかなり意識して活動していたようで、女性の参政権獲得がゴールではない、と発信している。

国によってかなりの差がある女性の参政権を求める運動だが、未だ女性が参政権を持たない国もある。

女性の今の生き方は、先代達が声を上げて行動してくれたおかげであることを知ると、女性とは、女性の社会進出や活躍とは、をより深く考えたいと思うようになる。

女性がもっと生きやすくなるためにフェムテックはさらに広まってほしい。それにしても不思議だ。「フェミニズム」や「フェミニスト」という言葉は、単語を聞いただけで歴史が頭のなかを走馬灯のように駆け巡る。


参考文献:
明石書店『イギリス近代 フェミニズム運動の歴史像』河村貞枝

参考映画:
『未来を花束にして』


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