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繊細な自分でいい。繊細な自分がいい。

「繊細さん」

昔から、なんとなく人よりも物事を敏感に捉えがち、深く受け止めがち、考えこみがちだった私。そんな自分の一面を隠すかのように、悟られないように振る舞っていた学生時代。

誰にも頼まれていないのに、物事を敏感に感じてしまって、深く自分の心の中に受け入れてしまって、自分なりに理解しようとじっくりと咀嚼してしまう。しかも無意識で。

目に見えていることだけじゃなくって、その後ろに隠れていそうな背景をこれまた勝手に想像しちゃったり、誰かの言動が放つ言葉の真意を探してしまったり。

願うならば、もっと鈍感な性格だったらなあと、何度思ったことか。

そんな自分の性格をわかりやすく表現した言葉

「繊細さん」

この言葉が世に広まり出したころ、なんとなく目を逸らしたくなったり、他人事だと思おうとしたり。どうしても認めたくない自分がいた。

「繊細=傷つきやすい」
「繊細=生きづらい」

こんな風にどこか弱々しくて、女々しくて、脆くてか弱い感じに捉えられている様な気がする「繊細」という性格。

対照にされがちな「おおらか」「豪快」な性格の方が、ポジティブに捉えられがちなことも、なんだか気に入らなかった。もちろんどっちが良くて悪いかなんて無いんだろうけど、大多数に向けた憧れの性格ランキングには、きっと「おおらか」や「豪快」が上位に入ってくるのかなあと思ったり。

長年、自分のこの繊細な性格をどのようにして受け入れていくのかが深刻な悩みであった。どうしてこんな性格になったのかと心理の勉強をしていた時期もあった。そしてたどり着くのは「幼少期の生育環境」「親との愛着関係」。あらゆる本、文献を読んでもそうだった。

人格形成にまつわるあらゆる理論は、くしくも納得できるものばかり。幼少期の環境が今の私のベースに影響していることは確かただった。

でもね、過去が原因だと知った所でさ、少し気持ちは軽くなるけれど、悲しきかな、過去は変えられない。

「幼少期の環境=私」
私の全てが幼少期の環境で決まってしまうなんて、そんなの不条理すぎるし、とても切ないこと。だって幼少期の環境なんて、自分で作れないし、選べないし、どうにも仕様がないこと。育った環境で自分の性格の全てが決まることを、私は迎合したくないし、それだと人生への希望がなさすぎる。

繊細な性格の成り立ちは分かったとして、じゃあこの性格とどう向き合っていくかは、自分で決めていきたい!

この繊細な性格を受け入れるには、成り立ちだけを理解することだけでは不十分だった。

そんな時、ふと目に入った1つのTVコマーシャル。

ずっと歌い続けていたい、ずっと歌手でいたい
繊細でなければならないし、タフでなければならない

【ヤクルト公式】Y1000「MISIA:歌手」https://youtu.be/NcwlaTfYGog?si=rH95VqsWM-TctyK2

「繊細でなければならない」

あの歌姫のMISIAさんが「繊細」であることを肯定していた。自分の夢のために、繊細であることを望んでいた。

私はつい手を止めて、画面に見入ってしまった。同時に安堵の気持ちも溢れてきた。そして、自分に

「よかったね。」って伝えたくなった。

なんとなく、誰かの心に響く歌詞を生み出せるのは、心の動きや言葉がもつニュアンスを理解しているからこそできるものなんだろうなあ、すごいなあと思ってはいたけど

きっとそれって、繊細だからこそできる事なんだろうなって、MISIAのメッセージから想像することができた。

繊細だからこそ、なかなか上手く伝えられない心の動きや反応に敏感になれるし、それを言葉に換えて、曲にのせて、私たちの「言葉にできないあの想い」を代わりに表現することができるんだと思う。

繊細さがあるからこそ、目に見えないことを感じ取ることもできるし、それを表現する方法も考えられるんだと思う。

世の中にいる多くの表現者と言われる人たちや、人の心に触れるサービスを作っている人たちの多くに共通すること、それはまさに

「繊細さ」なんじゃないかな。

私たちの五感を満たしてくれる、音楽、料理、物語、装飾、あらゆるモノやコトは、誰かの繊細な気づきによって生み出されているんだと思う。

そんな風に捉えられるようになったとき、私はもう自分の繊細な性格を誇りに思い出していることに気づいた。

この繊細な性格だからこそ、できる事がある、生み出せるモノがある。

うん。
繊細な自分でいい。
繊細な自分がいい!!

繊細な性格を受け入れることを、今ここに宣言します。

Hiroko

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