私の芸術運動187何もしない何10年間

知らないだけで世界は狂気の沙汰ですが、今日も私は目の前の事に必死で結局何もできないでいるのです。

生活のやりくりをして仕事をして他にも常にやる事があります、それも毎日毎日、そんな日々の中で束の間の休みなんかは自分の好きな事をしてリラックスしようと思います、映画を見たり、本を読んだり、散歩したり、買い物に行ったり、連休があれば旅に出てたり、ダラダラとYouTubeを見たりして、そして明日の事を考え始めて眠りにつきます。

私は生まれてこの方これがごくごく普通の事だと思っていました、だけどこれこそが狂気の沙汰なんじゃ無いか?と。

私の様に定職を持たず、絵を描いて、地に足つかないまま生活のやりくりをしてあれやこれやと妄想に耽って、好きな映画や本を読み、珈琲を飲んだりする、そんな時、ふとこの世界が狂気の沙汰なんじゃ無いか?と思う事がある、今も世界のどこかで戦争をしているし、難民や戦争による被害者も増える一方だ、そんな時日本ではネットの誹謗中が問題に上がったり、それによって命を絶つ人も沢山いて、みんなが何かを批判し合いながら、日本は終わりだなーと日本人が言っている、そして明日の仕事のことを考えて眠りにつく。

老後の事や少子高齢化の事、家のローンの事や地球温暖化の事、色んな情報が絶え間無く押し寄せてくる。

だけどどの問題を取っても自分一人じゃどうしようもないことばかりで思考停止する、その時考えることはやっぱり自分の人生の事。

私も絵の事や今月の引っ越しの事や仕事の事を考えている。

あまりにも無力だし、自分には到底変えようもない現実を前にそれを頭の隅っこに追いやって保留にしてとりあえず目の前の事を考えようにする、つまり自分にはどうしようもないから、みんな大変だ、自分はそれどころではない、という風に思考を変換している様な気がする。

こういう風に考える人がこの地球上に何人いるだろう?多分みんな同じ様な物で何十億人という数の人がそうしていると思う。

これを私は狂気の沙汰なんじゃ無いか?と思うのです。

なんでお前ら!と周りに言いたいのでは無くて、私に出来ることはないんだろうか?と考えてみる、とても大きな問題で私達庶民にはどうしようもない事を、他の国の偉い人達や、専門家や先生と呼ばれる人達、いつも批判をぶつけている日本の政府の偉い人達に任せてる、それを私達は批判する事しか出来ないのか?

争いたいのでは無くて、ただ良くしたいだけ。

社会や政治のシステムなんて一旦端っこに追いやって、どうすれば世界が変わるのか?改めて個人で考えてみる事はとてもいいと思うし、同時にどういう世界なら、自分もそうだけどみんなも幸せに生きていけるのか?を考えるのはとてもいい事じゃないだろうか?

そして出来る事なら、机上の空論で終わらずに、小さな事でも少しずつ行動に移して行けたなら、多分それが一歩になる、この時に私が危惧しているのは思想同士がぶつかって共倒れする事、戦争も元を辿ればそれが原因で起こる、自分の思想を掲げて隊をなすならそれはデモや武器を持たぬ軍隊でも、いずれこれは争いとなる気がする、あの湧き起こる不思議な熱が次第に手がつけられなくなるとあの学生運動の様なことが起こる、あの頃はそんな熱を若者達が持って行動に移した時代があった事にノスタルジックを感じるし、あれはあの時代を生きた若者の青春の熱とも取れる。

しかしそれじゃー世界は変わらない、ならもっと大規模な事をすればいいのか?いや、そもそもそのやり方では変わらないんだろうと思う。

今の私達が、無関心で自分の明日の事しか考えられない!そんな何10年間をこれから歩むか?

一人一人がより良い世界のために何かを考え、たとえ何も変わらずとも少しでも行動に移せた未来なら、私は後者の何10年後に期待したい。

私は思う、そういう想いみたいなものは無駄にはならないんじゃないかな?それと同時に私が自分の芸術に対して同じ事を思っています。

世界を平和にするための芸術を描けるとは思いませんけど、平和な心を思い出させる事はできる様な気がしてます。

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