私の芸術運動86なんのために生きて描くのか!
前回の記事では永遠の芸術について書きましたし、私はそれを目指して実践しているわけです、他の人からすればなんのこっちゃ?なのですが私からすれば至極真っ当なことと言えます。
私は努力の積み重ねがいい芸術家を作るとは思えません、もちろん間違いでは無いですがそれはあくまでも個人の問題であって、私はこんなに頑張っているのになぜ売れないのか?と思う時点で何か違和感を感じます、何のためのどりょくなのか?なにより私の思う芸術の永遠性がそこではもう消えているからです。
この世界は一過性の強力なインパクトのある力に価値を感じる傾向にあると思います。
例えば一攫千金や、バズるや、当たるや、才能やら
どうしようもない世界をグルンと変えてくれる救世主の様な選ばれし者、他とは違う、みたいな
歴史を見返してみるとなるとほどあの時あのタイミングであの場所にいたあの人が歴史を変えたと取れなくも無いですが、それは一つの見方です
例えば世界中の人たちが一斉に隣同士ジャンケンしてを繰り返し最後の一人が残るまで続ければ誰か一人は確実に一度も負ける事なく優勝するわけです、これは確実な事です、しかしそれを歴史的な観点で逆から見ると奇跡としか言えない様なことに感じるわけですが
誰もが然るべきタイミングで然るべき場所に居ると私は考えます、他の誰でもなく貴方がそこにいるのはそういう理由からです。
じゃー今の自分はどうしようもないのかぁー!と肩を落とす人もまた然るべき反応をとっただけです
そういう数多の積み重ねで世界は今日も回っています
次世代の若者の力に期待!ではなくて、人類生きていれば年寄りでもなんでも、関係なしに世界を作っています。
私の無意味と思われるこの芸術も間違いなくその一部であり、然るべき事です。
今がどんなに辛くても、どんなに幸せでも、これからの自分の然るべき生き方によって大きく世界は変わって行くのです、変化しながらも一つの現実に辿り着く様にできているから自分が世界を変えたとはとても感じれなくても、確実に何かは変化しているわけです、というか変化する事が当然でありそれこそ普通です
生きている限り変化しか起こらないと、そう私は思うのです。
無意味なこんなちっぽけな人間なんてと自分の事を思うならその人にとって自分は本当にそうであり、逆にいや!待てよ、私はまだまだこれからだと思えばそれはその通りなのです。
なんのために生きているのか!
なんのために描くのか!
それは綺麗事で言えば他の誰かのためということになるのかもしれませんが、私的には、私自身がこの世界でどうやって生きて行くのか?を見たいから!ということになります。
自分の利益だけを考えるということじゃなくて、自分がどう生きて行くか?です!
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