命あっての物種
最近僕の周りが騒がしくなっています
原因を探れば行き着くのは僕なのですが、僕の手元を飛び越えて既に全く違う問題に変化していることに気づきました
不思議なものです。
どう転ぼうと自分の蒔いた種なのです、何が咲くかは生えてからのお楽しみ
僕にはそういう部分があるのです、どんな嫌な事でも、どんなにいい事でも、心は同じようにワクワクしている
いい結果を待っている時、最悪の想定をして
悪い結果を待っている時、最良の想定をして
どう転ぼうが、何が咲こうが、それを待っていた!と言える感覚に居ます
これが周りの人からするととても冷たく、よそよそしく思われたりするものです
逆にとても前向きだと言われたりもするのです
今回僕は色々と日々濃く勉強させてもらっています、僕の蒔いた種から何が芽生えようと、それに対して良く思う者もいれば、よく思わない者も居るのです
結果はどうあれ、それを受け取るのは僕であり、そしてどうするのか決めるのも全て僕なのです
自分勝手だと言われる事もしばしばですが
お気づきではない?
僕の蒔いた種に対して周りのみんなも自分勝手に意見をしているという事に
こうすればこうされる、ああ言えばこう言われるだろう、そんな事で自分の芯をぐにゃぐにゃ曲げてしまうことが僕にはどうもできないのです、かといってむやみに突っかかって行く事もしません
できれば柳のように、力を抜いて、生きたいと考えています
それはどこかよそよそしくもあり羨ましくあるのかもしれません
暖簾に腕押し、僕はそんな人になりたいと思います。😌笑
やられたらそれと同等かそれ以上で返そうとする、その必要があるでしょうか?
一発殴られたら2発殴る?
そんなのめんどくさいんですよ
それよりもやっぱり、暖簾に腕押しです
芯を通すのは心に対してです
相手の心に対してもです
愛情を注いでもらったのなら、自分の出来る範囲で最大限の感謝とその心意気を
憎まれたのなら、自分を内観して、悪いのなら素直に謝りましょう
それがお門違いだと思うなら、自分に自信を持って次気を付けましょう、自分の心に対して芯を通す感じで
意地より芯を通しましょう。
これら全て
生きているからこそ学べることばかりです、自分の勉強したい事を人は自然に選択して生きているはずです
どんな人でもです
お金がないから、時間がないから、才能がないから、出来ない、やれない
本当にそうでしょうか?
じゃー、それをどうするか?と考える事が既に勉強であり人生そのものだと思います
興味があるからそれについて考えているわけだから、何かしらの行動につながれば思わぬところで道が繋がったり開けたりするものだと僕は信じています。
種を蒔いたら自分で責任を持って育てたり刈り取ったりしなきゃならないですから、それも全ては生きているからこそ
命あっての物種ですね🙆♂️
#命あっての物種 #画家 #芸術 #芸術家 #エッセイ #コラム #ブログ #随想録 #飯田大輝
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?