あくまでも個人の問題

今日とある方の展示を見てきました

内臓をキュッと握られた様な感覚を覚えました、芯に迫る感じがしました、もしくは心だったのかな

真実を突きつけられた様な、正直怖かった、しかし目は離せなくて、何とか自分の中で消化しようとしましたが少し不良です、僕はここにこの方の作品のスゴさを感じました

怖いだけなら見ないからです、怖いけど、引き込まれて行く魅力、妖艶な、残酷な、そんな魅力ある夢のような展示でした

夢の中で醒めてくれと願う夢もあるでしょう?

それとは全然違うものでした、じっくりと鑑賞してしまいました

多分僕の感じたものは的外れでしょう、いつもそうですから!笑

僕が感じたものよりももっともっと深い愛の叫びのようなものが聞こえた気がしましたが、僕にはそれがまだなんだったのかわからずじまいです、正直この作家さんに会って喋るといくつか腑に落ちる点が見つかるんじゃないかと思いました

残念ながら在廊はされていませんでしたので、また次の機会にでも是非、その方の雰囲気に触れて話してみたいと思います。

神保町のギャラリー小暮というところでの展示ですが後2日くらいで会期が終わってしまいます、是非お立ち寄りください🙏

そして、いよいよ僕の個展が近づいてきました

2019.10.07〜2019.10.12

銀座一丁目、ギャラリーSOLにて

飯田大輝「醒め方を知らない夢」展

正直自分が怖いですよ、俺は何をしてるんだろうって思います、個展前だから毎年恒例の自己嫌悪期間です!、笑

自己嫌悪する資格もないレベルの画家ですけれど、という自己嫌悪です。笑


そこで!!最近いろんな角度から芸術家というものを考えていたのですが、こんな事を考えてみました

それはこの世界に芸術家というものが確立してからの話ですが、いろんな芸術運動を経て、芸術は進化してきたように思えます

しかし実際はそんな事無いんですよね

脈々と受け継がれているものも確かにあります、僕もそれを受け取っている一人ですから

しかしそれは意識的には勘違いでした

いろんな時代に芸術家は存在しています

いろんな主義を経て今のいわゆる現代アートにたどり着いたのは事実ですが

あくまでも個人の問題です

個人で追求していく問題です

今までいろんな天才芸術家がいて名を連ねていますが、個人の芸術とは別の問題です

言葉でうまくいえませんが、僕が生まれた時に僕の芸術は始まって、僕が死ぬ時に僕の芸術はそこで止まるわけです

この期間の間にしか僕の芸術は無いという事です

人は誰一人として同じ時間を生きていません

自分の持てる時間の中で自分の時間に沿って生きていくことになります

年数とかの問題じゃ無いです

同じ一年でも人によって全く違う1年間です

ピカソより後の時代の今の芸術が進んでいるということもないですし、退化しているということにもなりません

今生きている自分の中で最高の芸術を叩き出すしかありません

当時全く評価されなかった印象派を現代の人たちは美術館へ通い詰めるようになったからといって、この時代を生きる人間の芸術性が進化したというわけじゃ無いです

それは芸術と時代の問題であって、今を生きる人達の中の芸術。個人の芸術という面では進化しているわけじゃ無いと思うのです

機種変更してグレードアップしているわけじゃ無いですから

個人の中の芸術は個人の中でそれぞれの時間の中で培うものです

ただ一つ言えるのは、過去の芸術家達を超えるという概念があるとすれば、それは今生きている僕たちにしか出来ないことという事です

今までの芸術家を正確に測る物差しは無いので実際にはそんな事を考えることが既に間違っているといえます

その時代その時代の芸術家の情熱や、観念や技術を僕たちは見習うことはできると思いますが作り上げるとなると個人の人生の問題だという話です。

僕は僕の芸術を最大限に発揮しようと思ってます、昨日の自分を越えるためには今日生きて絵を描く自分が必要です、受け継がれるのは芸術家の情熱や思想です、ぼくはそれを培っている最中です。

そのために、過去の芸術家、自分が感動したものへのリスペクトとそれを越えるという強い意志は一つの指針になります

そんな事をカフェ、ミロンガで考えていました。

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