好きな事をして好きな事をしたい。

僕は絵が好き

昔から好きだけど

昔とは比べ物にならないほど好きだ

多分、今よりもこれから先の方がもっと好きになっているだろうね

幼稚園に上がる前から好きだった

学生の頃は日々のあまりにもつまらない授業をいかに面白くするのか、いかに有意義に使うかを絵にかけていた節がある

というよりか、絵を描いていたせいで授業の面白さがてんでわからなかった

しかし本を読むのも好きな僕は

国語の教科書や社会科の教科書は読み漁った記憶がある

あれだけの物語が詰め込まれた教科書、授業で扱われない物語があるのはとても寂しいなと、思っていた

自分が興味を抱いたものにしか集中出来ない

それは学校の先生からしたら僕の人間としての弱いところだと捉えていたんだろうと思う

まぁーどうでもいいけどね。

結果として、僕は今好きな絵のことをあいも変わらず日々考え、描いている、本も読み、映画を見て、僕の心は随分大きく伸びをして深く深く呼吸して、鼓動が力強く打つのを感じてる

コロナの影響で、職は失ったが

それでも、それは変わらない

周りにはそれこそ飯田だと、わざわざ言わず、言うまでもなく一緒にいてくれる人達もいる

甘えはしないけど心強いなとたまに思う

けれど結局は自分の事は自分でこなさなきゃならないし、それこそ生きる醍醐味という風に僕は感じてる

生まれて死ぬまで人間は孤独、これは間違いないけれど、だからこそ素晴らしい人々に出会える、矛盾しているよね?

不思議なんだけどこれが本当なんだよ。

言葉で説明してもわからない

そんな事は、生きているとたくさんあるでしょう?僕は絵を描く、なんのために?

それは描いている人にしかわからない

絵を描く人が皆おんなじ動機はあり得ない

むしろみんなが誰一人同じ気持ちの人はいない

みんなそれぞれの心の運びによって絵を描くことを選んだ、本当は共感しあってワイワイやる事に意味は無いと思う

本当に大切な事は、自分の意見を言う、相手の意見を聞く、認めあいながら、ぶつかり合いながら、自分の芸術を突き詰める事だろうね

相手を理詰めで負かせる事に優越感を抱いているような奴が多い、絵の上手い下手や、画家になろうとした動機のストーリー性とか、自分は他の人とは違うという宣言、才能の有無

どうでもいいけれど

もしそれが全てなら、あの頃の日々の退屈な授業よりもつまらないだろうね

そんなつまらない事じゃない筈だと僕は思いたい、ただ自分が「おお?」と思うものを描きたいだけ

そして僕は今画家として生きていこうとしている、そうなれば、僕はいろんな芸術に触れたいと考える

つまりいろんな人の芸術性を感じたいと考える

その人の芸術に対しての姿勢、考え方、生き方、何も絵を描く事だけが芸術ではないしね、その人の発するものに触れたいだけ

否定はできないし、されても困る

そんな中で、話し合える奴が出来たらなんて素晴らしい事だろう

お互いバチバチぶつけ合っていても、絵を描いていて良かった、これからもやってやる、そんな思いにさせられるような奴に出会えることなんて稀かもしれないが、絶対いる

じゃー会えなければだめ?

まさにここ!!

一人で孤独でも自分の芸術を当たり前のように磨いていける力が必要なんだな、それができなきゃ切磋琢磨もできない

人間は孤独だというのはこういうところに真意があると思う、僕はそう思ってる。

一人でも充実した人生を送る潔さとか力強さとか純粋さを僕は大切にしてる。

僕の好きな事

読書、僕の絵で社会と繋がろうとした時、やっぱり思う事がある

僕の絵が小説や何かの本の表紙、装丁に使ってもらえたらどんなに楽しい、嬉しい事だろうかと

ブックデザインや装丁家という仕事はやりたいですと言ってやれるものでもないけれど、難しく考えず、ただ僕の絵を気に入ってくれて、本の表紙のに使ってくれたり、その本や著者から得たインスピレーションで描いたものを使ってもらっても嬉しい

もちろん合わないと思われれば仕方ないと思う

僕は絵を描くところまでが画家ですから

そこから先は絵を見た人の心に委ねていくしかないと思います

だから面白いんだよ👨‍🎨

これから本の出版を考えているとか、僕の絵を気に入ってくれたりとか、絵のリクエストとかあればご気軽にInstagramからでもご連絡ください。
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