50キロ

心がフラットだと前回の記事で書きました

それが少しずつまた様相を変え始めました

情熱が煮えて来て少しざわざわとしています

僕の絵は変わっていくのでしょう

僕の絵とともに人生がうねって行きます

僕は車や電車や船が嫌いです昔から

すぐ酔ってしまうんです

大人になってからもそれは変わらずでした

20分乗るのはなかなか至難の業に思えます

特に車なんかは道がうねっていますからね

だったらさぁ?

僕は自分の人生に三半規管がやられてもおかしく無いと思ったのです

酔ってもおかしくないと思うのです

よく自分に酔うという表現があります

人酔いという言葉もあります

僕は自分で酔ってしまっているんでしょ

毎日毎日心がこんな運転をしていたらそりゃぁそうでしょ

たまにはフラットな道をダラダラと走っていたいのです

昔バイクに乗っていた時、仲間はスピードを出したがりました、それに必死に食らいついていくやつもいました、追いつくために信号無視する奴なんて沢山いました

僕は50キロくらいで走るのが好きでした、行き先だけ知ってれば僕はたどり着けるのですから、自分のペースで行きます

先に行ってしまった仲間たちが、僕を探しに来た道を戻って来たことがありましたがどこかですれ違ったのでしょう僕だけ先にゴールにたどり着いた時がありました。笑

ゴールした僕は全く持って理解不能な不思議な状況に立たされました、てっきりみんな事故っちまったのか?と心配になりました、偶然にも僕は携帯の充電も切れていましたから。笑

タバコを吸ってコンビニで飯を食っていたらみんながやってきて、みんなもびっくりしていました

早く行った奴らがヘトヘトに、随分と回り道をしてしまっていたらしいです

まぁーそれはあまり僕には関係ない事ですが。

自分のペースというものがあります

生きるのも

僕は自分の道を自分の感覚で生きます

信号無視もしません

必要ならします

だけど、その信号待ちすら僕には何か風情のあるものに感じるのです

大丈夫です、誰も置いて行かれません

誰も置いて行きません

自分の人生ですから😆

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