私の芸術運動158白線

今日は住処としている浅草を出て神保町で画集を探していました、お目当てはアルベルトジャコメッティの画集です。

彫刻で有名な芸術家ですが私はジャコメッティの描く絵が好きです、絵というよりも彫刻的な絵画なのですが、彼の引く線はロマンティックで引き込まれます。

私とは景色の見方が違うのだなとわかります、だからこそ逆に、私は自分の線を描くし、自分の思う芸術を追求します、だからこそのリスペクトです、ジャコメッティの絵は私にはとてもかけないような絵なのです。

ちなみに、ジャコメッティの画集をやっとの思いで見つけたのですが価格はなんと四万円!!!!店員さんがもしよかったらとものものしい入れ物から分厚くて重たそうな画集を引き出して私に「広げて見ていってください。」と言ってくれました。

数ヶ月前にどこぞでやっていたピカソ展に行った際、久々にジャコメッティの描いた油絵が展示されていました、私は思わず別日に彼女を引き連れもう一度見に行ったのを思い出しました。

私は見せて頂いた画集を目に焼き付け、恐る恐る閉じてお返ししました、店員さんは「また見にきてください、次はあるかもよー?」と言って笑顔で見送ってくださいました。

ジャコメッティの画集は(高くて)手に入らなかったのですが、不思議な体験をしたような気がしていました、自分も画家として本屋の棚に画集が並ぶ日が来て、どこかの誰かが偶然手にして私の事を知ってくれやしないか?と思ったのです。

それは私のこれまでの芸術運動と、これからの芸術運動によって決まる事でしょう。

私は昨日のブログでも描いたのですが知らず知らずのうちに人間の暗黒面に転がり落ちてしまうんじゃないか?という一抹の不安を感じています、今までが運が良すぎたのです、今こうして休日にフラフラ散歩を兼ねて街を歩き、画集を探して未来に希望を抱けています、どこかで一歩間違えれば板子一枚下は地獄と言うように、私はスレスレのところを歩いているような気がするのです、道路脇にある車道と歩道を分ける白線の上を私は子供の頃からよく歩きます、しかしこれが白線以外は下に真っ逆さまの崖と知ったらとても歩けないと思うのです、それくらいに私はギリギリスレスレを運良く何も知らずに歩いている人間に過ぎないと感じます、私だけじゃなくてこれは全ての人に言えることと思っています。私には今のところ白線が途切れず、しかも白線しか見えていないわけです、そういうバカさが私をここまで連れて来てくれたとも言えます、本当にありがたい事です。

私はこの白線を自分なりに渡りきれれば、画家として全うできると感じています、しかしそんなに生易しい世界じゃないのを知っています、だからこそいかに自分を信じて、自分の王道を、しかもそのど真ん中を感謝して歩いていけるか?が問われています。

根拠のない自信と言われればその通りです。

だけど、自分の歩む道を信じれなければ吸い込まれるように真っ逆様です。

私には今この白線が途切れず見えています、一歩一歩有り難く味わいながら行きたいものです。

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