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真に先取りすべきものは何なのか

「絽(ろ)」という織物があります。
真夏の暑い季節に着るための着物や帯に用いられる織物の1つで、タテ糸を捩じりながら織ることでいわゆる「透け感」が出て、涼やかな見た目の生地になります。
綴織の中でも「絽綴(ろつづれ)」というものがあり、夏用の帯として制作しています。

今現在、私たちが絽を織るのをお願いしている織り手さんは、なんと90歳の方。
いまだにバリバリの現役職人で、長いキャリアにも関わらず今も技術向上に余念がありません。
しかし実は、この方が絽の織りを覚えたのはそれほど昔のことではなく、
それまでずっと絽の仕事をしていた先輩職人から学び、新たに身に付けられたのです。
そして、今も織りの準備などを手伝いつつ時折アドバイスを送るその先輩は、95歳。
長年お互いに協力しながら織仕事を続けてきたお2人は、年齢を全く感じさせず信じられないくらいにお元気です。

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このように書くと。
どことなく美談のように見えるかもしれませんが…
決してそうではありません。

この絽、普通の綴を織ることに加えて特殊な知識や技術が必要とされるため、織れる人が限られてきます。
ただでさえ担い手の少ない特殊な織物づくりが、90歳を超える2人の職人によって支えられているという状況の危うさたるや。
この2人がお元気なのは事実です。しかしいくらお元気とはいえ年齢を考えると、明日何が起きてもおかしくはない。
90歳の人間に仕事を依頼して、毎回問題なく仕上がってくる…というのは、普通に考えると奇跡的なことだと言えるでしょう。

こういった奇跡は、やはり「凄いこと・美しい話」として捉えられることが多いものです。
しかし、凄さや美しさに耽ってはいられない。
実態は薄氷の上に成り立っていることであって、危ない・怖いと感じて然るべき状況なのです。

これは今現在の私たちの絽の制作についての話ですが、伝統工芸の世界では、他のいろいろな分野でも同じような状況にあるところが多いのではないかと思います。
そして実際のところ、このような現実であることはある程度は周知・理解はされているのだろうと思います。
その上で見聞きするのが、
「まだ職人が織れるうちに…」「まだ物があるうちに…」
といった言動です。
これはつまり、後先は考えず今のうちに先取りしておこう、ということに他なりません。

90歳の職人が織っている…といったことの最も大きな問題は、その技術や知見を継承する人がいないということです。
いつまでもこの状況は続かない、さらにそう長くもない…ということが予測できてしまう。
だから今のうちに自分の利益を確保しておこう、となるのは自然な流れだとも思います。

「もう作れなくなりますよ。今のうちですよ」という言葉。
物の数が少ないからこその希少価値と、物が無くなることの危機感を伝えるセールストークです。
これは何もここ最近になって言われ始めたのではなく、ずっと以前から使われ続けてきたもので、私たちの手元に残る資料にもそういった文言が書かれているものがあります。
継承者がいないという問題は昔からあって、今なお続いていて、なおかつ都合よく利用されてきた…とも言えます。

果実は先取りし、問題は先送りする。
繰り返されてきたその積み重ねの結果が、今の状況です。
そして長年この問題を見て見ぬふりをしてきた私たちもその当事者だと言えます。

しかしもう同じことを続けていてはいけない。
今、真に先取りすべきなのは、知識であり技術なのである。
人がいなくなってしまえばもう終わり。
そうなる前に、できるだけのバトンを次に繋がなければ。

最大の問題は、肝心のバトンを繋ぐ先…つまり継承者がいないこと。
絽の後継者になりたい、といった人がそう都合よく現れてくれることもなく。
果ての無い難題のように思えるが、しかしその実単純なことでもある。
当事者である自分自身が、一旦でもバトンの引き受け先になればいい。

つまりは、自分自身が教えを請うて勉強し、いろいろな力を身に付けるしかない。

難しくはあるが、不可能ではないこと。
さまざまな理由から、そこまでは出来ない、あるいはやりたくない、という当事者が多かったのだろうな…と思います。

個人的にも、もう放っておく方が楽だろうな…と感じるのが正直なところです。
しかし、自分のあずかり知らぬところで捨てられたり失われるものについては看過できたとしても。
自分の見えるところで、しかも貴重なものが無くなってしまう…というのは放っておけない。

ご高齢の職人さんたちとの雑談の中に、引退のことがぽつぽつと出てくるようになりました。
気力も仕事の質も何ら問題ないのですが、ついに終わりというものが見えてきてしまった。
急がないと、という気持ちに拍車がかかります。
新しい技術を1から覚えて練習して…というのはなかなか手が回らないのが正直なところ。しかし時間は待ってはくれないので、少しずつでも進めていきます。
そしてこれは絽に限ったことではなく、身に付けるべきことは他にも山ほどあります。
自分の1つの大きな役目は、できるだけ多くのことを吸収しスキルアップして、それを次の誰かに伝える・渡していくことなのだろうと思います。
単に残すのではなく、続いていけるように。
もったいない精神を原動力としながら、やるべきことをやっていきます。そして、同じような考えの方と協力していけたら、と思います。

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そして現在、90歳の織り手さんに絽の基礎から教えていただき、少しずつ織りの練習を始めています。
この人と同じレベルまで織れるようになるのか。
この人の持っているものを全て継承できるのか。
…といったことは一旦横に置いておいて、まずはできることから勉強と実践です。

織ること自体は少しは分かってきましたが。
とはいえ、織る技術というのは根幹部分ではありますが、氷山の一角でもあります。
身に付けることは果て無く多い。しかし1歩ずつ。
得たものを次にバトンタッチできるように。

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