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おめでとうの言葉に。

先週、無事久しぶりの展示が終わり、近々のモヤモヤした気持ちや製作への意図がまとまって、とても嬉しく思います。

そして何より、このご時世にわざわざ来場してくれて、自分の一番パーソナルな部分を見てもらって、そこを起点に話をしてもらって、感想ももらえるというのは、とても贅沢な時間で、心から感謝しております。

おかげで気づきや発見や新たな創作意欲が湧いてきて元気が出てきます。やはり自分はこの作業をすることと、それを見せることが好きなんだと再認識しました。

今回は徒然と描いている絵と、それの源のまとめのようなペインティング、そして言葉で展示を構成しました。

自分は絵を描きますが、アート好きのコンセプチュアルロジカルおじさんなので、作品を作るに至る経緯や、そこに組み込まれる要素や説明、ニュアンスや表出する度合いをコントロールしながら、画面をどうまとめようと、計画的に、そして直情的に描いています。

今回も福島や震災への気持ちが孕んだ作品群になり、こんなに直接的に描いていいのかな思っていましたが、自分の過去や背景や動機を知る人はキャッチすることができても、自分を知らない人からしたらキャッチが難しい部分も多くあったと気づけました。自分はそれだけ引きづっていて、しがみついているんだと分かりました。

でも1点、「家」について書いた文とペインティングには多くの方からビジュアルも内容もいいと評判が良く、自分がそれを描いたきっかけは震災のことに要因があったとしても、コロナが起きた今の時代に、自然と皆んなも「家」ということについて考えているんだなという事も分かりました。

そしてこの作品を自分の進化として捉えてくれている方がいて、作品の強度が上がっているのだとしたら更に嬉しいです。

今回の展示の来場者はほぼほぼ9割友人でした。何度も言いますが本当に来てくれてありがとうございます。

そこで少し興味深い事があって、男性の友人は「ひろきー!来たよー!」って言ってくれて、「ありがとうー!」って勿論思うし返すんですが、女性の友人は「おめでとう!」って言ってくれるんです。自分はおめでたい事が出来たつもりはなかったのですが、催しが出来たというか、そのイベント、出来事が無事始まった事、その一瞬が生まれた事を祝福する言葉をもらって、驚いて、でもとても嬉しい言葉でした。

今回の自分の展示にすら「おめでとう」の言葉を送る事ができる。一概に言うのは失礼ですが、どこか今回の状況でのこの言葉には、とても女性性を感じて胸に響いておりました。「めでたい」って喜び、祝い、賛美できる事、愛でる、って幸せな意味しかないですよね。

ハッピーばかりとは行かないけれど、自分にはとても「おめでたい」展示になって嬉しいです。皆んなにもおめでたい気持ちと時間やきっかけが届いたなら嬉しいです。嬉しいって何回言ってるんだろ。

喜怒哀楽でも表しきれない色んな気持ちが混ざって絵を描いているけど、生きてるとかってそういう事なのかな、それでも何かパワーみたいなのがあるとまた元気になって、楽しくて、生きていようって思えるから、またおめでたいものが作れたらいいなって思えた展示になりました。

皆んな本当に元気を分けてくれてありがとうございました。

最後悟空みたいになっちゃったな。



「Mt.F」
汚染土が積み上がる双葉町には富士以上に有名な山ができてしまうのではないかと、葛飾北斎の富士の絵をアプロプリエーションしました。絵の具でガツガツ描くのも途中で思い立ちました。ノったら楽しく描けました。

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「埋もれる」
スペインの画家ゴヤの作品の中でも制作意図が分からない「砂に埋もれる犬の絵」が理由はなく共感して引用しました。浅く無限になれ、と思いながら描いていたと思います。

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「I'm home.」
当初は原風景の色や空気を落とし込もうと風景画のような抽象画のように描いていたのに、気持ちも画面もまとまらず、まとまらないと分かったら文字のシリーズの形をとっていました。今回とても評判が良かったです。

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