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「音」 を描くために。

確か中学1年の期末テストの、美術のテスト。

「バキッ」を絵で表現しなさい。

という出題だったと思う。

この時の美術の先生は独特の雰囲気を放っていて、見た目はメガネ無しのしりあがり寿さんのような感じで、柔らかい顔立ちでとても穏やかに、ボソボソという擬音ピッタリの話し方の先生。

名前に道が入るから、みんなミッチェル先生って呼んでた。

周りからは真面目だけど変わった先生というイメージを持たれていた。

先生はクラス担任を持たない方で、美術の時間に美術室でしか会えないからどこか謎めいていた。授業もお題だけ出して、あとは放任主義な内容でみんなからしたら自由時間だった。

休み時間に美術室にいる先生を訪ねると、部屋の奥にある道具や塑像がある小さい資料室で、年季の入った木製のスツールを頭、腰、足に合うようにうまく3つ並べて横になって休んでた。

先生が寝てるってだけでおかしかったけど、しかも両手を綺麗に胸の上に、ザビエルの指先をまっすぐにした状態で静かに目を閉じてるから、セイント感が出てるし、でも生徒が訪ねるとその状態で細い目を開け、「やあ」とか言うから余計におかしかった。

そんな静かなミッチェル先生の通勤はバイクで、背中がうずくまる派手でカラフルな、バババババッじゃなくてキュィーーーーーンって鳴るスポーツタイプだった。アクティブな姿にもなる静と動のギャップに更に不思議さを感じた。

そんな頃に、校舎の中央入り口の踊り場にある油絵が気になってた。まるで写真のような、でも光の差し方がドラマッチックにも感じる胸像の絵だった。

筆致のないツルッとした表面に重いグリーンが印象的な仰々しい額に納められた陰鬱な空気に感じていたその油絵。

漫画やゲームの影響と延長で絵を描くのが好きだった自分は、ただ写真のように描かれた絵や役場や歯医者にあるような風景画とかは当時嫌いだった。カッコいいと思えてなかった。

でもある時、2つ上の兄と〇〇先生はこんな先生だよと学校の話をしていて、その油絵はミッチェル先生が描いた絵という事を知って、驚いた。

あのミッチェルが。あんな繊細な絵を。洋風で物々しい。ああいう絵描く人に見えない。昔のどこかの外人さんが描いたと思ってた。学校に飾られるって何かすごい人なのか。

美術の先生とは知ってたけど描いた絵を見たことなかった。

それ以来中央入り口に佇むその絵をガン見した。職員室にも近くて気が引けたけど、ガン見した。

筆の跡ないけどこれどうやって描くの?ってかめちゃリアルに描くってどうやるの?ってか油絵ってなんだ?テカテカしてるのって油ってこと?これをミッチェルが?と思ったら絵の右下に筆記体の英語で先生の名前が書いてあった。

当時カッコいいからという理由だけで筆記体の書き方を猛練習してた自分は解読できた。そして筆記体でサインを入れてるミッチェルを不覚にもカッコいいと思ってしまった。未知の技術、油絵に筆記体。ミッチェル、様子おかしいと思ってたけど只者じゃなかったんだ。

好き嫌いともかく圧倒的技術を見せられてミッチェルにはリスペクトを感じた。

そんなミッチェルからのテスト。

凡庸な美術の穴埋め問題の一番最後に実技2問。

1.自分の手を描きなさい。

2.「バキッ」を絵で表現しなさい。

1.をササっと描き終え、2.の問題を見て困った。

バキッ?なんだ?

なんか折れてる?

いや割れてる?

んっバキッてどういう時使うんだっけ?

音を絵にするってどういう事。

漫画やゲームとかの効果線とかは知ってたくせに、擬音の絵が浮かばない。

これはミッチェルからの挑戦状だ。
あんな古風で洋風な油絵で写真みたいに描く人、あのミッチェルは音も描けるのか。すげー。マジか。そんな域があるのか。

テストしながら興奮し始めたが、時間も迫る。

テスト特有の緊張と沈黙の中に、鉛筆の当たる音と、消しゴムをこする音、机と椅子の軋む音が響く。

んー。

浮かばない。

分からない。

バキッ?

テストの時は出席番号順に座り直されて、教室の真ん中の列の一番前、各テストを交代で受け持つ試験監督の先生の真ん前。その時は苦手な中年女性の数学の先生だった。

沈黙の中、先生の真ん前で気まずかったが、意を決して自分は浮かばないなら出すしかないと思った。

バキッを作って描くしかない。

折ろう。

なんかを。

鉛筆か!

しかし鉛筆折ったら描けない。

テスト中は必要なものしか出してなく、身動きできない状態で、銀色のスチール缶の筆箱を開け、折れるものを探す。

プラスチックの15cm定規を見つけ、これならバキッって鳴るのを感じた自分は定規を折った。

バキッ!!!

教室に音は鳴り響き、先生は何事かと自分を凝視し、自分の後ろの席からも中山がなんかやったと、ザワザワするのを感じた。

自分はその折れたてホヤホヤの定規を眺め、
プラスチックだからギザギザしないし、破片もそんなに出ないんだな、と感心しながら観察し描いた。

テスト時間も終わり、折れたての定規を描ききれた自分は満足感でいっぱいだった。

テストを回収した数学の先生が去り際に「はい皆さん、お疲れ様でした、物は大事にして過ごしてくださいね」と言った。

一瞬気付かなかったが、この一言は自分に言ってるな。

本当嫌味な先生だなーと思ったが、先生が教室を出てから友達は笑ってた。

それに自分は早くミッチェル先生に見てほしい。

自分が音を描くことを考えて、たどり着けず描写に走った経緯届けー!と心から思ってた。

そしてテストが返され、点数を見た。

99点だった。

えっ嘘。どこで。

穴埋めは正解、実技を見たら、快心のバキッには赤ペンのでっかい花丸がついてた。

届いた!思い届いた!嬉しい!!

じゃあどこで減点が。

実技1.の「手」の方だった。大きいグルグル丸がついているのに横に−1と書いてあった。

クラスの中で絵が好きなキャラだった自分は皆んなに中山が99点!?なんでなんでと問いただされた。
定規折ったからじゃね?と言われたがそっちは花丸。皆んなも自分も疑問で、

ザビエル寝しているであろうミッチェル先生に聞きに美術室に向かった。

先生、ここの減点1の理由を知りたくて来たんですが、、

「中山くんありがとう。うん、中山くんはよく描けているから厳しく見てしまったかな、手だよね、そう、うん、よく描けているんだけど、人間の手は筋肉がたくさんあってね、ここ。そう、親指の付け根のところがもっと膨らむんだよね。」

と解答用紙に描かれた自分の左手のパーの絵を指した。

おもむろにミッチェル先生と自分は左手でパーを作って絵と見比べた。

先生が絵じゃなくて自分の手を見ている。

「中山くん。申し訳ない。中山くんは親指の筋肉が少ないんだね。」

自分は幼少期、親指の力が弱くて物が持てなかったりファミコンのボタンすら押せない時があったほど親指の力が弱かったらしい。その影響で今も鉛筆は親指を使わない持ち方のまま育った。

ミッチェル先生は続けた。

「中山くんは「中山くんの手」をよく描けていた。先生は「人間の手」のイメージにとらわれて、「中山くんの手」を見ていなかった。これは良くない問題だった。みんなの手を見ないと判断できないよね。勉強が足りなかった。」

先生は−1に斜線を引き、100点に書き直した。100点になったことはもちろん嬉しかったけど、ミッチェル先生の言葉が胸に響いた。

先生にバキッの絵はどうですかと聞いた。

「とても良かったよ。他の子は木が折れていたり、雷の絵があったりしたけど、定規かな?ここまでクローズアップした絵はなかったよ」

と言ってくれた。

テスト中に定規折ったんです。と言うと、先生はニコリと笑って、

「バキッを実際に作ったわけだ。ではイメージではなくスケッチやデッサンに近いね、手もそうだけど中山くんは写生が得意なのかもね」

と言った。

専門用語が多くてちゃんと理解できなかったけど、なんだか嬉しかった。

定規を折ったおとがめはなかった。

先生は翌年転勤しちゃったけど、仰々しい油絵だけは学校に飾り続けられてて、後任の美術の先生にお願いして、中2で初めて油絵に挑戦した。

でも手間と技術についていけなくてすぐ止めてしまった。

あれから20年近く経って、油絵も描かないし、デッサンや模写も全然やってこなくて、今も苦手と思いながら絵を描いているけど、見えないものを見えるようにするってのは、あの時初めて考えたと思う。

初めて描いた油絵はゴヤの鍛冶屋の模写。

ミッチェル先生は今も勉強しながら生徒達に問いを与えて熱い鉄を打ち続けてるんだろうな。

いい絵を描くための先は長いなー。







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