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感情をメタ認知し、コミュニケーションすることがこの社会に必要だ

前回の記事の中で、子どもに対するコミュニケーションについて少し触れたら、何人かに共感のコメントをいただきました。子どもに対してどんなコミュニケーションを取るべきか試行錯誤しているお父さんお母さん仲間がたくさんいるんだということに気づきいたことをきっかけに、本日のnoteでは、コミュニケーションについて書きたいと思います。

ちなみに前回のnoteの一部はこちら。

なかなか自分のwant toに気付けないのは、特にこの日本社会での一般常識が大きな要因となっていると思います。小さい頃からプロセスそのものは評価されずに、テストの点数、成績で評価されることが深いところで染み付いているため、結果のためにやる (= have to)が当たり前であるという認知が多くの人にとっての常識となっています。

実は、want toを理解しておらず、have toが当たり前になっている大人は、同じような価値観をこどもに気付かぬうちに押し付けています。

例えば、こどもが粘土遊びをしていると、

「とても上手だね、何を作っているの?」

と大人は質問します。

本来はプロセスそのものが楽しいはずなのに、その質問を投げかけられた瞬間に、上手い下手があり、作るべき何かがないといけない、という認識が生まれてしまいます。

そのため、大人がこどもに投げかける言葉は本当に注意が必要です。僕も娘に対して「えらいね」って言葉を無意識的に使ってしまっています。どれだけ間違った投げかけをしてしまっているのか、奥さんともきちんと擦り合わせながら、自分自身をメタ認知し続ける毎日です。

今回は、子どものみならず、人とコミュニケーションをする上で大切なことは何か?について、僕が気づいたことや、コーチングスクールで学んだ内容混じえながら大きく2つシェアさせていただきます。いつもこのスクールからは本当に大切なことを学ばせていただいています。

それは評価判断になっていないか?

前回の粘土遊びの事例と繋がることですが、僕たちは何かコミュニケーションをする際に、気づかぬうちに評価判断からコミュニケーションをしていることが多いです。

例えば、上手だね!という言葉。

この裏側には、上手/下手という自分の中の評価判断をもとに言葉を放っています。自分勝手な基準を当てはめて、いわゆる評論家の立場からのコメントをしています。もちろん褒めているというポジティブな文脈ですが、プロセスそのものに対してではなく結果に対して評価をしているということには変わりありません。

この評価の言葉を受け取った側は、「やっていることに上手とか下手とかがあって、上手だと褒められるんだ。」ということが無意識に刻まれます。もちろん褒められると嬉しいので、本来であればプロセスそのものを目的として楽しんでいたのに、いつの間にか上手なものを作って褒められたい、というプロセスが手段に変わり、承認されることが目的になります

自分も、偉い/偉くないという価値判断から出てくる「偉いね」だったり、すごい/すごくないという価値判断から出てくる「すごいね」を娘に投げかけてしまっていることをメタ認知して、その度に内省をします。

学校教育も際たる例で、評価判断コミュニケーションのオンパレードだと思います。そうするとどうなるのか?

よくクライアントさんと話していて思うのは、何している時が楽しいですか?と僕が質問すると、「人に喜んでもらえる時ですね。」だったり、「何かを達成した時ですね。」という言葉がまず第一声として出てくることが多いです。もちろん、そこは感情が動くポイントであることは間違いないのですが、僕の質問は"何をしている時が楽しいのか?"というプロセスを聞いているので、結果を聞いているのではありません。そのことに語っている本人はなかなか気づくことができません。(だからこそコーチがいる価値があるのですが) そのくらい結果が伴うことしか重要でない、という信念が無意識に刻まれているのだと思います。これはその人が悪いとかではなくて、評価判断コミュニケーションを繰り返し浴びてきたという環境が作り出したものだと考えます。

そのため、まず第一に心がけることとしては、評価判断からなるコミュニケーションをしていないかどうか。どんな人とコミュニケーションをするにも、評論家として語っていないか?ということを意識することで、だいぶコミュニケーションの取り方が変わってくると思います。

僕自身、無意識のうちに評論家としてコミュニケーションしてしまう自分がいましたが、師匠にきちんと指摘していただき、今まさに2度とそんなコミュニケーションをしないように意識的に毎日を過ごしています。評論家ってとても無責任な立場から、自分のことは棚に上げて、相手のマインドに何かを植え付ける作業になるので、本当に気持ちが悪いことだと思います。僕自身が気持ち悪いことをしてしまっていたので、本当に改めました。

感情コミュニケーション!!

もう一つ大事なことは、感情コミュニケーションです。そのままですが、感情をコミュニケーションするということです。

日本では感情的コミュニケーションもしくは、感情抑圧コミュニケーションが当たり前になっています。

例えば、感情的コミュニケーションの例でいうと、学校で生徒がなかなか静かにならない状況で、先生が「いい加減にしろ!!!いつまで喋っているんだ!!!ゴルアアアアアア!!」と感情的に怒りの言葉を放ちます。僕の学生時代を思い返すと、小学校の時とかこういうことよくあったな〜と。

同じケースで、感情コミュニケーションの場合は、自分の中で湧き上がっている感情をメタ認知で捉えて話します。

例えば、「先生は、怒りを感じています。皆さんの学びの場を一生懸命作ろうとしているのにも関わらず、このような態度を取られると、流石に大人としてこのような怒りの感情を持ってしまうことはまずいと思いながらも、どうしても抑えることができない怒りが湧き上がっています。」

こうすることで、感情に支配されることなく、起きた感情を冷静にメタ認知した上で、感情を伝えることができます。さらにこの感情を届けるときに、言葉に感情を乗せて伝えることができると一流ですね。このコミュニケーションのアプローチの方が、感情的コミュニケーションよりも、生徒側にしっかりと伝わりますし、静かにしなきゃやばいなって思わされると思います。「やばい、先生を怒らせてしまった」と。

また、感情抑圧コミュニケーションは、例えば悲しい時に「悲しくなんかない」と言ったり、実はびびっている時に「びびっていない」と自分の感情に対してそれに蓋をするようにコミュニケーションをすることです。日本の文化的に感情を隠してコミュニケーションをすることが美徳だとされているところもあると思いますが、こちらも感情に蓋をしてコミュニケーションしてしまうので、感じていることと言っていることがずれてしまい、どこかでマインドが歪んでしまいます。

だからこそ、湧き上がった感情をメタ認知して、感情そのものをコミュニケーションすることが大切なのです。そして、この感情コミュニケーションは実は先ほどの評価判断コミュニケーションとも繋がります。

例えば、いいね!という言葉。

これは先ほどの話から、良い/悪いの評価判断コミュニケーションにもなり得ます。しかし、感情コミュニケーションとして、相手の行為や何かしらの対象に対して、自分の感情がワクワクしたから、そのワクワクしていることを伝えるという意味においての、いいね!は評価判断コミュニケーションではありません。つまり、感情コミュニケーションを意識して実践することで、評価判断ではない言葉が放たれるということです。

この評価判断と感情コミュニケーションを意識することで、人との関係性が大きく変わっていきます。まずは小さな目の前のことから実践していただけたらと思います。

読んでいただいた皆さんの、日々のコミュニケーションのお役に立てたら嬉しいです!



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