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不自由は不幸じゃない

『たしかに、この身体だと不自由なことはたくさんある
だけど、不自由である事と不幸なことはイコールじゃない
哀れに思われる言われはないよ!』
by 鋼の錬金術師

不自由である事と不幸なことはイコールじゃない・・・。
痛みを伴わない教訓には意味がない。
人は何かの犠牲なしに、何も得る事はできないのだから・・・。

私は「難病」「不自由な身体」から、何を得たのだろう。

苦しみで錬られる希望、心の豊かさ、痛みから芽生える優しさ、逆境をはねかえす生きる意志とか、かたちないものばかりだけど、決して「不幸」という、ちっぽけなものじゃないことは確かだ。

人は、外見や才能、環境を選んで、産まれることはできない。
他人の人生と比べても、しょうがない。

ひとりひとりのできることは違うのだから、ひとりひとりの人生だって違っていいんだ。

他人から、どんな物差しで自分が計られようとも、関係ない。
幸せは自分の心が決めるのだから、そこに不幸な自分が存在しないのであれば、大丈夫。

たとえ、夢見た自分になれなかったとしても、生まれ持った自分、失いながら得た今の自分にあるもの、経験や出会い、すべてを含めて、今の自分が存在している。

私は、生まれつきの難病でなければ、今の自分になれてはいない。
もちろん、病気は不自由だ、病気であるが故に、嫌な過去もあった。

でも、病気や過去を否定することは、今の自分を否定することになってしまう。今の自分を受け入れることで、病気や過去も肯定できるんだ。

病気の自分は、不幸だと思うことから自由になることで、幸せを目指していける。

だって、心に形はなく、心の在り方で自由に姿を変えることができるから。人はいつでも生まれ変われると、信じている。

幸せとは、今あるもの、今していることを、好きになることから生まれる。

言い換えれば、今あるもの、今していることを、好きになることで、幸せを感じられる心を、手に入れることができるんだ。

私は、難病の自分を受け入れることで、幸せを感じられるようになりました。

『何がしあわせか、わからないです。
本当にどんなに辛いことでも、それが正しい道を進む中の出来事なら、
峠の上りも下りもみんな、
本当の幸せに近づく一足づつですから』
by 銀河鉄道の夜

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