人生と冤罪と下剋上#005

閲覧頂きありがとうございます✨HIROKIです🙆

留置場に収容されている被留置者は再逮捕等の
予定が無ければ留置係から検察官に拘置所に移管
して良いか確認して、ゴーサインが出れば拘置所へと移管される。本来であれば、被疑事実について勾留決定が出たら拘置所へと身柄を移さなければならないが、実際には取り調べが全て終わるまで拘置所へは移されない。これは本来留置場が設置された理由とは異なるので【代用監獄】として法曹界から反対の声も多く、しばしば議論の種となっているが、
「取り調べがスムーズにいかない」という理由で
未だ改善されずにいる。そして、この代用監獄制度こそが冤罪を生む一つの要因でもある。

私は拘置所へと移ったが、【思想が危険】という理由で他の収容者とは接触厳禁の独居房に入れられることになった。ちなみに私がいたのは死刑囚と同じフロアで、まことしやかに囁かれている噂として部屋の前に植木がある部屋は死刑囚が暮らす部屋、という説があるが、正確には死刑囚が暮らすフロアの廊下には植木が置かれている、というのが正解。
そして、死刑囚は週2回DVDを見れるので該当日の廊下にテレビが置かれていたらそこが死刑囚の部屋だ。

余談はさておき、留置場では入浴が週2回、私物の管理も自分で出来ないので不衛生かつとにかく不便。
拘置所では私物は原則として全て自分で管理、手紙も毎日出せるし枚数の制限もない。お菓子やコーヒーなどの嗜好品も自分で買える。拘置所に移ってからはしばらく自由のない自由を満喫していた。その時は法律を学ぼう、とか勉強しよう、なんて考えは1ミリもなかった。「弁護士が言うこと言うてくれたらこんな裁判勝つに決まってる」そう思っていた。
そして、新たに就いた弁護人が北千住パブリック法律事務所の寺岡俊弁護士だ。
私に弁護人選任通知が届いてから一向に連絡が来ない。初回の接見の際に手短に、建設的な打ち合わせが出来るようにあらかじめ事実関係と私の主張をノートにまとめて送っていたが、それに対する反応もなし。「またろくでもない弁護士か、、」と落胆していたら寺岡が接見に訪れた。しかし、私が送ったノートも見ていない、話をしていても私の理解力が欠けていることと寺岡の話し下手が相まって建設的な打ち合わせが全く出来ずにいた。とりあえず、寺岡と私の【本件は無罪となるべき事案】という意見は一致していたので、寺岡の提案で裁判所に期日間整理手続を請求することにした。寺岡の話では、
整理手続は3ヶ月、長くて半年で終わると聞いていたが、、、結果としては1年7ヶ月かかることになる。

ようやく全ての事件についての検察官請求証拠が届き、一字一句覚えるぐらい何度も何度も見返した。
しかし、今の自分の知識や能力では感覚的におかしい、矛盾がある、ということは分かっていてもそれを法に基づいて論理的かつ説得的に言語化できない。そんなもどかしさを抱える日々の中で、
「この事件が有罪になるか無罪になるかは分からないが、どんな結果になろうともどういう経過を辿り、どういう判断や評価が下され、どういう結論になるのか」を知っておきたい、知らなければならない。そんな思いから私は法律の猛勉強を始めた。
それと同時に、外部の人に私が手紙を送り、それをインスタグラムに「獄中便り」と題して更新してもらうという活動も始めた。表向きには今回の冤罪事件を出来る限り多くの人に知ってもらうため、だったが、本音としては一審で有罪判決が出た時には
私は自殺しようと思っていたので自分が死ぬまでにどんな経験をしたか、どんな思いでいたか、という軌跡を遺したかったからだ。

そこからの毎日はとても忙しかった。起きている間は家族や友人に送ってもらった法律書を読み漁り、自分の事案と少しでも重なるところがあれば全てノートに書き留める。自分がこれから接することになるであろう法律の条文や意味を全て覚える等など。
そんな生活を送るなか、東京拘置所では一日のうち
数時間ラジオ放送が流れていて、私が楽しみにしていたのはマンボーやしろさんと浜崎美保さんがパーソナリティをつとめる「スカイロケットカンパニー」だった。毎日誰かしらに手紙を出していたが、出す人がいない日もあるのでそんな時はいつも私の窮状を伝える手紙を放送局や出版社に送り続けていた。そして、机に向かって勉強をしていた時に、
スカロケが流れ、なんとなしに聴いていると😳
「えー、正直この二重丸の判子が押されている(拘置所の検閲印)お手紙を取り上げるかすごく悩みました。内容を公共の電波に乗せることはできないし、お名前も出せません。でも、私たちは内容を読みました。現状、結果(判決)は出ていないから何も言えないですが、私たちは応援しています。どんな結果になったとしても、過去は変えることはできません。だけど、これからの未来の生き方次第では過去の意味を変えることはできます。だから、頑張って生きて下さい。」
マンボーやしろさんからの私に対するメッセージだった。聴いている途中で感極まり私は泣きに泣いた。感動、という表現しか思いつかないが、たいていの感動、たとえばディズニーランドに行って徹底した世界観を体感したり、映画館で映画を見たり、ライブに行ってアーティストのパフォーマンスに心揺さぶられたり。それらは全てカネを払えば手に入れられる。でもこのマンボーやしろさんの言葉はなんの対価もなく向けられたいわば無償の感動だった。
私はその言葉に俄然やる気をだし、ますます勉強に打ち込んだ。そんなことをしている内に気づけば逮捕から丸一年が経過しようとしていた。

今回はここまで🙏
次回は拘置所との争いを書いていきます🧑‍🎓
いつもスキをくださる皆様、ありがとうございます。励みになりますので今後ともよろしくお願い致します。

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