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晩 秋

写真と俳句 その四十四

2023.11.12(日)



紅葉。緑から赤へのグラデーションになっています。



 北原白秋 秋の瞳

秋の瞳

晩秋(おそあき)の濡れにたる鉄柵(てすり)のうへに、
黄なる葉の河やなぎほつれてなげく
やはらかに葬送(はうむり)のうれひかなでて、
過ぎゆきし Trombone(トロムボオン) いづちいにけむ。

はやも見よ、暮れはてし吊橋のすそ、
瓦斯(がす)点(とも)る……いぎたなき馬の吐息や、
騒ぎやみし曲馬師(チヤリネし)の楽屋なる幕の青みを
ほのかにも掲げつつ、水の面見る女の瞳。

                   四十一年十二月
                   北原白秋

青空文庫

 

 一と日づつ 一と日づつ 冬紅葉かな 後藤 比奈夫


後藤 比奈夫(ごとう ひなお、1917年〈大正6年〉4月23日 - 2020年〈令和2年〉6月5日)は、大阪府出身の俳人。本名は日奈夫(読み同じ)。「諷詠」名誉主宰。父は後藤夜半。
大阪府西成郡今宮村に生まれる。神戸一中、旧制一高を経て、1941年に大阪大学物理学科を卒業。戦時中は陸軍の技術研究所に勤務。1947年、大阪市にボン電気会社を設立。1951年、父・夜半について俳句の道に入り、夜半の主宰誌「花鳥集」に拠る。「ホトトギス」「玉藻」にも投句し高濱年尾、星野立子に師事。1954年、「花鳥集」が「諷詠」に改題され、その編集兼発行人となる。1955年、波電子工業所を創業、1960年に株式会社となり代表取締役に就任。1961年「ホトトギス」同人。1976年、父・夜半の死により「諷詠」主宰を継承。1985年、波電子工業社長を退き俳句一筋となる。1987年、俳人協会副会長、日本伝統俳句協会顧問、大阪俳人クラブ会長、大阪俳句史研究会代表理事などに就任。2012年、「諷詠」主宰を息子の立夫に譲り同名誉主宰となる。2013年現在、俳人協会顧問、日本伝統俳句協会顧問、大阪俳人クラブ顧問、兵庫県俳句協会顧問、大阪俳句史研究会顧問、虚子記念文学館理事、「玉藻」同人会名誉顧問、星野立子賞選考委員などを務めている。代表句に「東山回して鉾を回しけり」など。夜半の上方風を受け継ぎつつ、ホトトギス派の信条である客観写生、花鳥諷詠を追求。また物理学で培われた知的な視線、新鮮な題材への取り組み、擬人法の開拓などにおいても評価を得ており、戦後以降のホトトギス系の俳人の中でも特に目立った活躍を見せている。なお叔父は喜多流の能楽師の後藤得三と喜多実、比奈夫の姉も喜多流の宗家の内弟子と結婚しており、このため比奈夫の句の背景として能楽が言及されることも多い。2020年6月5日、老衰のため神戸市内の病院で死去。103歳没。

ウィキペディア



靴磨きの職人さんが年配の女性の黒い靴を磨いています。日除の傘もお手製の様子。
東京駅
靴磨きの職人さん



東京駅八重洲口の側の工事現場の壁に描かれた子どもの絵。たからものが描かれています。大きな木にばつ印がたくさん、黄色い鳥が飛んでいます。木の下には大きな猫がお腹を上にして寝そべっています。その猫の周りには、白いネズミやアヒルのような色とりどりの鳥たちがいます。猫が寝ている下には、草花が優しく猫を寝かせています。「たからもの」と絵の中央に書かれています。
たからもの



上野の不忍池。大きな蓮の葉が風になびき、日に照らされています。
上 野

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 囲炉裏端 煙目一人 秋刀魚の味 広在
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有楽町のビルの地下。お店が入っておらず、シーンと静まりかえっています。
有楽町



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 行秋の 芥子にせまりて かくれけり 芭蕉

 元禄六年(1693年)秋。50歳
向井去来書簡

秋がみるみる過ぎていく
まるで 芥子粒に近づいて その中に隠れてしまったかのようだなぁ

筆者解釈

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he05/he05_06351/he05_06351_p0006.jpg

後から九行目

向井去来書簡 : [松尾芭蕉宛]mukai kyorai shokan : matsuo bashō ate
著者 向井 去来, 1651-1704mukai, kyorai
出版 写(自筆), [元禄7(1694)]sha(jihitsu)
早稲田大学図書館古典籍総合データベース

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 「芥子 須弥を容る (けし しゅみをいる) とは」

 仏教学の世界的権威である故・中村元(はじめ)博士はこう解説しています。
「縁起というのは、縁(よ)って起こる、つまりいかなるものも孤立して存在しているのではない、お互いに影響しあって成立しているというのです」
「感覚器官を通して(中略)何らかの像に構成しているというのが、我々の精神作用の構造でございましょう。けれどもその奥には、目に見えない関係・因果の連鎖というものがあるわけです」(いずれも『温かなこころ 東洋の理想』春秋社)
 この道理について華厳宗の経典では「芥子須弥(けししゅみ)を容(い)る」というのだそうです。つまり芥子粒のような小さいものの中に、須弥山(しゅみせん)といった途方もなく大きい山が入っているというわけです。
「目に見えなくとも、個々の存在が偉大な宇宙を内に秘めているということになりますし、遠い過去も、はるか彼方なる未来も、個人存在の中に凝集していると言うことができるわけです」(同)
 中村博士の解説はさすがに核心をついています。私たちが目で観て、感じている世界はほんの一部分だけなのです。私たちの一挙手一投足は、その一部分の動きに従っているのにすぎません。縁起が一般に吉凶の前兆の意味で使われるのは、未来をも内包しているという道理から来ているのでしょう。
 

帯津 良一(おびつ・りょういち)氏
週刊朝日
2020年2月14日号
https://dot.asahi.com/articles/-/119534?page=1


定方 晟 (さだかた あきら) 氏 
東海大学文明学会
http://civilization.tkcivil.u-tokai.ac.jp


 維摩経

後ろから三行目より
国訳維摩経 : 漢蔵対照
河口慧海 訳
世界文庫刊行会 昭和3年出版
国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
https://dl.ndl.go.jp/



横浜市の坂の上からの夕日です。
横 浜



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