何者でもなかったあの時は書けなかった。でも何者かになって書けるようになった。
少し前にnoteが10周年を迎えたらしい。
僕がnoteという存在を
知ったのはまだ大学生だった頃。
今から5年以上も前のことになる。
noteを知って、始めは見るだけだったものが
少しずつ「自分でも書きたい!」と欲が出て、そこから初noteを投稿するまでに2年はかかっただろうか?
それも大学を卒業して、
社会人になってからの話。
ただその投稿も数は少なく、
初投稿から1年で2本ほどしかnoteを書かなかった。
あの時は何者でもなかった。
どこにでもいる大多数の人間だった。
言うなれば普通だった。
あの時は何を書けばいいのか分からなかったし、書くネタ自体思いつきもしなかった。
本格的にnoteを書いて、
投稿するようになったのはサッカーの道を
本気で歩むようになってから。
きっとあの時に
僕は何者でもなかった自分から何者かになった。
まわりの友達や先輩、後輩
世の中の普通とは少し違った道を選ぶ。
もちろん
それは自分が望んだことで自分で選んだこと。
ただ普通とは少し違うということで
僕は何者かになれたんだと思う。
僕は何者?
サッカー選手。
そうやって大きな声で自信を持って言えるほどの強さや才能はないけれど、プロでもないけど、そうやって生きている。
サッカー選手という何者かになってからは
毎日が気づきの連続でnoteに書くネタが尽きない。
いや、挑戦を続けているから毎日が気づきと
学びの連続で書き続けられるのかもしれない。
あの時は何者でもなかった。
今だってはっきり何者かになれたとは思っていない。
でも間違いなくあの頃とは違う自分がいる。
少なくともそうやって、自分が進みたい道を
自分で決めて、歩み始められたことがきっかけになり、noteを投稿するまでになれたのだろう。
好きなこと、今やりたいことを優先して、
進んだ道だったけど、正直、楽しいという気持ちよりもしんどいとか辛い、きついって思うことの方が多いような気もする。
でもその先にある
何かを見てみたくて今は生きてる。
何より好きなもので楽しくて、
できるようになりたいことだから続けられる。
最近僕が好きなサッカーを
noteのお題にすることはほとんどない。
これには理由があって、
今、あるnoteを書いている。
(もちろんサッカーのnote)
このnoteは
僕のなかで大きな意味を持つnoteになる。
書くべきか?本当に投稿するべきか?
そんなことを考えながら書いている。
でも僕にしか
書けないnoteであることに違いない。
だからちゃんと完成させて、投稿するつもり。
上手くいかないこと。
難しいことが本当に多い。
でもまだひたむきに
やり続けられるだけのものを僕は持ってる。
自分は本当にそうあるべきなのか?
毎日考えるけど、それでもできるようになりたいこと、まだやらないといけないことがあるとそう思う。
そうやって続けた先に何があるのか?
何にもならないかもしれない。
何者かになれたような気がしてる僕が
本当は、偽物の何者かだったとしても
選択する権利を与えてもらったこと。
そこから僕が選んだ道を後悔することは
絶対にない。
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