猫と煙草と日常③「考える」
約1年半前の記事にはなるが猫の好きな漫画家凸ノ高秀氏が書いた漫画を思い出したので考える。
選挙とは何かと断言できるほどの知識はないが、猫自身は「選択」と考える節がある。
先日の地方統一選挙の投票率は過去最低であることが報道された。選挙にいけない(行かない)理由は様々あるとは思うが、「選択」から逃げてよいのだろうか。
もちろん「選択」はかなりの負担となる。だが、「選択」をしないで世間流れに身を任せるのはあまりにも危険ではないのだろうか。意見を持たず、考えず、選択をしないことは他人に自分の人生を委ねてしまっているのと何ら変わりはない。
流れに身を任せることは歴史から見ても大変に危険なことであろう。ナチスドイツなどは国民を言葉巧みに倫理に反する方向に進めた。その時国民は「選択」をしただろうが大多数は考えることを放棄し、流れに身を任せた。
今日、流れに乗ることは若者の自明のようになっているだろうが、一度自分は何者か、望むものは何か考えることで自己の「選択」をすべきであろう。
「選択」をしなければどんな結果に」なろうとも、批判はできないのだから。
そんなことを思いながら、雨のベランダで煙草を嗜む。
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