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価値観形成は、負の側面から。

自分の価値観は「常に楽しくある」「日々成長」「熱狂する」だ。

けっこう、アツい価値観だと思う。

なんで、こんな風になったんだろうと思った時に、そもそも、この価値観を自覚するようになったのは、数か月前からだった。わたしは、2年前、ベトナムで半年間インターンをし、厳しいベンチャー企業でさまざまなことを学ばせてもらったが、そのあとそのまま帰国していたら、たぶんこの価値観にはなっていなかった。もちろん、根底は幼少期からの積み重ねがあるのは間違いないけれど。

ベトナムのあと、オーストラリアに4か月間滞在した。このときの経験が現在の価値観を決定的にした。

オーストラリアでは、別のインターンをした。そこで、わたしはベトナムでつけた自信を胸に、張り切って、仕事をしようとした。オーストラリアの、その舞台がわたしの当時の夢だったから。

でも、そのモチベーションは日に日にへしおられていった。もちろん、最低限のことはした。職場で唯一の日本人であるために、日本関係の案件や仕事は、やりたいようにやれたけど。いいこともたくさんあったけど、ぜんぜん満足していない。

モチベーションがへしおられていった理由は、自分があまりにも必要とされなかったからであり、自分の存在意義をかんじることができなかったから。ここは自分の居場所ではないと感じたから。

インターン先は、スポーツ業界だったので、現場の仕事が多かった。

力仕事では、身長180センチ以上ある男性にかなわなくて、ひとり座ってていい、といわれる。やってみたかった業務は、ネイティブの地元の学生にとられる。ネイティブには英語力がかなわないから。これだけでも、業務内容の幅的に、かなりやれることが削られた。

ひとりだけ、必要だと呼ばれない。

こんなに、悔しいことはなかった。

なんで、自分はここにいるんだろう、と考えながら過ごす日々は、とてもつらかった。ベトナムで、営業の結果が出なくて、体もボロボロになったときもたいへんだったけど、それよりよっぽどつらい。「あしたもまた挑戦できるチャンスが来る」なんてことがなかったから。

努力不足ももちろん大いにあったけど。

これは自分のなかでのつらい記憶であり、「陰」の部分。

あのときの自分は相当みすぼらしかっただろうなとおもう。

だからこそ、価値観というか、モチベーションの源泉には、【「常に楽しく」「日々成長」でき「熱狂」している状態にあること】を置きたい。自分が必要とされ、なにかの役に立っているとき、なにかに向かって、熱狂・没頭しながら、努力し、日々成長している状態。オーストラリアのあのときの状態にはなりたくないから、「こうありたい」という願望も込めて、この価値観が決定的になった。

みなさんは、どんなときに、価値観が出来上がったのでしょうか?


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