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【建築】神聖さと親しみやすさを併せ持つ聖ベネディクト教会(ピーター・ズントー)

宗教の聖地巡礼があるように、建築にも巡礼がある。対象となるケンチクや建築家、テーマは人それぞれだが、分かり易い例を挙げると、ル・コルビュジエの建築を巡る旅などがあるだろう。


スイスの建築家ピーター・ズントーも巡礼対象の一人といえる。しかもズントー建築の多くは交通の便が良いとは言えない場所にあるので、巡礼と呼ぶにはピッタリなのである。(以前、ノルウェーの2つのズントー建築を紹介させてもらったが、あの旅も巡礼と言えたかもしれない)


その中でも多くの人が訪れる建築が、スイス中央部の美しい山々に囲まれた聖ベネディクト教会だ。最寄のSumvitg Cumpadials駅まで、チューリッヒからは2時間半、クールからは1時間程で行ける。

山岳国であるスイスは車窓も美しい。残念ながらこの日は山に霧がかかっていたが、それでも幻想的で、電車の旅も全く退屈することはなかった。


Sumvitg駅に着く頃には霧も晴れてきた。ここからはハイキングとなる。


駅は標高980mの地にあるのだが、教会のあるBenedetg村まではさらに標高差300mのつづら折りの道路を歩いて上る。


もちろんタクシーやバスはない。ココを訪れた人たちのブログを読むと、運良く地元の人がピックアップしてくれたという体験談も少なくないようだが、私は車どころか人に出会うことさえなかった。せいせい羊である。


余談だが、スイスではこのような「アルプスの少女ハイジ」に出てくるような牧場をあちこちで見かけるが、これはこの景観を観光産業とするための政策(=補助金)のたまものである。山間部での酪農はコストが高くなりやすく、そもそもスイスは物価が高いので、周辺のEU諸国からの安い乳製品に押されて、保護政策を取らないと酪農も牧場も衰退してしまう。景観保全は簡単ではないのだ。


さて、歩くこと40分。振り返れば谷底に駅が見える。地図では3km程度の道のりだが、坂道が急なので、さすがに少々疲れた…。


道が平坦になった。ここまで来ればもうすぐだ。


見えたっ!


聖ベネディクト教会。日本語では教会と紹介されることが多いが、実際は礼拝堂である。普段は誰もおらず、24時間オープンだ。

礼拝堂は急な斜面に建てられている。


雪崩によって中世からある礼拝堂が崩壊し、1988年にピーター・ズントーの設計によって新しい礼拝堂が建てられた。

古い礼拝堂は石造りだったそうだが、新しい建物は周囲の環境と自然に調和するように、この地域の伝統的な家屋を参考に木造としている。ただしあくまで参考であり、木という同じ素材を使いながらも、建物の形状や工法はズントーにしか生み出すことの出来ない唯一無二のものとなっていた。

礼拝堂の横には火の見櫓を連想させる鐘楼がある。
梯子がついているが、定刻になると自動で鳴っていた。そこは現代的。


この建築の特徴は何といってもファサードの仕上げ。カラマツの小さな板をうろこのように少しずつ重ねている。これが独特の表情を見せている。


天然素材である木は天候により変色
する。日射しのあたる南側は黒く焼けたようになっている箇所もある。さらに時間が経てば、もろくなったりコケが生えたりするかもしれない。こうした経年による変化は計算の上だろう。


日陰となる北側は銀灰色となっている。


建物の形も興味深い。入口から見ると舟のようである。

礼拝堂からはこのような景観が広がるが、この谷に向かって出航する舟に例える人もいる。実際ズントーによると、この建築は「ある旅」を象徴しているらしい。


しかし下からはタワーのようにも見える。


では中に入ってみよう。
木造の建物に対してコンクリートの階段が出迎えてくれる。仮に礼拝堂が舟だとすれば、この階段はボーディング・ブリッジといったところか?(だから異なる素材を使っているのだろうか?)


縦のラインが強調されたドアのデザイン。横のラインが強調されているファサードとは対照的だ。取っ手も味わいがある。


内部もこれまた不思議な空間だ。"舟"と書いたが、天井の垂木からは葉っぱをイメージさせる。


柱と壁の間に隙間をつくることにより、壁に柱の影が浮き出ていた。改めて全体を見た時、これがアクセントになっていることが分かる。


ファサードは茶色や黒というやや暗めの色合いであったが、内部では天窓からの光が銀色の壁に反射し、また白木のベンチとも相まって、外部とはコントラストが際立つ明るい空間となっていた。


今回の滞在中は誰の出入りもなく、しばらく一人で静かに瞑想していた。至福の時間だった。




以前、ブラザー・クラウス野外礼拝堂の項でも書いたが、ズントーのファンは日本にも多く、ココにも多くの建築ファンが訪れている。個人的にズントー建築には”禁欲的”というイメージがあるのだが、これが日本人の琴線に触れるのではないかと思っている。

この礼拝堂も、シンプルで素朴な空間に見えるが、もちろん様々な材料や工法を突き詰めた上で、このような建築が出来上がったのだろう。礼拝堂という神聖さを持ちながらも、同時に親しみやすくもある。


ところで、村人は当時ほぼ無名であったズントーによくぞ設計の依頼をしたものだ。先見の明があったということだが、まさか後にこの小さな礼拝堂が世界的に有名になるとは思ってもいなかっただろう。私もかくありたい。

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