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【建築】分かっていたのに感動してしまったユニティ教会(フランク・ロイド・ライト)

2014年3月、シカゴ郊外のオークパークを訪れた。フランク・ロイド・ライトの自邸スタジオや彼が設計した住宅が数多くある街だ。それら彼の建築を見て回っていた時、近くに代表作の一つであるユニティ教会があることを知った。
早速教会を訪れたが、残念ながらその日、教会のドアは閉ざされていた。


仕方ない。事前に調べていなかった自分が悪いのだ。私は素直にその場を離れた。「いつかまた必ず訪れるぞ!」と誓いながら。



時は流れて2024年5月、今度はしっかり見学予約をしてユニティ教会に向かった。


オークパークはシカゴ・ダウンタウンから高架鉄道で約20分の場所にある。駅を降りて商店街を通り抜け、交通量の多い通りを歩くこと5分。


住宅街の中に10年前に見たあの教会が再び姿を現した。


1871年に設立されたユニティ教会はユニテリアン派の教会である。当初はゴシック・リヴァイヴァル様式の教会であったが、1905年、落雷により焼失してしまい、再建の必要に迫られた。
そこで新しい教会の建築家として選ばれたのが、近所に自邸とスタジオを構え、ユニテリアン派の家庭で育ったフランク・ロイド・ライトだった。


小さな町の教会であることから予算は潤沢とは言えず、比較的安い工法である鉄筋コンクリートで建てられた。当時鉄筋コンクリートは主に産業構造物に採用されており、教会に使われることは珍しかった。
教会は1908年に完成した。


外から見るとかなり地味な建物に見える。


ライトには外観が印象的な建築が多いが、


そうした中でこの"地味さ"は珍しい。壁に装飾はなく、上部に装飾されたマヤ遺跡のような柱と窓があるだけだ。


装飾がないのはコストを抑えるためでもあったろう。


アプローチではこの建物を縮小したような門柱が出迎えてくれる。


ライトらしい幾何学模様の入ったドアガラス。


エントランスのロビーは天井がやや低い印象を受ける。これは手前のスペースを抑えめにして、その後に続く空間を開放的に見せるフランク・ロイド・ライトの手法の一つである。


建物の構成としては、ロビーを挟んで集会室と礼拝堂がある。

まずは集会室から見学。主に日曜学校や懇親会、イベントに使われる。


中央部は吹き抜け、両サイドは2階建というメリハリのある空間となっている。吹き抜けでは天窓からの光が室内全体を柔らかく照らしていた。


「正方形がいくつ隠されているか?」と数えたくなる天窓だ。


この建物のインテリア全体に言えることだが、柱や壁にトリム(木の枠)を効果的に使い、また枠の中で色を塗り分けることによって、ややもするとのっぺり退屈になりそうな面を飽きさせることなく見せている。


例えばこの柱などかなり大きいのに、トリムのおかげでそれを感じさせない。


これは簡単に見えて難しい技術だ。シンプルに長方形や正方形、直線を組み合わせただけなのに。


丸形のランプとバーのみで構成された照明も良い。電線さえデザインの一部としている。


これこそフランク・ロイド・ライトが得意とするデザインだ。さすが!

ただしこの集会室は家具が置かれていなかったので、少々殺風景でもあった。とは言え、この時点でそれなりに満足していた私は、この後さらなる感動が待っていることをまだ知らなかった。



お次は礼拝堂。
礼拝堂はロビーを挟んだ反対側にある。

一般的に礼拝堂へは正面から入るものだと思うが、ここでは礼拝堂へのドアらしきものが見当たらない。実際、こんな小さなスペースなのに迷ってしまった。


よく見るとドアは脇にあった。


そのドアを開けても、あるのは小さな部屋。


しかしここから何か見える。


「いや、予め調べているからどんな空間なのかは分かってるんだよ」


そんな知ったかぶりといくらかの期待を込めて階段を上がると…、


!!!!!!

全く予期していなかった空間が広がっていた。
しかも何かキラキラしている。


その正体は天窓から降り注ぐ光!


写真では何も伝わっていないが、ココに入った瞬間、この光にやられてしまった。この日が晴天だったこともあるだろうが、ホントにキラキラしていたように感じたのだ。どんな空間なのか分かっていたのに、それでも感動してしまった。(私の後に来た他の見学者も中に入った時に「Wow!」と声出してた)


この天窓がまた凝っている。
25枚のステンドグラスから構成されているが、同じ模様のグラスを使いながらも、実は向きがそれぞれ異なっている。

向きによって光の入り方が変わるとは思えないし、そもそもこの配置に気付くとも思えないのに、何故こんなことしてるんだろ w


そして中はとても静かだった。窓が無いのは、通りの車の騒音を最小限に抑えるためだったのだ。

しばらく立ち尽くした後、ようやく礼拝堂内に目を向けた。ここでもトリムを使いながら長方形と正方形をモチーフとしたデザインを展開している。


アクセントとしてペンダント式の丸いランプを使っている。照明を吊るす縦バーも効いている。縦と横のライン、それだけでこんな美しい空間をつくりあげるとはライトはやはり天才。


柱もまた巧みにデザインされ、存在を感じさせない。


祭壇には十字架もキリスト像も見当たらない。これはユニテリアンという宗派とも関係する。ユニテリアンはキリスト教の一派であるが、崇めるべきは神であり、キリストの神性を否定している。(キリストは神ではない)


ちなみに礼拝が終わって退出する時は牧師に挨拶しながら祭壇横の階段を降り、今は閉まっているドアを開けると先程のロビーに出られる。逆に言えば、入る時はわざわざ遠回りしていることになる。


信者席はスタジアムのように3層となっている。これは少しでも多くの信者を収容するため、そして祭壇から信者までの距離を近くするためだ。


上階の信者席には、まるでこの建築を堪能させるかのように、小さな階段をいくつも上ることで辿り着く。


一番前の席は柵も低く、身を乗り出すと危ない。


それにしても何度も書くけどこのデザイン、どう切り取っても美しい。


上階の天井が"切り取る"光景さえも。


この建築は時期的に言えばライトが40歳の頃、第一次絶頂期の作品といえる。

ということで、特に礼拝堂はライト独特の幾何学デザインが素晴らしかったが、個人的には最初に入った時の"光"のインパクトはあまりに強かった。つまり多くの宗教施設がそうであるように、この教会もやはり光をデザインした建築だったのかもしれない。


この教会を見学して二つの宗教施設を思い出しだ。

一つは同じくフランク・ロイド・ライトが設計したベス・ショロム・シナゴーグ。四角形をモチーフとしたユニティ教会に対して、三角形をモチーフとした晩年の建築だ。


もう一つはモノクロの世界が広がるアルド・ファン・アイクによるオランダの教会。


どちらも"光"が印象的だった。




この建物は1970年、アメリカ合衆国国定歴史建造物に指定されている。

しかし1908年にこの教会が建てられて以降、経年により漏水やコンクリートの剥離などの問題が発生した。内装も家具やトリム、壁の塗装、窓に傷みがあった。
そこで2015年から2年の歳月と2,500万ドルをかけて内外の全面修復が行われた。


2019年には「フランク・ロイド・ライトの20世紀建築作品群(8作品)」として世界遺産にも登録されている。


私が2014年ではなく、2024年にオリジナルを尊重しながら修復された姿を見学出来たことは、結果的には良かったのかもしれない。
「鳴くまで待とうホトトギス」である。





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