見出し画像

レースのこと

これなぁ、もう大昔のことだし、今は全然変わってるだろうし、誰かの役に立つことはあるんだろうか・・・と
でも、まぁ思い出しながら、もしかしたら、自分と同じような考えや境遇の人にヒントになればと思い
書き始めてみます。

まず、レースをやろうと思ったのは1989年の鈴鹿GPのセナとプロストのバトルを見た後ですね
衝撃でした。
大学1年の時でしたけど、それまではカーレースなんて、車に乗ってぐるぐる同じコース走って、何が面白いのなかという感じでした。
実際、大学の友達がF1ファンで、テレビ見てましたけど、自分は全然興味ありませんでした。
当時はフジテレビで全戦中継していて、本当、たまたま家で、つけて見たんです。
まぁタイミングもあったのかな、と今冷静に考えるとそんな気もします。
前期試験の後、サッカー部を辞めてしまって、バイトやったり、友達たちが立ち上げたイベントサークルを手伝ったりしてみたり、
海外留学の説明を聞きに行って費用聞いて諦めたり、当時始まったラクロスをやってみたけど、合わなかったりと。
そんなタイミングでした。

セナとプロストのバトルを見て、レースというのはテクニックがあり、バトルがあるんだ、と
自分は負けず嫌いというか、自分ではその言葉にも負けたくないから、勝ち好きと言ったり、そういう性格でしたから、
「これや!」となったわけです。
そうと決まれば、どうすればF1ドライバーになれるのか
どれが、どの順番だったかは覚えていませんが、まず、オートスポーツという雑誌を買って、FJ1600がフォーミュラーの
登竜門だと知ります。89年はまだバブルだったと思いますが、FJで前走って、F3、F3000みたいなドライバーがたくさんいて
これはもう、大学辞めて、レーサーになる!と。親も大変だったと思います。
そのころだったか、ホンダのインテグラ(新車)を自分で買ったのですが、営業の人が元FJドライバーだったこともあり
もう止まりません。しかし、当然親はせっかく入ったいい大学は辞めないでほしいし、友達も反対しました。
F1好きの友達が言ったか、「まずはカートからチャレンジしてみたらどうか」というアイデアが浮かび
それもそうだな、と踏み止まりました。

セナや鈴木亜久里もカート出身者です。
大学を出るまではカートでチャンピオンになり、卒業後にFJ1600にステップアップ。2年目にチャンピオンになり
F3にステップアップ。2年でチャンピオンになったら、世界一を決定するマカオGPに出て・・・と
空想は広がりました。


あまり長くなってもいけないので、パートに分けて書いていきたいと思いますが、
カート(これだけのテーマでも後で一つは書きます)ではチャンピオンは逃したものの
優勝2回で総合3位になり、チャンピオンの可能性がなくなったことでスポット参戦した地方選手権で見事優勝
自信を深めてFJ1600にステップアップしました(これだけのテーマでも後で一つは書きます)
私が参戦した1994年、1996年での最高成績は7位が2回。当時はバブルがはじけた後とはいえ、70台近いエントリーで
予選通過も簡単ではありませんでした。
noteのトップで写っているマシンがWEST RACING CARSの95Jというマシンでしたが
当時早いとされていたオスカーブリットやFRDと違い、このマシンは私だけでした。
おかげでワークスのような雰囲気も味わえた半面、半分はマシン+エンジンがものをいう世界だけに
厳しかったことも事実です。

詳しいことはおいおい書きますが、
私のこの経験から残したいことは
もし、レーサーとして、F1を目指すなら、
まず、お金の心配をしなくてもいい体制を作ることです。

私の場合、自分のアルバイト代(後に社員ドライバーとなるため給料)と“ツケ”でしたが
当然ながら限界があります
レースをやっているとわかりますが、
「家が金持ち」「自分が高給取り」「人には言えないことをしてる人」か自分のような人かです。
一回クラッシュすれば、ウン十万円の中、たとえ「なんぴとたりとも俺の前は走らせねぇ!」と言っても
命より金の世界です。
この点、調べるとわかりますが、上まで上がっていった人は親が弁護士、医者だったり
なんだかんだ言って、お金はいります。私のころには住宅ローンを組んで参戦している人もいました(今は無理でしょう)
でも、いま、冷静に思えば、クラウドファンディングなり、企画書を持ってスポンサーを探すのもよし、
代理人を探すという方法もあるのではないか、と思い、この点、自分は甘かったなと思います。
とにかくレースは金です。そういう意味で、自力で、というのは絶対に続かないので、最初は自力でスタートしたとしても
お金のことも何とかしないと、いずれ終わる(早ければ1年で終わる)と思っておいたほうがいいです。
なので、

やはり、味方、というか、サポーターというか、要するにスポンサーが重要で
そのためには企画力、企画力のある第三者、ビジネスマンとしての才能か、男芸者としての才能どちらか、どちらも必須
と思ってください。
私のころは、ホストで客がスポンサーというツワモノもいました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?