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挑戦する人はリタイアした人を傷つける


こんにちは。私は何かのきっかけがないとnoteが書けません。(いや、みんなそうか)何かのきっかけで自分の経験やバイアスをかけてテキストにまとめたくなるとnoteを書きます。今回はスター2人の対談を聞いてこのnoteを書きます。とても内容が良く、簡潔に編集されている1時間20分程度の対談動画です。何か作業している時のラジオでもいい感じに聞けるので是非チェックしてみて下さい。


この対談はキャリオクが協賛でスター2人が転職や仕事に対する自身の経験を交えながら良いテンポで語り合っていく内容です。この対談内容の1つのワードに「挑戦する、変化しようとする人を叩く日本社会の風潮」が出てきます。このワードとワード対する2人の意見にとても穿った日本社会の真理を見た気がします。


基本的に挑戦するしようとしている人、挑戦している人、変化しようとしている人には基本的に敵が出来ます。基本的に。私はどっちかというと挑戦をアクティブにする方の人間でして敵もそれなりにいると思っています。事実無根の噂も広まっていることでしょう。(←でも悪い噂って基本的にその当事者の私には入ってこないのでここは想像です。)今まで私は「挑戦する、人と違うことをする人=批判される」の構図の原因を疑ったことがなく、血統主義の元形成されている日本の村社会的由来がその構図を生んでいるんだろうなーぐらいしか考えたことがなく、この対談では批判をする人のミクロな視点でこの構図などの原因を解明しています。

「そもそも、なんで人って人を批判するん?」

「僕もねー色々考えるんですけどねぇ、やっぱり最終的には嫉妬ですよ」

この会話にハッとしました。あーなるほどなーって。嫉妬か。

私は嫉妬をしません。他人を羨ましいと思うことがありません。なので他人を批判する人の気持ちとか意味がよく分かっていませんでしたがこの会話を聞いて批判する人の気持ちが分かったし、批判する人って可哀想な人なんだなーと思いました。

例えば私は東京から長崎の超田舎に移住をして、地域おこし協力隊になって、3年の任期が終わって自分のセレクトショップとアパレルブランド2つを運営しています。自分的には挑戦をした感じはあまり無いのですが他人からみればめっちゃ挑戦してめっちゃ成功しているように見えると思います。ましてや都市の生活に疲れ、田舎に移住して新しい人生を始めよう試みて失敗し、また都市に戻った人からすると羨ましくてしょうがないと思います。(←実際田舎に移住して挫折して都市に戻っている人は沢山います)こーゆー人からするとなんで自分だけ失敗したんだ、なんであいつは成功しているんだ、ってなると思います。そのフラストレーションや嫉妬が批判に繋がる。

なので自分的には挑戦している気がなくても他人からすれば「挑戦している人」に見えるような人は挫折した人を少なからず成功体験の押し売りで「攻撃している」ことにもなるんだなーと感じました。自分が失敗した側や批判する側になってみた時に批判する人の気持ちがよく分かりました。それと批判する人に共通しているのは、仕事を含めた生活そのものが充実していないってこと。これも、今の自分は生活が充実しているのでリアリティがなかったのですが生活が充実していない人の側の視点になるとよく分かります。確かに生活が充実していないと見に入るもの全てがムカついてきます。そんな状態が続けば他人を批判したくもなります。ましてやキラキラした他人なら尚更。


この対談では、「じゃあどうやったら他人を批判しないような生活を送ることができるか?」にも触れています。まずは他人を批判しない充実した生活にはまず充実した仕事が必要です。「あー明日も早く仕事したいなー」って思える仕事に出会えたらどんなに幸せか。でもこの「理想の仕事に出会える」って考え方がちょっとまずいと思います。移住生活をお試みる人にも共通しますが移住する動機が「田舎や地方には自分の理想としている生活がある」と思っています。これは理想の仕事にも共通すると思いますが、「どこかに理想がある」って思っているんですね。もちろん天職を見つける人もいますがこれは極々一握り、0.2握りくらいだと思って下さい。理想の生活や理想の仕事は自分で作るものです。自分の足で立って、自分の意思で行動や仕事をする。これが充実した仕事や生活を手に入れる絶対的な大前提です。なので無理に起業しなくてもいいです。会社や職場でイニシアチブをとって仕事を進めることで充実感は得られます。せっかく仕事するなら充実感をもって仕事したいですよね。


やっぱり「仕事」と「労働」を分けて考えないといけないなと感じます。以前「仕事と労働は違う」のnoteを書きましたが、今自分がしているシゴトは仕事か?労働か?をちゃんと見つめて労働には見切りをつけていかなと充実した仕事ライフは基本手に入らない。

リタイアした人を(その気はなくても)攻撃する側の人間か、嫉妬のパワーを使って挑戦する人を攻撃する側の人間になるか、自分はどっちになろうかと考えた時、消去法でも後者になりたいと思う人はいないと思います。みんな充実したいし、本当は攻撃なんてしたくない。世の中に少しでも嫉妬している人が減ればその分私の充実した仕事や生活は攻撃ではなくなります。攻撃を止めるのではなく、攻撃で傷つく人を減らしたいなんてことを強く思います。

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