川崎芳勲

【小説】置手紙は捨てられない。~想像の裂け目に落ちた三日目~

第一話【小説】置手紙は捨てられない。
第二話【小説】置手紙は捨てられない。~どうってことない一日目~
第三話【小説】置手紙は捨てられない。~前のめりな旅は二日目~

(仰木の動揺~前のめりな旅は二日目~について)
 駅のホームで初めて読んだときの衝撃は忘れられなかった。雑誌を読むように一日目を流し読みし、二日目に差し掛かったところで仰木は驚愕したのだった。
 二日目に突如現れたこの男を私は知っている。身に覚えが大いにあるのだった。私がよく行っていた波止場にも顔見知りの男性がいた。名前までは知らないし、打ち解けたわけではない。何度か言葉を交わした程度だったが、彼も私と同じ扇子職人だったから記憶に残っている。扇子を作っている仰木さんですか、と下品な笑い方をしていたあの男に違いない。この紙はあの男が書いたものなのか。実際に会ったことがあるだけに不気味度がよりいっそう増した。
 一日目に出てきた穏やかな人物とあの男とでは、明らかに性格が異なっているように思えた。一日目の男は、言い表すのであれば世間から距離を置き自分の道を進み始めたような印象を受ける。二日目の男は、少々皮肉的で、世間を斜め上から見ているようにさえ思える。批判的な視点が印象とリンクしたのは言うまでもなかった。
 この文は彼が書いたのだろうか。いや、でも少し食い違うところがある。実は私も彼を探していた。初めは単なる入れ違いがあったのだろうと思っていたが、息の合っていた二人の時間は途端に崩れていったのだった。ボタンを掛け違えたのは、彼の方だと仰木は思っていたところだったのだ。一日目と二日目の関連性などまるで感じられず、突如登場した二日目の男のせいで、仰木は混乱しきっていた。動悸を無視できるわけもなく、解を求めるようにして三日目へと目を向けた。
 とんでもないタイトルがついている。嫌な予感がした。

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想像の裂け目に落ちた三日目

「氷山のなかのマンモスが生き返った。全地区の村民に告ぐ。武器を携え裏山へ向かえ。」

 村の中心部にある物見櫓からの放送で機械的な文言が、繰り返し響き渡った。事態はもっと深刻だった。
 早朝のこの放送は全村民に届いていたわけではなかった。放送の受信機が壊れていた地区があり、それに気づいた青年は裏山に逃げる途中で右に折れ、救出に向かった。久し振りに大声で叫んだせいか、走りながらも目眩がしたが、そんなことは関係なかった。この地区には、死なせてはならない人がいる。前回のマンモスの襲撃に動じずに一人で立ち向かい、数時間で静めた修行僧がこの地区にいるのだった。
 しかし、彼は耳が聞こえない。無論この放送も聴こえてなどいない。しかもそれを知っているのは、私を含め数名だけだった。修行僧ながら寺より離れ暮らす彼を救うべく、息を切らしながら村を駆け抜けた。青年の声に飛び起き、一人、また一人と戸を開け裏山へと向かった。背後にある池の畔辺りから何かをなぎ倒す音とともに聞いたこともない咆哮が轟き、身動きすら取れないほどの地響きがした。
 修行僧の存在に気づき裏山ではない方向に一目散に駆ける青年を見て、応援にかけつけた討伐隊の英傑がボソッと呟いた。
 「おれたちはマンモスの牙を取りすぎた。おかげでボスが仲間の弔いで大暴れだ。」
 「英傑さん、今回の襲撃はタイミングが悪すぎます。よりによって村長不在のときだなんて。」
轟音とともに目抜き通りに現れたマンモスの姿を青年の目が捉えた。恐ろしく大きく、問答無用で家や木々をなぎ倒していくのが見て取れた。気になったのはそれだけではない。マンモスの周辺にも妙な生き物がいた。手足の生えた見覚えのある生き物であったけど、何かに操られているようで禍々しい気配を放っていた。この暴走をけしかけたのはあいつか。
 確かな足取りで修行僧の眠る家へと向かった。どうしても名を名乗らぬ彼を、村民は名無しの棍棒使いと呼んだ。棍棒一本でマンモスを静めたことが由来になっていた。村の英雄に対してそれはあまりにも失礼に値する呼び名であった。本人の前ではどうやって呼べばいいのだ。そう憂いたのも束の間、古びた引き戸の前までたどり着いた。戸を叩くこともせずに思いっきり戸を引き叫ぼうとした瞬間、目の前にあったはずの修行僧の家は背後から迫っていた前足にぺしゃんこにされた。青年と討伐隊の英傑は、修行僧の身を案じることより先に自身の死を覚悟した。

 ガバッと勢いよく飛び起きたせいで、飼っている犬が怯えるように鳴きだした。私はそこで飛び起きたのだった。汗をぐっしょりかいていた。こんなくだらない夢で起こされるとは。ここ最近不可解な夢ばかり見る。今日の夢はズバ抜けて意味不明であった。
 心理学者として夢分析を専門にする私にも、瞬時にわかることばかりではなかった。じっくりと分析をすれば、見えてくるものもあるのは確かだが、今の自分の深層心理など知りたくもなかった。マンモスが何を象徴しているのか、マンモスの近くにいたあの不気味な生き物の顔は私の顔にひどく似ていた。夢のなかでの話であるのに修行僧の安否が気がかりだった。記憶にあるものは夢に出やすいというが、青年、英傑に修行僧、マンモスにも全く特別な記憶がなかった。第一、青年と英傑と行動をともにしていた私は一体誰に憑依していたのだろうか。誰かの夢を代理に見ているとしか思えないほど、その夢は交錯していた。
 時計の針を見ると。夜の八時四十分だった。いや、この時計は二年前から八時四十分を指し続けている。電池の入れ替えを怠ったのは私ではない。時計から何も頼まれていない以上、私は動けないのだった。この話を友人にすると、「お前、それは無関心と職業病の合併症だ」と言われた。夢が示す意味ばかりに気を取られ、現実の時間経過に全く興味を示さない人間である私は、到底世間の動きに適応できる人間ではなくなっていた。

 現実の時間を確かめるべく、携帯電話を見るとバッテリー切れだった。おい、おれが生きる世界はいったい今何時なんだ。諦めてベッドに引き返そうとしたときに、もう一つ時計を持っていたことを思い出した。それは上京する際に幼馴染にもらった腕時計だった。人知れず引き出しのなかで、私に気づけと言わんばかりに時を刻んでいた。現実時間は偶然にも八時四十分だった。何かの暗示だろうか。いや、ただの偶然だろう。それでいいのだ。
 夜風に吹かれたくなりふとベランダに出て見上げると、つい声が漏れてしまうほどの星空だった。夏真っ只中であるのに、冬空のように澄んでいて透明感のある空だった。夜空に散りばめられた星々は、今朝叩き割ったコップの破片に少し似ていた。
 下の方で数名の声がしたので見て見ると、法被を着た酔っ払いたちが連なって歩いていた。そういや今日は年に一度の花火大会の日か。マンモスの襲撃はまさか花火の音と呼応していただけなのかと思うと、妙に納得がいった。五階であるここまで声が届くなんて、賑やかなやつらだった。よく見ると、出店で買ったのだろうか、全員が祭り特有のお面をつけていた。ひょっとこ、きつね、大仏や天狗、おかめまでいる。とりわけはしゃいでいたのは般若だった。私はもともと祭りの場で般若のお面を売ることには反対だった。子供がトラウマになるような怖いお面を楽しい祭りの場で売るのはどうか、というのがその理由だった。
 寝汗で身体が冷えてきたので部屋に引き返そうとしたとき、暗闇に浮かぶ白い顔を目の端で捉えた。なんと、もう一人いた。般若を取り囲む集団から少しに距離をとって東洲斎写楽が歩いていた。若干うなだれるようにして歩いている。自分が欲しかったお面を先に取られてしまったからだろうか。明らかに写楽のまわりには負のオーラとやらが漂っていた。
 そして急に立ち止まり、なんの迷いもなくこちらを見たのだった。緊張が走った。
(何かの暗示だろうか。いや、ただの偶然だろう。それでいいのだ。)
呪文のように唱え、落ち着かせようとしたそのとき、写楽はこちらを見たままお面を取った。先ほど見た夢のなかでマンモスに襲撃された村の青年の全く同じ顔だったのだ。そこで私は気絶したのだった。

 「結局祭りにいったのね、酔っぱらって運ぶの大変だったんだからね。」
祭り…?祭りになど行っていない。何を言っているのだ。
 「いや、祭りには行かずに部屋で休んでいただけだが…」
 「誤魔化さなくてもいいのよ、お面まで買って。」
 
 そのあとは妻の独り言が続いた。翌朝ベランダで酔っぱらって寝ていた私を運ぶのがいかに大変であったかを力説する妻の話は全く耳に入ってきていなかった。ベッドに運ばれた私の枕元に写楽が丁寧に置かれていたのだった。
 こうして私の日常は少しずつ発酵していったのだった。

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続く。→【小説】置手紙は捨てられない。~這い上がれ四日目~

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