「結」 ー Phase 8 ー Uzumakism
ふむ、女神さまは「猫をしているのが辛いにゃら、、、じゃない辛いなら、人間になってみるのも良いかもしれないですね。どう?一度人生と言うものを味わってみては如何かしら?」なんて言っていたけど、どうも人間になったのじゃなくて、人間に取り憑いているだけみたいだ。
この身体の人間の記憶を吾輩が共有出来てていると言う事は、吾輩が私を乗っ取り始めていると言う事だ。吾輩?私?ややこしいニャ〜。
人間が気に入っていたキッシュの美味い酒場に吾輩も随分と通うようになった…じゃない、なった。
“私”の記憶にはあるが、吾輩は最近になって知った事がある。
酒場には馬屋が隣接していて暴れ馬が繋いである。店主もこの馬を手懐けるのに一苦労しているようだ。
他の人間と私が、どうも様子が違う事を暴れ馬も感じ取っているのか、私と吾輩には時々大人しい一面を見せる。
海ではなくて陸の旅をするのなら、この馬と上手く仲良くなりたい所だ。
馬が合えば頼もしい旅の友との楽しい冒険になるはずだから…。
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「占い舘Luri」はとても小さい。その小ささが妙に落ち着く辺りは、猫が段ボールに入った時のそれと似ているのかもしれない。
2畳あるかないかの狭い空間の壁際に丸テーブルと椅子が置いてあり、占い師と相談者(占いのお客さんをこう呼ぶらしい)は卓上のアクリル板に隔てられながら向かい合う形になる。
私は、最近流行っているこのアクリル板越しの会話を、入ったことはないが「刑務所の面会みたい」といつも思っている。二人とも罪を背負っていないので囚人ではないが、今日の面会相手は美人の占い師だ。
席に着くと私は壁に掛けられたホワイトボードに目をやった。そこに占いの利用時間と料金を書いたメニューが貼ってある。10分から60分までのメニューが用意されていて、時間が長くなるにつれてお得になる価格設定だ。夜のお店とはその辺が違うが楽しみ方に変わりはないはずだ…と私は思っていた。
「じゃ30分で」と悩みがないのに、私が“鑑定時間“を選ぶと占いがスタートする。一体何を占うのやら。
「魔法の書」を書き終えた彼女は私に“鑑定”の結果を告げる。
随分、後で知ったのだが彼女が記入して導き出していた私の運命を示しているこの「魔法の書」を“命式”と言うらしい。
生年月日を元に、その人の運勢を占う物だそうだ。
命式から導き出された“私の取り扱い説明書”みたいな話を聞きながら、
「何でそんなことが分かるの?」と私は尋ねた。
すると、「占いは統計学ですから」と彼女はさらっと返した。
私はその言葉にビビッと何かを感じた。
「占い」は古代人が長年に渡り星の運行を観測し天文学を開発して、歴史を記録してそれらを照らし合わせ、叡智を駆使し導き出した「人間の運命の天気予報術」なのだ。
人間一人より遥かに巨大な天体が、猛烈な速度で回転しながら、我々の世界を取り巻いている。しかも星は一つや二つじゃない。
その巨大な塊の影響をちっぽけな人間が“全く受ける訳がない”と思い込む方がおかしいのだ。
月の満ち欠け一つで、あの大海原の水面が上下するのに、体中の殆どが水で出来ている人間の運命に“波”が起きないなんて事はあり得ない。
そして、月は太陽系の天体の中でも小さな衛星の一つでしかないのだ。我々が住んでいる地球より巨大な星が宇宙に散らばっているのだから、運命を左右されずに生きる方が困難だろう。
尤もこの話は、“私が見聞きして来た宇宙”が正しいのならと意味深な事を後々のために書き加えておこう。
“統計学”と言う言葉を使った瞬間「この占い師、私の事を分かってるな」と思った。現実的な説明をした方が私の理解を得られると感じ取っていたのだろうか…。
「不可思議なパワーで未来を当てて進ぜよう」などと自分の力を誇示されていたなら私は彼女の話に耳を傾けなかったはずだ。相手を見て的確な言葉を選んだに違いない。
私に分かる様に「如何わしい物ではないよ」と伝え、心を惹きつける術を彼女は心得ている。
命式を元に彼女は私に様々な「天気予報」と「過去の天気」を教えてくれた。
だが、統計学である以上若干のズレが出てくる。
当たり前なのだ。どんなに沢山の統計を取っても“例外”は必ず出て来る。
例えば離婚経験がない人が、「離婚した事があるでしょう?」と占い師に言われたのなら、結婚と離婚に相当するような恋愛と失恋が過去にあったのではないかと推察される。そもそも結婚も離婚も現代の法律上の制度であって、“結びついている”かどうかは心であり「魂」の問題だからだ。
だから、たぶん惰性で結婚や恋愛をしたのなら「占い」の結果にも影響するのだろう。
「転々と引っ越ししているでしょう?」だとか「転職が多いですね?」と言った内容も、占われた本人が「そんな事はない」と思っていても、世間一般から見れば“多い”部類に入っていたり、だとかする。
書面でのやり取りや、データを見ているのではなく「魂に刻まれた記憶」を見るのが「占い」と言える。
「今日の降水確率は60%です」と天気予報士が告げる“メッセージ”をどのように解釈して、自分の生活に役立てるのかが大切だ。持参すべきは傘かレインコートか、はたまた移動手段を変えるか、日程そのものを変更するか…。
運命は自分で選択するものだ。
私はこの日の鑑定で様々な「情報」を手に入れた。受け取った「情報」の読み方は読み手次第。
きっと、占い師と相談者が住んでいる「世界線」に一致する点が増えれば増える程、占いの結果が現実とシンクロし始めるのだと思う。
「違う世界線の私」が占い師に見えているのなら、結果に自分なりの解釈を加えないと「この占い師は“当たらない”」と言う認識になるだろう。
占いとは“当たる”とか“当たらない”のではない、相談者自身が“当てに行く”物なのだ。
この初めての占い体験から、占いで導き出される結果と現実との微妙な差を私は「世界線のズレ」と勝手に呼ぶことにした。
“私の宇宙”だとか“世界線のズレ”についてはまたの機会に書こう。長くなりそうなので。
一通り“私の天気”を聞いた後、まだ時間が残っていたので占い師に伯父の話を聞いてもらう事にした。
伯父は遺産だかゴミだか分からない300枚以上の絵を残して11月にこの世を去った“自称絵描き”だ。
母と行った墓参りのことや伯父との最後の面会や葬儀の話、段ボールいっぱいの遺作を弔いのつもりで、シコシコとネットに絵をアップロードしていることなどを得意気に途切れる事なく捲し立てた。
興味津々に占い師は私の話を聞く。
まぁ、興味を持って聞くのはセラピストや相談を受ける仕事をする人としては当然のことだそうだ。だけど、そんな事情を気にも留めず、この時の私は相槌を打つ彼女に気を良くしてベラベラと語り続けた。
鑑定時間の30分が終了する「タイマー」がピピピと占い師とのお別れを告げる。
チャージ料金を取られる夜のお店なら「お時間ですが延長なさいますか?」と聞かれるところだ。
しかし、しばらく話が切りの良い感じになるまで、彼女は私の話に付き合ってくれた。
猫のような占い師は、私が今やろうとしている事、やっている事を「大丈夫。自分の信じる様にすれば良いですよ」と背中を押してくれた。
私は大変満足してこの小さな「ネコの箱」を出る準備をしながら、猫の餌の皿みたいなキャッシュ・トレーに支払いのためにお札を置いた。
そうして帰り際、ふと目をやったテーブルの端に名刺の束があるのを見つけると、そこから一枚抜き取って「貰っとくね」と偉そうに言いつつ財布に仕舞い込み席を立った。
入口を潜り外へ出ると振り向き様に「また、悩みが出来たら来るわ。2度と来ずに済む事を願ってるけどね」とニヤつきながら感じの悪い捨て台詞と捉えられても仕方のない憎まれ口を叩いて外へ出た。
遊んでくれたのか、貰ったのか分からない感じではあるが「遊び相手を探していた猫」みたいな占い師は最後まで礼儀正しく私を見送ってくれた。
まさか、気休めと面白半分で入った占い屋でこんなに気分が良くなるとは思いもよらなかった。帰りの挨拶の憎まれ口とは気持ちは全く裏腹だ。
意気揚々と三ノ宮の商店街を“サンタの荷物”を小脇に抱えて歩く。
“むしょく”には腐るほど時間がある。健康と暇潰しのためにアホみたいに歩く。
片道7kmの家への道のりを一歩一歩と進んで行く。
「もしかしたら夜のバーに遊びに行くより興味深いかもしれない。ま、悩みが出来ない限り行く理由はないけど」と相変わらず狂った価値観で“初体験”に思いを巡らせながらアスファルトを踏みしめた。
まさか、この「占い舘Luri」も「MUSUBINA KITCHEN」の様に度々足を運ぶ場所になるとは…。
その話はまた、別の機会に。
猫のような占い師の“稀咲先生”がいる「占い舘Luri」は神戸三宮の商店街にある。
猫好きの人は是非訪れて欲しい。「猫が好きなんです♡」と告白すれば素敵なタロット・カードと貴方の運命を見せてくれるだろう。
「占い舘Luri」で“私の猫”を見つけた貴方には…
「エエことがある。エエことが起きるんや」
Phase 9 へ続く ▶︎▶︎▶︎
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絵の制作工程はこちら ▶︎▶︎▶︎ Work ❶
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「MUSUBINA KITCHEN」
〒653-0811 兵庫県神戸市長田区大塚町4丁目1−11
「占い舘Luri」
鑑定士: 稀咲先生
〒650-0021 兵庫県神戸市中央区三宮町1丁目6–12
hidenori.yamauchi
私の伯父「山内秀德」の遺作を投稿しています。是非ご覧ください。