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価値観を共有するということ

最近,価値観を共有することが大事だなあ。と思っている。

先生,生徒,保護者,管理職,地域・・・・etc

いろんなレイヤーがあると思うけど,学校を取り巻くステークホルダー(利害関係者)との関係性を築くため(溝を埋めるため)に,価値観を共有することが大事だなあと思っている。

ここでいう価値観の共有とは,『対象となる事象について「自分はどう考えているか?」を伝え合うこと』だと考えている。

みんな,めざしていることは,「子どもにとって良い教育」だと思うのだけど,時々この「良い教育」の解釈がズレる。

例えば,先生にとっては「良い」と思って実施する小テストが,生徒にとっては「全然良くない」とか,厳しい生活指導が実はやりすぎだと思われているとか,いろいろあると思う。

学校現場では,時々このような価値観のズレが誤解を生んで,摩擦が生じる。

じゃあ「評価」ということばに関してはどうか。それぞれの見えている世界はこうだと思う。
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先生:『自らの学びを振り返って次の学びに向かう』ための営み
生徒:数値で優劣を決められるもの。最終的な審判
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もちろん,先生がこのような認識を持っていない場合もあるとは思うけど,そのあたりは,以前の記事からの続きだと思って書いている。

生徒の見えている世界に関しては,以前,生徒に聞いてみたことを参考にしている(ちなみに評価に対する印象を聞いてみると,ネガティブな印象を持っている人が約80%だった)。

この「評価」という言葉に対するズレが,なんとなく授業のモヤモヤに繋がっているように感じる(先生は意識していなくても,生徒は成績を意識して,先生が好みそうな方向に寄せてくるなど)。

そこで,それ以来評価という言葉について説明をするようにしている。

具体的には次のスライドのような感じで,『この授業では「評価」ということばは,「何ができていて,次に何ができるようになると良いかを伝えるためのもの」として扱うよ』という風に伝えている。

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以前と比べると,失敗を恐れずにチャレンジする生徒が増えたり,成績に固執するような生徒が減ったと感じる。

もちろん,成績もつけなければいけないので,『成績はこういう風につけるよ。』という説明もする。

このように,ひとつひとつの言葉に対して,「こういう風に捉えているよ」,「こういう風に扱うよ」という自身の価値観を伝え,そして,何かこの考え方に関して思うことがあったら教えてね。と,生徒の意見も聞くようにしている。

お互いにとっての「良い教育」をめざすためには,「価値観を共有する」というこの一歩からかな。と思っている。



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