【自伝的随筆】『女教皇、立腹す』3

家族機能不全……自分には全く関係のないことだと思っていました。

そういった環境下で育った子どもたちがいるんだな、可哀想だなぁ~と、まるで他人事でした。

自分は真面な家庭に育った、極普通の、平均的な子どもだ、と。

ですが、毎日のように繰り返される喧嘩のなかで、普通の子どもが育つわけがない。

そもそも何を持って普通の子どもというのか定義が難しいのですが、私にとっては家族内の喧嘩がトラウマになっているんだと思います。

それにしても、いまから考えると、母や姉たちは何故あんなにも喧嘩をしていたのだろう?

不思議なぐらいです。

家族だから喧嘩ぐらいするだろう……確かにそうでしょう。

ですが、それが尋常ではない。

本当に些細なことで姉が癇癪を起こし、祖母や母と衝突するのです。

じゃ、姉は普段から機嫌が悪かったかというと、そんなことはなく……と言いたいところでしたが、思い出すと、子どものころの姉と母、祖母が談笑している記憶がない。

いや、あったと思うんです。

でも、私の記憶に、3人が笑いながら話をしている場面がない。

夜の食事は、必ず全員で食卓を囲むような家族です。

食事中に、楽しく会話しながらご飯を食べた……そんな記憶もうっすらとあるのですが、でも、いつ姉の癇癪が爆発するのだろうと、ビクビクしてきたような。

ああ、思い出しました。

そうです、姉が怒らないように気を使ってました。

私に対しては優しいのです。

怒られたとか、喧嘩になった記憶はありません。

でも、姉が怒らないように、母たちと喧嘩にならないように、気を使ってました。

姉の顔色をみたり、食事中の雰囲気をみたり……

人の顔色をみるとか、気を使うとか、そういった性格はこの時培われたものでしょうか?

兎も角、こんな家庭に育ったものだから、いや、もっと壮絶な家庭環境で育った方からは、まだましな家族だと思われるかもしれませんが、当時の私からすれば、早く大人になって、この家から出ていきたいと思っていました。

だから、大学で独り暮らしをはじめたときは、ホームシックなどというのはなく、それ以来いままで、ずっと実家から離れて暮らしています。

独り暮らしをはじめれば、実家のありがたみが分かるだろうとか言われますが、正直独り暮らしのほうが気を使わず、楽です。

いまはほとんど実家には戻ってません。

帰郷したのは、数年前でしょうか?

もう祖母は亡くなりましたが、まだ実家には父と母、姉がいます。

姉は、未だに結婚もせず、それは私も同じなのですが、独り自由に生きてます。

年に一度は海外旅行に行くなど、私よりも自由に、そして裕福です(笑)

たまにメールしてきます。

そんな仲です。

いま、昔のようにすぐに癇癪を起こすとかはないですね。

母や父とも普通に接しているようです。

私が帰省したときも、特に喧嘩もなく、平穏な環境でした。

でも、私はもう実家には帰ろうとは思いませんね。

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