【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第一章「小猿米焼く」 中編 19(了)
蘇我同士の争いは避けられた………………かに見えたが、事態は一変する。
摩理勢が兵を引き上げた10日後、白瀬仲王が急死する。
飛鳥の人々は噂した ―― 摩理勢の仕業だと。
武装を諭した白瀬仲王を、摩理勢が怨んで毒を盛ったのだと。
「叔父上は、そこまでして山背様を大王に就けたいのか!」
今度ばかりは、蝦夷も黙ってはいなかった。
来目物部伊区比(くめのもののべのいくひ)を遣わし、事の真意を問い質せることにした。事と次第によっては、処断せよとの命も与えた。
伊区比は手勢を率いて、摩理勢の屋敷に赴いた。
屋敷の門前には、死装束の摩理勢が胡床に腰掛けて待っていた。
傍には、彼の次男である阿椰(あや)が同じく死装束で控えていた。
「おお、伊区比か。お前が来たということは、死刑宣告じゃな」
「本日は、刑の執行ではありません。白瀬仲様の件での詮議です」
「同じこと。答えは出ておるわ。どうせ毛人は、ワシの首が欲しいんじゃろう。遠慮せんでよい。息子の分と合わせて持って行け」
「そのための死装束ですか?」
摩理勢は天を仰いだ。
伊区比も、続けて空を見た。
緑生のような空に、灰色がかった雲が棚引いていた。
「白瀬仲様は、ワシに死ぬなと仰せられた。じゃからワシは死なんかった。じゃが、その白瀬仲様もこの世にはおられん。もう、生きておってもしかたがないわい」
「まだ、山背様がいらっしゃるではないですか?」
「山背様が心労で床に臥されたのは、このワシが原因、白瀬仲様が亡くなったのも、ワシが原因、会わせる顔などないわ」
「蘇我には、まだ境部様のお力が必要です」
「伊区比よ、蘇我は……滅びるぞ」
伊区比は、それには答えなかった。
摩理勢は立ち上がった。
「毛人に言うがよい。蘇我の天命は、ここに尽きる。後世の笑いものにならんように……とな。参るぞ、阿椰」
彼は、息子とともに自ら縊れて死んだ。
伊区比は、事の詳細を蝦夷に伝えた。
「お前は、止めなかったのか?」
「はい」
「なぜじゃ?」
蝦夷は真っ青な顔をしていた。
「死を覚悟なされていたのです。同じ武人として、お止めすることはできませんでした」
蝦夷は腰が抜けたように、その場に座り込んでしまった。
入鹿は、それを冷ややかな眼差しで見ていた。
行方不明であった摩理勢の長男の毛津(けつ)も、畝傍山で自害しているのが見つかった。
時の人は、こんな歌を詠んだ。
畝傍山 木立薄けど 頼みかも
毛津の若子(わくこ)の 籠もらせりけん
(畝傍山は木立が薄いけれども、それを頼りにして、
毛津の若様はお籠りになったのだろうか)
(『日本書紀』舒明(じょめい)天皇即位前紀)
蘇我家は、後継者争いで、また痛手を負った。
安倍内麻呂は、これを聞いて、一人ほくそ笑んだ。
「山が崩れたわい。」
と。
翌年1月4日、蘇我蝦夷と群臣は、璽印を立て、田村皇子を大殿の主として迎えた。舒明天皇である。
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