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【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第一章「小猿米焼く」 中編 8

「何が無茶苦茶か。第一これまで、次の大王が大王のお言葉で決まったことがあったか?」

 確かに、ここ何代かは大王が後継者に言及したことはなかった。

「確かに、そうですが」

「そうであろう。大王は、常に我らが決めてきたではないか。そなたの父上もそうであったろうが」

 摩理勢は、馬子のことを持ち出した。

「お言葉を返すようですが、叔父上。父は、一人で大王を決めようとしたことは、一度たりともありません。常に、群臣に諮り、ともに決定しておりました」

 蝦夷は幼いながらも、白瀬部大王の暗殺に悩み、現大王誕生に苦心した馬子の姿を見ていた。

「馬鹿が! 兄上は、蘇我家に有利になるよう、事前に十分な根回しをなされたのだ。お前は、小さかったから知らなかっただろうがな」

「そんなことはありません」

「そう熱くなるな、毛人」

「熱くなっておりません」

「まあ、兎も角、私はまだ若いのだし。順当に言ったら、やはり田村皇子が次の大王となるべきであろう」

 山背王は、摩理勢の気迫に困惑しながらも正直に述べた。

「そんなことはありませんぞ、山背様。山背様は、我が蘇我の血を引いていらっしゃる。もちろん、大王も蘇我の血です」

 摩理勢は、我が血を誇るが如く胸を張った。

「しかし、大王の位に血は関係ないのでは?」

「それは違います、山背様。血筋は大切です。この血は、葛城氏から我が蘇我氏へと受け継がれたものです。そして、我が蘇我氏が、後世に受け継いでいかねばならんのです。それが、大王と蘇我の繁栄に、果てはこの国の繁栄へと繋がるのです。それを、血の繋がりのない田村などに……」

「田村様には、我が妹を嫁がせております」

 蝦夷が、二人に割って入った。

「田村自身は、蘇我氏ではなかろうが」

「それは、そうですが……」

「おおっと、もうこんな時間か」

 西日が、三人の影を伸ばしていた。

「おい、誰か。ワシの従者に馬の準備をするよう伝えてくれ」

 摩理勢は大声で言うと立ち上がり、帰り支度をした。

 帰り際、山背王の両肩をぐっと掴み、

「ご安心なさい。この摩理勢が、必ずや山背様を大王にして差し上げます」

 と言って、にこりと笑った。

 山背王は、その言葉に笑顔で答えようとしたが、彼の笑顔はなぜか引き攣っていた。

 摩理勢は、そのまま蝦夷の方に向き直るとこう言った。

「そんな腰抜けでは、馬子殿に会わせる顔がないぞ」

 蝦夷の顔も引き攣った。

 摩理勢は言うだけ言うと、戸を開いて帰ろうとした……敏傍がいた。

「何をしとるのじゃ、お前は?」

「あっ、どうも、ははは、お帰りですか? 玄関先までご案内します」

 敏傍は立ち上がり、摩理勢の先に立って行った。

 重い足音が遠退いて行く。

 部屋に残された山背王は、ため息を付くしかなかった。

 もうひとつのため息と重なった —— 蝦夷であった。

 この翌日の推古天皇の治世36(628)年3月7日、史上初の女性天皇となった額田部皇女は、小墾田宮で静かに息を引き取った。

 国風諡号は、豊御食炊屋姫天皇(とよみけかしやひめのすめらみこと)。

 漢風諡号は、推古天皇。

 享年75歳。

 在位は36年であった。

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