【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第一章「小猿米焼く」 後編 2
舒明天皇の治世13(641)年10月9日、彼は百済川の辺に立てた百済宮(くだらのみや)(奈良県桜井市吉備付近という説が有力)で、その淡白な人生を終えた。
国風諡号は、息長足日広額天皇(おきながたらしひひぬまのすめらみこと)。漢風諡号は、舒明天皇である。
因みに、彼の大后は宝皇女(たらかのひめみこ)、後の皇極・斉明(さいめい)天皇で、その子が葛城皇子、間人皇女(はしひとのひめみこ)、大海人皇子であり、彼のもう一人の妻が、蘇我馬子の娘、法提郎女で、その子が古人皇子であった。
古代の葬礼では、遺体を埋葬するまでの間、その遺体は殯宮(もがりのみや)に安置され、その前で種々の行事が執り行われた。その行事は、長いもので5年に渡ることもあった。殯については、死者の蘇生を祈るためという説や魂を鎮める説などあるが、その風習は持統(じとう)朝の火葬令で衰退していく。
田村大王の遺体は、百済宮の北に築かれた殯宮に安置された。
傍に仕えるは、宝大后 ―― 彼女は、夫の遺体を前にして何を思う………………
「大后様、林臣様が参上しました」
殯宮の外から、采女が告げた。
「分かりました。いま参ります」
彼女は立ち上がり、夫の遺体を見下ろす。
彼女は、何を思うのか………………
しばらくして、彼女は殯宮から出って行った。
百済宮の大殿には、蘇我入鹿が控えていた ―― 林臣とは、彼のことを言った。
宝大后は、供を連れ出て来た。そして、そのまま玉座へと腰を降ろした。
「待たせましたね、林臣」
「とんでもございません」
彼は、深く頭を下げた。
「それで、用件は何です?」
「はい。本来ならば大臣が参上すべきところですが、昨夜から体調を崩しており、代わりに私が参上いたしました」
「豊浦大臣は病か? 大丈夫なのか?」
「ここ二、三日、寒い日が続きましたので」
「季節の変わり目ですからね。豊浦大臣は、国になくてはならぬ存在です。特にいまは、大王が亡くなられた重要な時期です。大臣には、十分すぎるほど注意してもらわなくては。豊浦大臣に大事にするようにと」
「はい。ありがたきお言葉」
「あなたも、父上を十分お助けするのですよ」
「はい」
入鹿は、さらに深く頭を下げた。
「して、参上の用件とは?」
「はい、大王の喪の件でございます」
「日時が決まったか?」
「はい」
「分かった。申してみよ」
「はい、それでは、蘇我臣、大臣に代わり奏上いたします」
彼は、懐より折りたたまれた竹簡を取り出し、それを開けると読み始めた。
「喪を12月13日、葬りを21日、滑谷岡(なめだにのおか)に致しとうございます」
「分かりました。それで、お願いします」
彼は、竹簡を元のように折りたたみ、懐に仕舞った。
「では、私はこれで」
宝大后は、立ち上がろうとした。しかし、入鹿はそれを引き止めた。
「何ですか? まだ、何かありますか?」
「はい」
「申しなさい」
「はい。次の大王の件でございます」
大殿は静まりかえった。
宝大后は、入鹿をじっと見詰めた。
「次の大王は、山背大兄でよろしいでしょうか?」
入鹿は、静かな声で聞いた。
「それは、大臣の奏上ですか?」
「いえ、あくまで私個人が確認したいだけのことです」
「なるほど……」
彼女と彼の間に、沈黙が流れた。
「それ以外に、誰か考えられますか?」
彼女は訊いた。
「いえ、誰も」
彼は、涼しい目をしていた。
「……私も……、考えられません。……いまのところは……。林臣、その話は、大王の葬りが終わってからにしましょう。良いですね。」
「はい」
入鹿は、最後に深く頭を下げた。
面を上げた時には、宝大后の姿はもうなかった。
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