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誤った羞恥心

 ヒトが動物でないことを書いてみたいと思います。人だけが持っている羞恥心。動物には羞恥心はないと言います。これは(刷り込まれた)大脳がなせる業です。日本人と欧米人では羞恥心の程度が異なります。日本人はパートナーへの愛情表現を人前ではほとんどしません。例えば、欧米人は人前でキスしますが、日本人はあまりしません。(最近は変わってきているかもしれませんが)これは恥ずかしいからだと思います。

 最近は、昔ほど羞恥心がなくなってきています。電車やバスの中で女性が人前でお化粧をするのを見かけます。これは、女性に羞恥心がなくなったからだという人もいます。別れの際の抱擁やキス、人前でのお化粧。当事者は羞恥心を感じていないようです。

 あまりよい例ではないかもしれませんが、温泉旅館で共同浴場に入るとき、男性はタオルで股間を隠しながら湯舟に向かいます。女性は股間よりも胸や周囲を隠します。これも羞恥心の現れです。これらは、他人より小さいからでしょうか?比較が一番の原因だと思います。大小の差は親から受け継いだもの(笑)ですので、致し方ありません。

 国民性、男女、時代の違いによって羞恥心の程度が変わると思います。参考資料[1]を参照すると、外国人も羞恥心を感じていることが分かります。ただ、日本の羞恥心の程度は異常とも言えるかもしれません。

 日本人の多くは農耕、町社会、武士社会を中心に、現代に至って会社員として暮らしてきました。羞恥心はその社会が持つ規律、そして目に見えないところで他のメンバーの感情を乱すことでの問題発生を嫌うために植え付けられてきたのではないかと思います。共感性羞恥心というものがあります。村社会では羞恥心が伝搬するのです。例えば、パワハラは規律を守らせるために辱めを行い、皆に恥ずかしい気持ちを抱かせるために使われてきました。

 私は子供のころ、よく泣く子でした。そのため父親によく怒られました。男は涙を見せてはいけない、弱みを見せてはいけないと。涙イコール弱者ではないと思いますが、父はそうではありませんでした。父からは恥ずかしいと言われました。弱みはその昔、村社会(武家社会)では命取りだったのでしょう。父はそういう教育を受け、私にもそのような教育をしました。リーダーは強く、涙を流さない。村社会では強く、賢く、感情にとらわれない人をリーダーとするからだと思います。

 世界は日本とは異なり、感情表現が豊かで、恥をそれほど気にしないと思います。個人の感情や気持ちを大事にする社会だからです。ただ、自分の感情には責任が伴います。

 日本の恥文化は、日本に生まれて教育されるため宿命のような気がしますが、この恥文化が日本社会を停滞させる原因になっているのであれば、変えていかなければならないと思います。

 恥からくる隠し事と嘘は、社会を良くすることはありません。「知らぬが仏」(不利益を被らない)ということわざがありますが、知らずに感情を乱さず、自分への影響を避け、責任を取らない甘い社会のままで良いのでしょうか。

 恥ずかしいから「しない」とか「隠す」をやめ、「嘘」をやめて、何が最善かを考える社会でありたいです。昨今の著名な政治家の嘘、著名な日本大企業の品質不正。上に逆らえないための嘘、期限に間に合わないための嘘。そして恥による隠蔽。日本人には理解されても、世界では理解されません。今に始まったことではないと思いますが、日本は、日本人は不正と嘘を恥とする正しい倫理観を持つ国民に変わる必要があると思います。

参考資料:
[1]「気まずい」「恥ずかしい」「いたたまれない」のはあなただけじゃない https://www.buzzfeed.com/jp/norikoishigaki/facts-that-will-make-you-feel-better-about-being-so-awkward

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