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若い人には可能性があるが、期限もある。


こんにちは。読書してますか?📚
論語から、孔子の若い人へのメッセージをご紹介します。

(読み下し文)

後生畏るべし
焉んぞ来者の今に如かざるを知らんや
四十、五十にして聞こゆるなくんば、これまた畏るに足らざるのみ

(意味)

後生(若い人)は、おそるべき可能性を持っている。

これからの人たちが、現在の人たちに劣っているとは言えるはずがない。

 だが、四十、五十になってまだ名声が聞こえないようなら、おそれるに足らない人物だ。

ポテンシャルを活かすも殺すも自分次第。


 人生の前半戦は、非常に大きなポテンシャルを持っているため、それだけで貴重な存在なのです。ですが、それに甘んじて学ぶことなく生きていると、足元を掬われてしまいます。

 中年の自分からすると、手厳しい言葉が最後に述べられています。当時の四十代と現在とを比べることは容易ではありませんが、人生の後半で名を残すことができないなら君子たるには物足りない、という程度で理解したいところです。

 孔子は老荘思想とは異なり、政治の世界で名君主になること、人格の備わった君子となることをゴールに置いています。そしてそこに到達するためには、若い時代の苦労が大変重要なのです。

 論語で孔子は、弟子に対して熱心に学び続けることを繰り返し強調しています。
(例えばこの言葉)

 若いうちの学問、苦労は活かすチャンスがその後数多く存在するするため、飛翔する度合いが大きくなるものです。

チャンスに恵まれている時点では、焦りが無い


 残念なことに、若い時代にはそのポテンシャルに無自覚なことが大変多く、成功に向かって着々と積み上げない人もいます。

 だから孔子は、そのような怠け癖のある若者に対して、可能性を認めつつもそれだけでは成功しない、という意図で、この言葉を発現したものだと推察します。

賞味期限はあるのか!?

 先程も述べましたが、すでに中高年にと言われる我が世代だって、活躍の機会はあると考えます。孔子の生きた紀元前の中国と現代では大きく環境が異なります。
 いくらでも中高年になってからでも成長の余地はあり、一つの会社にしがみつくことももはやままならない時代、むしろ継続的な成長を意識すべきです。

 その上で、ポテンシャルの賞味期限は、無いものと考えて良いでしょう。
 そしてそれを活かせるチャンスも、時間的猶予は減る一方ですが、同じ会社にこだわらなければ、活用のチャンスは、年齢がいくつであっても数多く存在するようになるのではないかと期待を寄せています。

ではまた!

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