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育成という仕事 「啓発」(論語)


啓発


憤せざれば啓せず、悱せざれば発せず。
論語 述而篇


 啓発する場合は、隅から隅まで丁寧に教えてあげるのではなくて自ら発憤して学ぶ自主性を持たせなければならないのです。自分で学ぶ気を持たない限り成長は期待できません。

徒弟制度について

 立場や仕事によって、後進の育成にはさまざまなやり方があると思います。
昔の徒弟制度に学ぶべきことを考察してみたいと思います。

 古くは(今でも)宮大工の棟梁は、弟子に対して技を教育するプログラムを作らないそうです。日本のいわゆる徒弟制度ですね。

 弟子からしたら、やり方教えてください!といいたくなるのですが、このような教え方にも意味があり、ある意味弟子たちの本気度、主体性を試す、ついていけないなら篩落とすフィルタの役割があるそうです。

 弟子たちは棟梁の家に住み込んで、まさに寝食を共にします。そこで肌で棟梁の一挙手一投足をみて、体で覚えるのです。

 少なくとも分業体制で仕組み化の進んだ西洋スタイルの会社ではそのようなやり方は踏襲しづらいところがありますし、秘伝の技を体得するにはそれこそ10年以上の年月を必要とするため、そんなに待ってくれません。

 伝統芸能(歌舞伎など)も同様ですね。西洋音楽は、教本があり、徐々にグレードを上げていく、システマチックな教え方であるレベルまでの演奏者は育成することができますよね。

 これら職人や伝統芸能では、一体何を「教え」て、弟子はどのレベルに育成されたか、非常にわかりにくいです。

 だから悪い、西洋のシステマチックな教え方の方が良いと言っているわけではありません。私が思うに、どちらも一長一短があるのでしょう。

学べることはないか

 現代の一般の会社に勤める私たちがこの徒弟制度を採用するわけには、なかなかいかないのですが、エッセンスは学べるかもしれないと思います。

 それは、表面的な技、スキルを伝えるのではなく、「人間性」すなわち「取り組む姿勢」、「普段の所作(行動)」を弟子に対して見せて、育てる、ということは大いに学べるのだと思います。

まとめ

 「啓発」の語源となる言葉を紹介しました。育成対象の部下には、懇切丁寧に何もかも教える必要はありません。「やる気スイッチ」をポンと押してあげて、先ず学ぶ意欲を出すこと、自分の振る舞い、取り組み姿勢を見せること、この二つで人を育成する、ということを、徒弟制度の思想から学びました。

ではまた!

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